揉め事にて
夜の酒場は、今日も冒険者たちでごった返していた。
焼いた肉の香ばしい匂いと、エールの香りが空気に混ざり合い、熱気が肌にまとわりつく。
ジョッキのぶつかり合う音、笑い声、武勇伝を語る大声。
ここに来て数日、ようやくこの喧騒にも慣れてきた。
「はい、冷えたエールお待ち!」
「こっちはワインだ、シズク!」
「俺にも料理追加な!」
次々と飛んでくる注文に応じ、俺は慌ただしく動く。
魔力を込めて酒を冷やし、皿を配り、軽口を交わす。
冒険者たちの笑顔を見れば、不思議と疲れも軽くなる。
「シズクの酒は本当に助かるぜ!」
「冷えてるってだけで味が違うからな!」
ガルドが豪快に笑い、仲間のライルが呆れたように肩をすくめる。
その横で、ミナは黙って盃を傾けていた。
無口だが、視線の端でこちらを観察しているような気がして落ち着かない。
そんな賑わいの中、徐々に空気が変わっていった。
一角で声が荒くなっている。
「なんだと……俺の方が強ぇに決まってんだろ!」
大柄な冒険者が、隣の席の仲間に絡んでいた。
酒臭い息をまき散らし、テーブルを拳で叩く。
相手は苦笑いしながら宥めようとしているが、明らかに迷惑そうだ。
周囲の客も視線を向け始め、ざわめきが広がっていく。
(……困ったな)
穏やかに済ませたい。だが放置すれば、酒場全体の空気が壊れる。
俺は布巾を置き、静かにその席へ歩み寄った。
「お客様、他のお客様のご迷惑になりますので――」
「うるせぇ! 新人のくせに口を挟むな!」
酒瓶を手に立ち上がった男が、俺を睨みつけた。
場の空気が一瞬で凍りつく。
普段なら笑って受け流す。
だが、他の客が嫌な思いをしているなら話は別だ。
ここは、線を引かなくてはならない。
俺は一歩踏み出し、低い声で言い放った。
「…おい……いい加減にしろよ」
それまでの穏やかな口調とはまるで違う、鋭い響き。
男の目が一瞬怯んだのを見逃さず、さらに畳みかける。
「飲みたいなら好きに飲めばいい。ただし――ここは皆が楽しむ場所だ。
それを壊すなら、二度と酒は出さない」
言葉の後ろには、この場を守るという決意を込めた。
視界の端ではヴァン爺が腕を組んで立っている。
その無言の圧も加わり、男はしばらく睨んでいたが、やがて舌打ちして腰を下ろした。
「……ちっ、わかったよ」
テーブルにどさりと座り込み、酒をあおる。
しかしもう声を荒げることはなかった。
静けさが戻ると、周囲の冒険者たちがざわめき始めた。
「おい……さっきのシズクの声、すげぇ迫力だったな」
「普段はあんなに優しいのに……」
「怒らせると怖いタイプだな」
囁きがあちこちで飛び交い、逆に笑い声も混じる。
ガルドが豪快に笑って背中を叩いてきた。
「ははっ! やるじゃねぇかシズク! 酒場も戦場ってわけだな!」
俺は聞こえないふりをして、布巾でテーブルを拭いた。
「……やれやれ」
ため息をついた背に、ヴァン爺の声が飛んできた。
「よくやったな」
振り返ると、豪快に笑いながらジョッキを掲げている。
「優しいだけじゃ務まらねぇ。だが、締めるところを締められる奴は信頼される。忘れるなよ」
その言葉に、俺は小さく頷いた。
深夜。
喧騒が収まり、客がまばらになる。
俺はカウンターでグラスを拭きながら、先ほどの出来事を思い返していた。
「……聞き役だけじゃ駄目だな」
器用貧乏だと自嘲してきたが、時に強く出られることもまた武器なのかもしれない。
そう思うと、少しだけ肩の力が抜けた気がした。