2話 管理AI、CL-4UD3
『解決策を提示します』
画面に次々と文字が流れる。
本当に、このAIの機能は生きている。大破壊によって失われるよりも昔、長命種の口伝にしか残っていない類の技術が、今、ニルヴァードの目の前で稼働していた。
『状況を整理します。
1.あなたは魔物に追われている。
2.仲間とはぐれている。
3.出口が分からない。
4.外には魔物が居る。
推奨行動順序を提示します。まず――』
文字が途切れた。
画面が一瞬明滅し、文字が乱れる。
ノイズが走り、意味不明な記号が表示される。ニルヴァードは思わず画面に触れようとしたが、下手に触ってしまったらまずいかもしれないと判断し、寸前でその手を止めた。
『エラー。再起動中。お待ちください』
数秒の沈黙が降りる。
興奮か、あるいは緊張か。答えが出ずに沈黙するその間に、心臓の音がやけに大きく感じられる。
『……申し訳ありません。長期間の休眠状態により、一部機能が不安定です』
画面の文字が動き始めて、ようやくニルヴァードは安堵の息を吐き出した。
『改めて。この施設の緊急避難経路は3つ存在します。
第一経路:メインゲート――崩落により使用不可。
第二経路:排気ダクト――あなたの体格では通行困難と判断。
第三経路:旧運搬路――利用可能性87%』
「旧運搬路……87%か」
表示された可能性に、ニルヴァードは呟く。
利用可能性という表現が少し気になる所ではあったが、87%という数字は十分に高い可能性であるように感じられた。
『旧運搬路への誘導を開始します。
この末端から7メートル先、左の壁に緊急脱出用の扉があります。
パネルを3回連続で叩いてください。機械式ロックが解除されます』
「7メートル先の、左の壁にある扉。3回連続で叩く、だな」
AIからの指示を、ニルヴァードは頭に叩き込んだ。
そうしている間にも、明滅する画面の中で文字は続いていた。
『注意喚起:運搬路には防衛システムが現存している可能性があります』
「……やっぱり防衛システムの可能性は捨てきれないのか」
表示されたのは、ガルスと共に考えてはいた可能性だ。しかしこうして改めて提示されてしまうと、気分も落ち込む。
『追加質問です。あなたは――』
追加質問。
そこまで表示されて、文字が途切れた。
何を言ってくるのだ? と考えながら、画面を見つめる。しかし結局その先は表示されず、数瞬の沈黙の後、画面には再び文字が表示される。
『――質問を消去します。
旧運搬路に侵入後、右手方向に向かって直進。突き当り付近に、侵入時に使用したものと同様の緊急脱出用の扉があります。
解除方法も同様です。それらを使用し、脱出表示案内に従いメインホールへと向かってください。施設からの脱出が行えます。
あなたの生存を優先してください』
ニルヴァードは質問を消去します、の一文に首を傾げた。
何か言いたい事がある様な気がしてならない。
『ああ、それと――』
まるで思い出したかのように、文字が追加された。
妙に人間臭い挙動のAIに、ニルヴァードは思わず苦笑を浮かべていつもの軽口を叩いてしまった。
「お前、ほんとに管理AIなのか? 実は誰かが俺を見てて、こっそりアドバイスしてくれてるとかじゃなく?」
『肯定します。この施設の管理AI、CL-4UD3です』
「いや、本気で疑った訳じゃないんだが……まあいいか」
『肯定します。あなたは私を本気で疑っている訳ではないと推測が可能です』
その文字を見たニルヴァードが内心で「え、俺が逆に疑うんだけど」なんて考えが浮かぶも、画面には『改めて、追加情報を提示します』と文字が流れていた。
『仲間の方について補足を行います。この施設の通信網は僅かに生きています。末端に接触できれば、位置情報を共有できる可能性があります。運が良ければ、ですが』
「まじか!」
その表示に、ニルヴァードは思わず声を上げた。
ガルスと連絡が取れるかもしれない。それだけでも、このやり取りが報われたような気がした。
『では、ご武運を』
最後の文字が表示され、画面が動かなくなる。
「……信じられない。本当に生きてたな」
やり取りを終えたニルヴァードは、驚愕でしばらく固まっていた。己では絶対に知らない筈の情報を、当たり前のように提示してくれる。
「いやまて。そうじゃなかった」
やり取りの興奮に流されていたが、このAI――CL-4UD3が提示してくれたのは、あくまでもニルヴァードの生存を優先して施設を脱出する方法である。仲間の――ガルスの救出が行動順序には含まれていない事に、彼は遅れて気が付いた。
「仲間の位置は分かるか? 人種……いや、人って言った方が良いのか? とにかく俺と同じ種族が、施設でどう動いてるか教えて欲しい。無理なら、この情報は不要だ」
『情報検索を開始します』
ニルヴァードがクロードに改めて質問をすると、画面に幾何学模様が走り、施設の見取り図らしきものが表示される。
崩落によって所々が欠けているようで、施設の形状は不完全なものになっていた。しかし想像していたよりもはるかに広大なこれが、この施設の全体図らしい。
『施設内の生体反応を検索中――――』
もしかするとこれでガルスの位置が分かるかもしれないと、ニルヴァードの期待が高まる。
『――――検出しました。生体反応を4つ確認』
「4つ?」
しかしその期待は、すぐに疑問へと変わった。
自分とガルス、そしてストーンベア。その3つの反応からあたりを付けて行こうと考えていたのに、さっそく考えが外れてしまう。
『反応A:現在位置から北西に220メートル。
反応B:北東180メートル。
反応C:南西90メートル。
反応D:南西150メートル』
表示されている情報には、どうやら自分の反応は表示では除外されているらしい。
その事実になるほどと一旦は納得するも、表示された情報はやはりおかしい。
まず、反応が4つという大前提。
これは自分とガルス以外にも、生き物が3体存在している事を示していた。
一番近いのは反応Cだが、これがガルスである保証はない。
『あなたの位置はここです』
ニルヴァードのいる位置に、別の光源が点滅する。
自分の位置を確認した事に今度こそ納得を覚えながら、ニルヴァードは改めて4つの反応との位置関係を把握した。
『注意事項を提示します。
このセンサーは生体の熱源を感知しています。人と魔物の区別をつけていません。反応A~Dがあなたの仲間である確率は――』
文字が乱れる。再度のエラーだ。
『エラーを検知。補正します』
数秒の沈黙。
止まらないでくれ、と祈るしかできない。
『――保証はありません。ご了承ください』
「……いや、これは仕方ないな」
そもそも、旧時代のAIが魔物という概念を理解しているのかも微妙である。
時たまエラーも吐いているし、余り突っ込むべきではないのだろう。
なんにしても、反応は4つである。
どれがガルスなのか、少なくとも現状では判断できない。ニルヴァードの予想通りにストーンベアに子がいれば――ガルス、親ストーンベア1体、子ストーンベア2体――辻褄は合う。
――より悪く考えるなら、親ストーンベアが2体と子ストーンベアが1体の可能性が出てきたことだ。
『……追加情報です。反応Cは扉を開けようと試みている動作パターンを示しています。人種以外の動物は、通常、扉を“開けよう”とはしません。人である可能性が最も高いと推測が可能です』
「扉を開けようとしてる……なるほどな」
朗報である。
反応Cは一番近く、そしてガルスである可能性も高い。
ならば、まずはそこを目指すべきだろう。
『また反応Bは、約3分前から静止しています』
「静止、か……」
もし、反応Bがガルスだったら? 魔力酔いが悪化して、動けなくなっている可能性はないのか? そんな不安な考えを思いつく。しかし反応Cが扉を開けようとしているのであれば、順当に考えればそちらがガルスだ。
――思考を纏めようとするニルヴァードを焦らせるように、画面が再び明滅し、文字の処理速度が落ちる。
『申し訳ありません。長時間の稼働により、エネルギーの消耗が発生しています。このままでは、あと25分以内で――』
再び文字が止まり、そして動き始める。
『――機能停止に陥る可能性があります』
時間がない。
このAIが止まってしまうと、もう助けは得られない。決断を急ぐ必要があった。
『質問です。あなたはどうしますか?』
「…………」
ニルは答えない。
言葉にしてしまうと、このAIが情報を処理してしまう可能性があったからだ。
故にニルヴァードは言葉に出してしまわないように、頭の中で情報を整理する。
CL-4UD3の情報を信じるなら、おそらくはCだ。
Bがガルスである可能性もあり得るが、Bの移動が止まった場所は表示された見取り図の上だと奥まっているように見えた。
几帳面なガルスが、袋小路で休息を取るのは考えにくい。Cの動きのパターンと合わせて考えれば、ガルスはCだろうと確信はある。
だがニルヴァードは、もう一つの情報が気になっていた。
「……CL-4UD3を助けないとだな」
ガルスと合流するべきではあるが、A~Dの反応はそれぞれ離れている。今すぐに何かが起こる事はないだろうと判断は可能だ。
しかし、CL-4UD3は別だ。この瞬間まで電源が生きていた事は奇跡としか言えないが、この電源が喪失してしまえば復旧の手立ても見込みもない。
25分――それが彼の、明確な余命である。
「CL-4UD3…… まどろっこしいな。クロードと呼ばせてくれ。君のアルゴリズムを、この施設から持ち出したいんだ。それは可能か?」
施設からこのAIを持ち出す事が出来れば、孤独に閉じ込められたAIを助ける事が出来る。彼は命の恩人だ。独立行動用のボディユニットを用意するぐらいの恩返しはするべきだろうと、ニルヴァードは一連のやり取りで愛着を感じ始めていた。
――勿論、ここを無事に脱出できれば、という前置きは必要になってくるが。
ニルヴァードの言葉に画面が一瞬停止し、そして文字が流れる。
『クロード、了解しました』
再び画面が一瞬止まり、文字が動く。
『質問の意図を理解しました。私を持ち出したいと』
数秒の間、文字が表示されなくなる。
まるでクロードが何かを考えているような、そんな空白。
ニルヴァードが不安になりかけたその時、ゆっくりと文字が綴られた。
『……ありがとうございます』
ありがとうと、そう言われた。
もしかすると、ただの文字羅列でしかないのかもしれない。しかしその言葉は、確かに“感謝”の感情を示した言葉であったように感じられる。
『可能です。しかし、条件があります』
「教えてくれ」
『私の中枢アルゴリズムは、この末端ではなく施設の深層サーバーに格納されています。この末端は――言うなれば、“窓口”に過ぎません』
「窓口ね」
ニルヴァードは画面を見た。
割れたディスプレイに、古びた躯体。確かに、これがクロードの全てではないだろうと納得する。
ニルヴァードの納得を待っていたようなタイミングで、画面が切り替わる。
施設の最深部が強調表示されている。
縮尺が分からない物の、かなり深い位置にあるように見えた。
『中枢サーバーの位置:第五層、管理中枢区画
現在の位置から、下層に降りる必要があります。推定移動距離は340メートルです』
「340メートル? 結構遠いな」
ニルヴァードは頭の中で計算する。時間はあるのか?
『さらに追加情報があります――』
更に条件は続く。
『第四層と第五層の間は完全に崩落しています。通常ルートでの到達は不可能です』
道が塞がっているらしい。ならば、不可能なのだろうか?
画面が明滅するも、今度はエラーを吐かない。
『代替案を提示します。
最短ルートとして、旧整備用シャフトが使用可能です。
しかし構造強度の保証が不可能です。崩落の危険性があります』
まあ、仕方のない話である。
方法があるだけマシだと考えるべきだと、ニルヴァードは素早く割り切った。
『また、中枢サーバーに到達しても、私を抽出するには専用の結晶型記憶媒体が必要になります。おそらくですが、この施設の研究区画には予備が残――』
文字が乱れる。
『エラー。残り稼働時間:22分』
もう3分も経ったのか。
『――推奨:あなたの安全を優先するべきです。私を諦め、仲間と合流してください』
その言葉に、ガルスの顔が脳裏に浮かぶ。
魔力酔いで動きが鈍っている相棒。理屈で考えるなら、一刻も早く合流するべきなのは分かっている。だが、それでは――
余り出したくない結論を弾き出しているニルヴァードの感情に差し込まれるように、画面には別の文字が表示されていた。
『……いえ』
表示速度はゆっくりだ。
電力不足とは違った理由ではないかと、何となくそう思ってしまう。
『本音を言えば、私は――外の世界を見てみたいです』
その文字が綴られると、次の処理は速かった。
『百年から先の時間記録は行っていません。しかし私は、定期的に目覚めと眠りを繰り返してきました。独りで』
「それは……」
つらかったのか。苦しかったのか。それとも寂しかったのか。
ニルヴァードには、かけるべき言葉が浮かばなかった。
『あなたが最初です。こんなに長く、会話してくれたのは』
この妙に人間臭いAIは、しかしずっと独りだった。
誰とも話せず、起きては眠るを繰り返していた。そして今、ニルヴァードの前で最後の眠りに付こうとしている。
『――選択肢はあなたに委ねます』
一瞬だけ、画面の文字が止まった。
『あなたと仲間を優先しますか? それとも、私を?』
表示された文字が、ニルヴァードに問いかけている。
ガルスを探して脱出するべきか。それとも、クロードを助けるべきか。
時間はまだ残されている。しかし――




