バランの悩みにて
夜の酒場は、今日もいつものように賑やかだった。木製のテーブルを囲む冒険者たちの笑い声が飛び交い、ジョッキを掲げる音が絶え間なく響いている。
シズクはカウンターに立ち、注がれたばかりのエールに冷気を纏わせながら客の元へと運んでいく。
「お、ありがとなシズク! やっぱり冷えてると違ぇな!」
「毎度ありがとうございます」
軽い会話を交わしながら戻ると、カウンターの端に見慣れた顔が座っているのに気づいた。
斧を背負い、体格のいい青年――バランだ。明るく振る舞う彼だが、今日はどこか落ち着かない様子でグラスを回していた。
「バラン、珍しいな。そんな顔して酒を飲むなんて」
シズクが声を掛けると、バランはバツが悪そうに肩をすくめた。
「……シズク、ちょっと話、聞いてくれないか?」
「もちろん。グラス磨きながらで良ければ」
「助かる」
バランは深く息を吐き、斧を傍らに置いてから小さな声で続けた。
「……実はな、パーティで揉めちまったんだ」
「揉めた?」
「ああ。俺、つい調子に乗っちまってさ。仲間の判断を待たずに突っ込んで、魔物を仕留めちまったんだ。それで『勝手な行動するな!』って責められてよ」
言葉とは裏腹に、悔しさと自己嫌悪が混じった表情がにじむ。
「俺はただ、やれると思ったからやっただけなんだ。でも……皆の顔を見たら、なんか違うんだなって分かって。けどどう謝ればいいか分からなくて……」
シズクは少し考えてから口を開いた。
「バラン、仲間はお前の力を信じてないわけじゃない。ただ――安心して背中を預けられるか、そこが一番大事なんだと思う」
「……安心して、背中を預けられるか」
「そう。冒険者は命を預け合ってるんだ。強いとか弱いとかよりも、仲間がどう動くかを信じられるか。それが揃ってこそだろ?」
バランは俯き、握った拳をじっと見つめる。
「……俺、自分の力で証明したかったんだと思う。仲間に認められたくて」
「それ自体は悪いことじゃないよ。でもさ、力を見せるならタイミングを仲間と合わせた方がいい。そしたらもっと大きな力になる」
そう言って、シズクは冷えた水をグラスに注ぎ、バランの前へ置いた。
「一回落ち着いて、自分の気持ちをそのまま伝えてみればいいんじゃないか。『勝手して悪かった。でも、みんなと一緒に戦いたい』って」
バランは水を一口飲み、やがて小さく笑った。
「……そうだな。俺、単純だよな。仲間が好きだからこそ、突っ走っちまったんだ」
「なら、それを伝えるだけで十分だと思う」
少し沈黙が流れ、やがてバランの顔にいつもの明るさが戻った。
「シズク、お前すげぇな。なんでそんな簡単に言えるんだ?」
「俺はただの酒場の店員だよ。毎日いろんな人の愚痴や悩みを聞いてるだけ」
そう言って笑うと、バランも大声で笑った。
「ガハハッ! なるほどな! でも本当にありがとう。仲間にちゃんと謝って、また一緒にやってくるよ」
「うん、その方がいい」
バランは立ち上がり、斧を背に担ぎ直す。
「シズク、今度また一緒に飲もうぜ! 今日は世話になった!」
「いつでも来てくれ。冷えた酒を用意しておくよ」
力強い背中が酒場の扉の向こうに消えていく。
シズクは残されたグラスを拭きながら、小さく呟いた。
「……人の悩みって、酒場で一番大事なつまみかもしれないな」
そうして、夜の酒場は再び笑い声とともに熱を帯びていった。




