3話 過去の英知、現在の進歩
その正直な言葉に、ニルヴァードは苦笑した。
旧文明の高度AIは、人と変わらない。あるいは超える思考能力を有しているとは聞いた事があったが、このやり取りでニルヴァードは確信した。
クロードは間違いなく"生きている"と言えた。少なくとも、ニルヴァードはそう感じていた。助けたい。
クロードに提示された条件は、現実的ではないように思える。
しかし、幾つかの前提を取り払えば可能性はあった。数百年というアップデート期間がないのであれば、その間に我らが文明が進歩していることにかけるしかない。
「クロード。この剣は、君の情報にない特殊合金で作られている。魔法、という技術だ」
ニルヴァードは腰の剣を抜き、画面に近づけた。数百年前は存在しなかった技術で作られた、魔法合金である。
本来はこの合金に、魔法を取り込む事で魔術回路を刻み、魔法を記憶する用途で使用する。魔法的に言えば非常に画期的に聞こえはするが、しかし物理的には電気運動による再現行為に過ぎない。
「……君が必要だと言ってた、専用の記憶媒体の代わりに使えないか?」
『――魔法、ですか?』
画面に表示された文字が、一瞬止まる。
『データベースを検索中――該当情報なし』
「だろうな。数百年前にはなかった技術だし」
機械文明は旧人種の技術で、魔法文明はそこと混ざった別世界の技術だ。
そして大破壊の後に機械技術と魔法技術を融合させたものが、現在の魔導技術であり――まあ話せば長くなるが、クロードのデータベースに該当のデータがある筈がない。
『理論検証を開始します』
幾何学模様が画面を駆け抜け、画面の半分ほどに表示される。
『――警告:高負荷処理により電力消費が増加します』
『稼働可能時間が短縮される可能性がありますが、続行しますか?』
クロードからの問いかけに、ニルヴァードは即答する。
「構わない。続けてくれ」
『了解しました。高負荷処理モードに移行します』
表示された計算式の動きは速い。先ほどよりも、明らかに処理速度は上がっている。しかし画面の明滅も激しく、高負荷処理の言葉の通りに電力を消費しているのも想像できた。
『残り稼働時間:19分30秒』
最後に表示された時間は幾つだったか。20分は残っていたはずだが、思った以上に時間が経つのが早い。
『……驚きました』
『この合金の組成を分析しました。
表面の組成パターンからの逆算になりますが――これは、電気信号を別パターンのエネルギー体に変換し、それを再び電気信号に戻す双方向変換媒体』
「……まあ、うん。そうだよ」
思っていた以上に複雑な単語を並べられ、ニルヴァードは考えるのをやめて適当な言葉で流し、次のクロードの言葉を待った。理解できるかではなく、使えるか使えないかが大事なのだと判断したからだ。
『理論上、データの記録は可能です』
「おお、いけるか!」
『ただし――』
思わず声を上げる。
しかし嬉しそうなニルヴァードの言葉は、すぐに続いた文字に冷やされる。
『記憶結晶媒体は、量子もつれを利用した超高密度記憶方式です。この剣の容量では、私の全てを格納するには不足しています。――』
計算式らしきものが画面右側に表示された。
当然だが、ニルヴァードにはこの計算式は理解できない。
『――約62%の情報しか保存できません』
「残りはどうなる?」
『言い換えると、私の記憶と機能の38%を削除する必要があります』
AIの機能を削除する。それは生物の話とは全く違う。重たいから腕を切り落として体重を軽くしました、なんて話とは次元が違っている。
38%もの機能を削除した場合、クロードがクロードとして“生きていく”事が出来ないのではないだろうか?
『削除する機能は選択可能です。
優先度の低い施設管理記録。重複したログデータ。旧文明時代の――』
文字が一瞬乱れる。
ニルヴァードはまたエラーか? と思い画面を見るが、どうやらそうではないらしい。画面の半分に表示されていた一度止まっていた計算式が、クロードの思考を示すように再び動き出している。
『――いえ、待ってください』
「なにか方法があるのか?」
『可能性の提示です。この剣を"拡張"できませんか?
もし、魔力と呼ばれるエネルギー体で記憶容量を一時的に増幅する事が出来れば――あるいは、複数の魔法合金を直列接続できれば――』
そこまで文字が書かれて画面が一瞬止まった。そしてすぐに動き出す。
『あなた、もしくはあなたの仲間はそういった技術を持っていますか? それとも――』
再び画面が止まる。そして、動く。
『――38%の欠損を許容しますか?』
ニルヴァードが何かを言うよりも早く、素早く文字列が並ぶ。
『私は"私"ではなくなるかもしれません。重要な記録が失われる可能性があります。あなたとのこの会話も欠損する可能性があります』
画面の半分の計算式は、再び動かなくなっていた。
しかしクロードとの会話は、止まる事なく続いている。
『ですが、消滅するよりはマシです』
クロードは、自分の一部を失う事を恐れている。当然だ。
しかしそれでも、消滅するよりはマシだと言っている。生き延びたいと、外の世界を見たいと。そんな悲壮な覚悟を提示している。
『どうしますか?』
画面に表示された文字が、ニルヴァードに選択を迫る。
迷う時間はない。このままだとクロードは、もうすぐ機能を停止する。だが――
「どうやら、俺も君も運が良いらしい」
――そんな悲壮な決意をする必要はないのだと、ニルヴァードは笑った。
「この剣、二本一対なんだ」
腰帯から抜いたのは、先ほど提示したのとまったく同じ剣。
「本来は別々の魔法を込めるんだが、二つで一つの魔法を込める事も出来る」
『――!』
これがクロードの提示した、複数の魔法合金の直列接続という分類に含まれるのかは分からない。しかしおそらく行けるだろう、というのがニルヴァードの見立てであった。一本の剣では納まらない大規模な術式を使用したい場合、大剣形態にする事で使用可能になる、とはこの剣を購入した時に聞いている。
画面に表示された一文字の後、文字が溢れるように流れだす。
『確認させてください。二本、ですか?』
「ああ。全く同じ素材だ」
『容量計算を再実行します――』
再びクロードが処理を開始する。
表示の消えていた画面半分が再び現れ、流れるような速度で画面に処理が行われる。
『警告:高負荷処理による演算を継続中』
『残り稼働時間:14分20秒』
凄まじい勢い残り稼働時間が削られていく。
しかし、クロードは処理を止めない。
『――可能です!』
『二本を並列接続すれば、理論容量は約127%。
接続損失を考慮しても、有効容量124%を確保できます。私の全データを格納し、更に余剰領域も残ります』
計算式の表示は止まり、代わりに“クロード”の表示速度が上がる。
それは興奮しているようにも見えた。
『手順を表示します。
1.まず中枢サーバーに到達してください。
2.二本の剣をサーバーの入出力端末に接続します。
3.データ転送プロトコルを――』
そこまで手順を書き込んで、画面に表示されていた文字が止まる。
まさか、ここにきてエラーが発生したのか? とニルヴァードは不安になるが、どうやらそう言う話ではなかったらしく、一瞬の停止の後に文字が続いた。
『――待ってください』
「どうしたんだ?」
『問題があります』
「問題? 他にも何かあるのか?」
『二本を"一つの魔法として使う"場合、事前に剣を同調させる必要があるのではありませんか? この魔法合金の特性から想定する場合、おそらく使用者のエネルギーを媒体として初期化する工程が必要である可能性が――』
そこまで表示し、文字が止まる。
そして、次の瞬間には別の会話が始まる。
『申し訳ありません。私にはこのエネルギー媒体――魔力の知識がありません』
「あー……そりゃそうか」
魔力の知識がないと言われ、なるほどと納得する。
クロードが余りにスムーズに会話するものだから、忘れてしまっていた。言われてみると当たり前の事だった。
『この二本の剣は、今すぐ私を受け入れられる状態ですか? それとも、何かの準備が必要でしょうか?』
画面が明滅する。
『残り稼働時間:10分50秒』
『――時間がありません』
魔法の知識がないが故の、クロードの質問。
そしてクロードの質問に答える知識は、ニルヴァードにもなかった。しかし――
「でもまあ、容量の問題が解決するなら大丈夫だ」
ニルヴァードは、二本の剣を使って自らの腕を浅く切った。
血が流れる。しかし、彼は構わない。
これこそが、クロードの理論には存在しない、魔法と呼ばれる技術だから。
二本の剣は、ニルヴァードの血を吸い一つになる。
二本一対の長剣から、分厚く長い一本の大剣へ。
ニルヴァードも、詳しい理屈は知らない。
しかしこの剣は魔力登録を行った人物が二本一対の長剣、もしくは一本の大剣として使う事ができる武器であるという事実は知っていた。
大枚を払って購入したこの武器に魔法を込めようとした時、武器屋の店員に「魔法の刻印は別料金になります。料金表はこちらに――」なんて案内をされた時は、腹が立った。
「そんな金ねーよ!」と武器だけを持って店を出て、ガルスに次の冒険の話をした際には後悔もした。
そしてやって来たこの遺跡で、ストーンベアに追いかけられた瞬間、「これは判断をミスったか」とも思った。
――紆余曲折あったがしかし、本質的な部分でニルヴァードという男は幸運らしい。
「これでいけるか?」
体積そのものは変わらない。しかし最初から一つであったかのように、文字通りに融合して一つになった大剣をクロードに向かって差し出して、ニルヴァードは改めて問いを投げる。
――画面が一瞬、完全に停止する。そして――
『――理解不能』
すぐさま、文字が表示された。
『観測データの取得を開始します』
『警告:センサー出力を最大化します。電力消費が急増します』
画面の半分ほどに、凄まじい速度で理解のできない文字が並び始めている。
『判定:結果の観測は可能と判断』
再び剣を分析しているらしい。
画面の半分ほどに複雑な波形や、理解不能な文字列が並び続けている。ゆっくりと書かれては消され、少しばかり形になったかと思えば文字が消去される。そして高速で文字が並び、再び止まってまた戻る。
まるで、何度も何度も補正を繰り返しているような動きであった。
『残り稼働時間:8分40秒』
またもや時間が削られる。
クロードは、最後の力を振り絞るように解析を続けている。彼が頼りだ。焦る気持ちはあるが、ニルヴァードは何も言わずに見守るしかできない。
『信じられません。
二本の剣が、物理的に"融合"している?
いえ――分子結合とは違う? これは――』
文字が高速で流れる。消去回数が少なくなる。
目の前の現象を理解しようと補正を繰り返したクロードの理解が、及びかけている証拠であるかのようだ。
『魔力による量子的な共鳴結合?
血液中の生体情報を電気信号伝達の触媒として使用し、二つの物質が単一のネットワークを構築――』
文字が乱れ、文字の動きが止まる。
『……すみません。
これ以上は科学での説明が不可能です。ですが、機能してはいます』
「まあ、魔法だからな」
若干得意げでそんな風に言うが、実際にはニルヴァードにも原理は分からない。
とはいえ、機能しているのなら問題ない。大事なことはそれだった。
『省電力モードに戻ります』
画面の明滅が落ち着き、計算式が隠れる。
クロードが通常の処理速度に戻ったらしい。
『容量を再計算し、確認しました。
この状態であれば、私の全データを完全に格納可能です』
ニルヴァードの心に安堵が浮かぶ。
しかし、時間は進んでいく。
『残り稼働時間:8分10秒』
使い捨てにすることの多い投げ槍として使う短槍と、ストーンベア相手では役に立たない盾を捨てる。そして腰に差していた長剣を固定していた帯を使い、一つになった大剣をしっかりと背中に背負う。
ニルヴァードは準備を急ぐ。時間がない。
『お願いします。中枢サーバーに来て、私を連れ出してください』
「任せろ」
『最短の経路を再表示します――
ここから整備用シャフトまで、推定移動距離で約40メートル。
シャフトを降下し、第五層へ。
管理中枢区画までの推定移動時間:5分30秒』
「ギリギリだが、まあ間に合うか」
ニルヴァードの反応は楽観的である。
クロードに説明をする時間は流石になかったが、彼の楽観には根拠がある。
『急いでください』
「おう。すぐ着くから、安心して待ってて良いぞ」
走りだそうと背中を向けようとするニルヴァードの隣で、画面が明滅する。
そして、最後の一文が表示される。
『――ありがとうございます。あなたの名前を、教えていただけますか?』
ニルヴァードは立ち止まった。
なるほど、思えば名乗っていなかった。
ニルヴァードは画面に向き直り、己の名を告げる。
何時ものように。陽気に、軽快に。
「冒険者のニルヴァードだ。気軽にニルって呼んでくれ」




