酒場にて
酒場は今夜も活気に満ちていた。
冒険者たちの笑い声とジョッキの音が響き渡り、皿を運ぶ音が絶えない。
「シズクー! こっちに冷えたのもう一杯!」
「はいはい、少々お待ちを」
俺は手際よくグラスを並べ、魔法で冷やして次々と差し出す。
カウンターの向こうではガルドが大声で武勇伝を語り、ライルが「またか」と呆れている。
それを見ながら、俺は思わず笑みをこぼした。
(案外、この雰囲気に馴染めてきたな……楽しいと思ってる自分もいる)
ほんの少し前まで別の世界にいたなんて、今では遠い記憶のようだった。
そんな喧騒の中、カウンターの隅で一人静かに杯を傾ける女性がいた。
肩までの黒髪に、少し赤らんだ頬。
彼女は常連ではあるが、今夜はやけに口数が少ない。
「……シズクさん、もう一杯ください」
「かしこまりました」
注ぎながら視線を向けると、どこか寂しげな瞳が返ってきた。
やがて夜が更け、冒険者たちが次々と帰っていく。
笑い声が遠ざかり、皿を片付け終えた頃には、酒場に残っていたのは彼女だけだった。
「……すみません、あと一杯だけいいですか?」
静かな声に、俺は頷いた。
深夜の酒場は不思議と落ち着きがあり、こういう時は相談が持ち込まれることも少なくない。
「依頼に出るときは仲間と一緒。でも、帰ってくると一人なんです。
……強く振る舞ってるけど、本当は寂しいのかもしれません」
ぽつりとこぼれる声。
俺は黙ってグラスを拭きながら、耳を傾けた。
「シズクさんは……寂しくならないんですか?」
「どうでしょうね。酒場に人がいて、話をして、それで一日が終わっていく。
でも……こうして話してる時間は、悪くないと思ってます」
そう答えると、彼女はかすかに笑みを浮かべた。
沈黙が一瞬。
やがて、彼女は迷うように視線を揺らし、声を落とした。
「……ねぇ。今夜だけ、一緒にいてくれませんか」
その言葉に、酒場の空気が変わった。
俺は一瞬ためらったが、真っ直ぐな瞳に押されるように頷いた。
「……分かりました」
一緒に部屋に戻ると、彼女は言葉もなく距離を詰めてきた。
熱を帯びた吐息、かすかな香りを感じながらの口づけ。
互いの体温を確かめ合うように、夜は深く重なっていった。
朝。
目を覚ますと、彼女はすでに支度を終えていた。
冒険者の顔に戻った彼女は、いつものように軽やかな口調で言う。
「シズクさんありがとう。おかげで少し楽になったわ」
昨夜の熱は幻のように、彼女はあっけらかんと笑って扉を開ける。
「……また来るわね」
残された俺は、しばし寝具の上で天井を見上げた。
「……終わった後はさっぱりしてるなぁ」
苦笑しながら、俺はギルドへ出かける準備を始めた。