ミナの教育にて
昼の仕込みが一段落した酒場の中。
磨き上げられたカウンターに陽が差し込み、木目をやわらかく照らしていた。
その明かりの中、ミナが静かにグラスを並べている。隣には、少し落ち着きのない新入りの姿。
「ミナ先輩、これ、こんな感じでいいっすか?」
リリィが両手で抱えたトレイを差し出す。
「……もう少し力を抜いて。そんなに握ると、落とす」
「え、そうっすか? あ、あぁっ!」
言ったそばから、トレイがカタリと揺れた。
慌てて支えながら、ミナが小さくため息をつく。
「……はい、セーフ。落ち着いてやれば大丈夫」
「す、すんません! いやぁ~緊張しちゃうっすね」
「緊張しなくていい。慣れれば、手が勝手に動くようになる」
ミナは淡々としているが、口調はどこか柔らかい。以前のような棘はもうない。
そのやり取りを、カウンターの奥で見ていたシズクが、微笑を浮かべる。
(……成長したな、ミナ)
以前の彼女なら、リリィの慌てぶりに眉をひそめていただろう。
今は違う。
短く的確に指導しながら、相手を責めない。自然と“教える側”の空気を纏っている。
「ミナ先輩、これで全部磨き終わりましたっす!」
「……よくできた。次はお客さんが来たときの対応」
「っすね! あたし、声出しなら得意っすよ!」
「……うるさすぎないように」
「は、はいっす!」
リリィの元気な返事に、常連のライルが苦笑いを漏らす。
「新しい子、すっかり店の色に染まってきたな」
「……うるさいところは、もう似てる」
ミナがぼそりと呟くと、カウンター越しで笑いが起こった。
その小さなやり取りに、店の空気がふわりと温かくなる。
夜。営業が落ち着き、片付けが始まった頃。
リリィが布巾を絞りながら、そっとミナの方を見た。
「ミナ先輩……今日、楽しかったっす」
「……そう」
「いや、ホントっすよ! ミナ先輩って、冷たい感じするけど、めっちゃ優しいっす!」
「……冷たいのは否定しないけど」
「うわ、そこ否定しないんすね!?」
リリィの大袈裟な反応に、思わずミナの口元が緩んだ。
その表情を見逃さず、シズクが後ろから声をかける。
「良いコンビになってきたな」
「……別に、普通」
「普通じゃないよ。ミナ、すごく頼もしい」
「……そう、ならいい」
そう言って、ミナは静かにグラスを棚に戻した。
その手つきには、初めてこの店に来た頃のぎこちなさはもうない。
「ねぇミナ先輩、今度一緒にご飯行きましょうよ! 仕事終わりに!」
「……そのうち」
「約束っすよ!」
元気いっぱいに笑うリリィに、ミナはほんの少しだけ頬を緩めた。
その夜、店を閉めた後。
片付けを終えたミナが、シズクの隣に立つ。
「……リリィ、悪くない」
「うん。明るくて、素直だしね。いい仲間になるよ」
ミナは小さく頷いた。
「……そうだね」
短く返したその声には、どこか誇らしげな響きがあった。
――ミナの卒業の日まで、あと少し。
その背中には、教わるだけの人間ではなく、確かに“誰かを導ける人”の姿があった。




