1話 遺跡での出会い
灼熱の太陽が容赦なく照りつける砂漠の真ん中で、二人の青年が汗を拭いながら地図を睨んでいた。
一人は、ロングコートの下に皮鎧を身に着けた、夕焼けのような紅い髪が特徴的な青年――ニルヴァードであった。
安物の肩掛け袋を肩に掛け、背中には幾つかの武器を背負っている。投げ槍と思われる短槍に、ありふれた型式の中型盾――そして、それらを留める頑丈そうな革のホルダー。腰には二振りの長剣の他にも鉈に水袋、膨らんだウエストバッグといった、簡単な旅道具を吊るしている。
砂に足を取られない動きに無駄は無く、冷静な目には鋭い洞察力が宿っていた。
「ここだ、間違いない」
「お前、さっきから三回も『ここだ』って言ってるぞ」
しかしニルヴァードがそう見えるのは、何も知らないが故の贔屓目なのかもしれない。真面目な顔をしながら、彼の隣で呆れた顔をして指摘する青年――ガルスの言葉には、多少の皮肉が混じっている。
ガルスはニルヴァードと年が近く、冒険者パーティを組んで一年を超える相棒だ。
ニルヴァードよりも一回り大きながっしりとした体格で、彼と同じような安物の皮鎧を纏っていた。そしてやはりと言うべきか、腰帯にはニルヴァードが用いるのよりも少し短めな剣や、幾つかの道具を吊り下げている。
ガルスはニルヴァードと違って砂に足を取られているようだが、ミッチリと鍛えこまれた体幹が揺れを完璧に制御している。
「いや、今度こそ本当だって」
「それも三回目だな」
「まあまあ。ガルス君、そう焦るなよ」
悪気があるのか、それともないのか。
ニルヴァードは軽く笑い、ガルスが溜息と共に小さく呆れる。
「俺が焦ってる訳じゃない。お前が適当すぎるんだよ」
「適当じゃないさ。ちゃんと見てるよ。風の流れとか、砂の質感とか」
「それ、世間じゃ見てないって言うからな?」
二人は軽口を叩き合いながらも、砂漠を進んでいく。
こんな調子だが、息はぴったり合っている。
「でも情報屋のおっさんが言ってた場所だし、そろそろ見つかっても良いんじゃないかとは思うんだけどな」
「あの情報屋、本当に信用できるのか? 今思えばあいつ、酒臭かったぞ。情報屋ってのは自称じゃないのか?」
「ガルス、そうは言うがお前も一緒に飲んでただろ」
「それは忘れようじゃないか、ニル君」
自分の事を棚上げするガルスに、ニルヴァードは苦笑した。
正直なところ、彼も半信半疑ではあるのだ。だがしかし、未開拓の遺跡は大きなチャンスだ。他の冒険者が探索を終えた遺跡では、金になる物など残っていない事が殆どだ。
「まあ、ダメ元だよ。何も無ければ次を探せばいいし」
「随分と楽観的だな」
「悲観的になっても仕方ないだろ? それより、あそこ」
ニルヴァードが指さす先には、砂に半ば埋もれた金属的な構造物が光っていた。
砂の浸食にも負けずに形を残すその表面には、二人に馴染みがない機構が見て取れた。
「マジかよ! お前の勘も、たまには当たるもんだな!」
「たまには余計だろ」
ガルスがにやりと笑いながら、砂を払う。
半壊した扉を見つける。二人は顔を見合わせ、拳を軽く合わせた。
「行くか」
「おう」
そうして、二人は遺跡の中へと足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二人が足を踏み入れた遺跡の内部は、予想以上に広大だった。
崩れた天井から差し込む光が、廃墟の悲惨さを際立たせる。
壁には金属製の配管のようなものが張り巡らされ、床は吹き込んだ砂がうっすらと積もっていた。大小様々なケーブルが繋がる機械設備は既に動きを止めているようだが、しかし幾つかの明かりはまだ生きているらしく明滅を繰り返している。
「すげえ…… 本物の旧文明の遺跡だぜ。しかも、一部が生きてやがる」
信じられない。そう呟くガルスの言葉には、驚愕の感情が浮かんでいる。
「でも気をつけろよ。まだ施設が生きてるって事は、防衛機構も生きてる可能性がある」
仮に防衛機構が生きていなくとも、こういう空間は魔物の巣になっている可能性も高い。ニルヴァードは剣に手を添えながら、周囲の警戒を始めていた。
「分かってるさ。俺は簡単にマッピングをするから、何かあったら教えてくれ」
「任せろ」
ガルスは腰の袋から羊皮紙と炭を取り出し、歩きながら簡単な地図を描き始める。彼の手際は良く、迷路のような遺跡の構造を正確に記録していく。
「毎回思うんだが、マッピングの魔法を使えるのに手書きする意味ってあるのか?」
「魔法を使い続けられる訳じゃないんだから、必要だろ。というかマッピングの魔法がそこまで便利じゃないの知ってるだろ」
「まあ、そうだな。この前も脇道を見逃してたし」
マッピングの魔法は確かに便利だが、完璧ではない。
魔力の消費も大きいし、細かい部分は人の目で確認する必要がある。そしてガルスの几帳面な性格は、こういう時に役立つ。
ニルヴァードは頼りになる相棒の背中を見ながら、小さく笑った。
ガルスがマッピングに集中しているという事もあり、二人は言葉少なく奥へと進んでいく。
崩れた通路。
錆び付いた扉。
意味不明な装置。
見かける事の少ないそれらではあったのだが、問題はそこではなかった。何時もより言葉が少ないせいで考え事が増えている二人は、別の疑問を感じ始めていた。
「なあ、ニル…… この遺跡、聞いてたよりデカくないか?」
「俺も思ってた。あのおっさん、入り口は見つけたけど中の確認はしてないっぽいな…… この規模、真面目に調べてたら一日じゃ終わらないかも」
「マジかよ。泊まり込みとか勘弁してくれ」
「大丈夫だ。もし泊まる事になれば俺が起きてるから、お前は寝て良いぞ」
「おお、優しいじゃんか」
「まあマッピングは任せる事になるしな」
「了解、そっちは任せといてくれ」
軽口を叩きながら進んでいくと、ニルヴァードが立ち止まった。
「どうした?」
「壁に爪痕。それに、壊された機械が散らばってる。防衛機構も生きてるっぽいが、何かがここを縄張りにしてる可能性もでてきたな」
「マジかよ。住み着かれてたら最悪だな」
「だが、冒険者に荒らされてる可能性は殆ど消えた」
「そう考えれば、まあ朗報ではあるか」
しかし、リスクが増したのは事実である。
若干げんなりした気分を引き締めて、二人は遺跡の奥へと進んでいく。
「おい、ニル。あそこ」
ガルスが指さした先には、電源が生きているらしい扉があった。
「扉? 電源が生きてるのか?」
「分からんが、俺にはそう見えるな。どうする?」
「……何かあるかもしれない。俺が調べる」
ニルヴァードは扉に近づくと、慎重にそれを観察する。
電源は生きているが、ロックがかかっているようだった。軽くパネルに触れてみるが、既に壊れてしまっているらしく操作の類は受け付けない。
「どうだ?」
「ダメだな。少なくとも、ここからじゃ何もできそうにない」
「そうか。まあ仕方ないか」
ガルスは少し離れた位置でニルヴァードの様子を見守っていたが、ニルヴァードの反応はよろしくなかった。何もないなら仕方ないとニルヴァードが扉から離れようとした瞬間、大きな音と共に地面が揺れる。
「上だ! そこから離れろ!」
ニルヴァードの叫びと同時に、天井が崩れ落ちる。
ニルヴァードに近づこうとしていたガルスが咄嗟に後ろへ飛び退くと、瞬く間に二人の間に瓦礫が積み上がり、通路を塞ぐ壁を作ってしまう。
「ニル、無事か!?」
「大丈夫だ! お前は!」
「こっちも問題ない」
「お互いに怪我は無しか…… とりあえずは良かったが、分断されたか」
「さっさと瓦礫を退かそう」
――お互いの無事を確認した、その瞬間であった。
唸るように低い獣の声が、遺跡中の闇の中から響いていた。
それは、ニルヴァードの背後にいた。
奥の暗闇から、巨大な影が現れる。
それは、四足歩行の魔物だった。体長は三メートルを超え、全身は岩のようにみえるゴツゴツとした外殻に覆われている。目は闇の中で赤く光り、牙からはぬめった唾液が滴っている。
「おい、マジかよ。ストーンベアじゃねえか!」
ガルスの声が瓦礫の向こうから聞こえる。
ストーンベアは、山岳地帯でよく見られる強力な魔物だ。
鉱石のように固い外殻を正面から破壊するのは難しく、高密度の外殻を何でもないように振り回すパワーは圧倒的で、おまけに足も速い。
――少なくとも、このような閉所で正面から戦って勝てる相手ではない。
「ニル、逃げろ! この狭いスペースでそいつの相手は無理だ!」
「分かってる! とりあえず広い場所まで逃げる!」
言うが早いか、ニルヴァードは走り出した。
背後からストーンベアの足音が追ってくる。床が揺れ、建物の構造が小さく崩れて、天井から砂が滝のように降り注ぐ。
「こっちだ、デカブツ!」
ニルヴァードが冷静に魔物を誘導する。
なるべく狭い通路を選び、魔物の動きを制限しながら逃げていく。
曲がり角を曲がった瞬間、別の通路からガルスが飛び出してきた。
「ガルス!」
「こっちに道がある! 急げ!」
二人は並んで走る。
だがストーンベアの足は速く、距離は中々開かない。
「くそっ、こいつ速えぞ!」
「直線じゃ不利だ。こっちに!」
ニルヴァードが横道へ逸れ、ガルスもそれに続く。
だがストーンベアは予想以上に賢く、施設の一部を破壊しながら、回り込むように二人の前に立ちはだかった。
「やばい!」
ガルスが剣を抜いて構えた。
ストーンベアが襲いかかり、ガルスは剣で応戦する。
確かな身体能力と堅実な技量は、元来ニルヴァードと優劣が付く類のものではない。しかし今回に関しては、ストーンベアとは地力の差が離れすぎており――つまり端的に言って、相性が悪かった。
ストーンベアの前足が振り下ろされる。
ガルスは腰を落として力を逃し、剣でしっかりと受け止めようとする。
しかし、受けきれない。地面に張った根ごと引き抜くようなストーンベアの圧倒的な剛腕を受けて、衝撃で体が吹き飛ばされた。
そして、そのままの勢いで壁に叩きつけられる。
「ガルス!」
ストーンベアへの意識を切らさないまま、ニルヴァードが駆け寄る。
ガルスは呻きながら立ち上がろうとするが、右腕を押さえている。
「くそ…… やられた」
ガルスは腰の袋から赤い液体の入った小瓶を取り出し、一気に飲み干す。
ポーションの効果が表れたのはすぐだ。傷口から血が止まり、痛みが引いていく。
――だが、直後にガルスの顔が歪んだ。
「っ…… 魔力酔いかよ、最悪だ」
ポーションは、魔力を活性化させて傷を凄まじい速度で治療する。
しかしその副作用として、怪我の程度が大きければ大きいほどに、魔力酔いと呼ばれる症状が酷くなるのだ。
魔力酔いは、その名の通り酒に酔ったように様々な不調をもたらす。
めまい、吐き気、平衡感覚の混乱…… そして、それらが齎す運動能力の低下。
「お前が一発かよ。どんな具合だ?」
「あんまり大丈夫じゃないぐらい…… 悪い、足手まといになる」
「気にするな。とりあえず切り抜けるぞ」
「俺を庇いながらじゃ無理だ。お前だけでも――」
「馬鹿言うな」
ガルスの言葉を被せるように否定する。
ストーンベアが前傾姿勢となり、再び襲いかかってくる。ニルヴァードは二本の剣の一本だけを素早く引き抜き、両手でしっかりと構えてストーンベアの前に立ちはだかった。
彼の動きは流れるようだ。ニルヴァードはストーンベアの攻撃を最小限の動きで避け、一瞬の隙を縫うように反撃を行う。
身体強化に裏打ちされたパワーとスピード、そして力を受け流して利用している抜群の戦闘センス。生物強度的には圧倒的に格上の筈のストーンベアに食い付くその姿は、ガルスのそれよりも天性のものを感じさせた。
――しかしそれでも、ストーンベアの外殻には傷一つつけられない。
「くそっ、かてぇ」
ニルヴァードの口から、悪態が零れる。
ストーンベアという名前ではあるが、実際にはその外殻は岩を通り越して鉱石のように固い。この固さを、隙を縫うような動きで打ち抜くのは幾らなんでも不可能だった。
誰かが囮になって隙を作るか、首回りなどの比較的柔軟な――弱点と呼ばれる部位を狙うしかない。
――つまりこの閉所でガルスを庇いながらでは、不可能な選択にしか勝機がない。
「ニル、俺が囮になるからお前は逃げろ!」
「黙ってろ! 何とかする!」
ニルヴァードは距離を取り、冷静にストーンベアの動きを観察する。
すると彼が距離を取って構えたからなのか。ストーンベアの視線が、一瞬だけ奥の暗闇に向いたように見えた。
「……こいつ、あっちを守ってるのか?」
「何?」
その可能性に思い至れば、ストーンベアの動きに共通点を見つけられた。
攻撃的ではあるが、距離を離せば追撃がない事。威嚇するようにというよりは、通路を塞ぐように体を立てている事。
――もしかすると、子を守る母熊の可能性がある。
その可能性にかけるしかない。
「ガルス、俺が囮になる。お前は逆方向に逃げろ」
「馬鹿野郎! お前一人じゃ!」
「大丈夫だ。良い考えを思いついた」
ニルヴァードは、ストーンベアに向かって石を投げつけた。
ストーンベアの注意が彼に向くのと同時に、通路の奥へと飛び込むふりをする。
――ストーンベアの注意が、体ごとニルに向く。
「こっちだ!」
予想が当たった。そんな確信を覚えながら、ニルヴァードは走り出していた。
ニルという予想外の強敵に興奮していたらしいストーンベアは、ニルを追ってくるがやがて動きを止めて、通路に立ちふさがる様に前傾姿勢で体を丸める。
――予想が当たった。
ストーンベアの向こうではガルスが何か叫んでいるようだが、彼の声は遠ざかり始めていた。何だかんだと言いつつ、ガルスは囮を買って出たニルヴァードの意志を汲んでくれたらしい。
通路を駆け抜け、曲がり角を曲がり、幾つもの瓦礫を飛び越える。
ニルヴァードはストーンベアが追ってこない事を確認しながら、念のために距離を取るため施設の中を移動した。
やがて膝に手をついて、少しばかり荒くなった息を整える。
「離れすぎたか?」
周囲を見回すが、見覚えのない場所だった。
マッピングはガルスに任せていた。地図は彼が持っており、ニルヴァードはマッピングの魔法も使えない。
「やばいな……」
出口は分からない。相棒とも逸れた。
そして、先ほどのストーンベアはまだ遺跡内にいる。
ガルスが魔力酔いで動きが鈍っているのも気になる。
だが、ニルヴァードは冷静だった。
焦っても仕方ない。
状況を整理して、次の行動を考えるべく思考を回した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
砂に埋もれた旧文明の遺跡の中で、ニルは完全に迷子になっていた。
ストーンベアを撒く事には成功したが、仲間と逸れて出口はさっぱり分からない。
しかも、防衛設備が生きている可能性も否定できないおまけまで付いている。
一旦冷静に状況を振り返ってみたが、どう考えても状況は悪い。
「やばい気がするな……」
マッピングはガルスに任せている。
信頼して任せていたが、今はその信頼が仇になった。
――しかし、彼は運が良かった。
「奥に部屋があるのか?」
立ち止まって悩んでいると、崩れた瓦礫の奥に壊れた扉が見える。
地図のようなものがあれば最高なのだがと、ニルヴァードはその扉に向かって歩みを進めた。
瓦礫に服を引っかけ「見た目以上に狭かったな……」なんて悪態をつきながら、しかしニルヴァードは扉の奥へとたどり着いていた。
「これは……旧文明の遺物?」
信じられない事に、部屋の設備の電源がまだ生きていた。
勿論、劣化と崩壊自体は発生しており、文字のほとんどは読む事が出来ない。
しかし、電源は生きている。不定期に明滅する明かりを頼りに、ニルヴァードは末端に触れてみた。
非常時の措置なのか、それとも衝撃で画面が割れているせいか。
配置されたボタンは操作を受け付けず、画面を触っても反応はない。
「……やっぱり流石に操作は受け付けないか。そりゃそうかではあるが……困ったな」
さて、これからどうするか、と。
そう思って溜息と共に上を向くと、目の前の画面が切り替わった。
素早く、画面の中に文字が書き込まれた。
『CL-4UD3。解決策を提示しますか?』
「……なんで起動したんだ? もしかして、音声認識?」
『肯定します。お困りでしょうか?』
信じられない。AIが生きている。
「俺は魔物に追われていて、この施設に閉じ込められているんだ。仲間もいたが、はぐれてる。……この状況を解決できたりするか?」
一縷の望みをかけて、ニルヴァードはAIにそう問うた。
ニルの不安な問いに答える様に、画面にはすぐさま別の文字が書き込まれた。
『お任せください。今から解決策を提示します』




