婚約破棄は場をわきまえてよろしく
上を見ればフレスコ画で飾られた天井とガラスがきらめくシャンデリア。
下を見ればモザイク模様に彩られたウッドタイルを敷き詰めたつやのある床。
テーブルには今日のために料理長が時間をかけて考え、作り出したメニューの数々。
花々は少々遠方から取り寄せたものもあるが大振りなものから小さなものまでが色を競う。
すべては娘の披露を最高の場にすべく、妻や執事や料理長と相談して決めたものである。
目の前には、なにを思ったか堂々と婚約者でもない女と寄り添っている男と、その男に睨まれている女。
「というわけで、婚約を破棄する」
男が言う。
「さようでございますか」
女が返す。
男の腕に寄り添う女の様子を見る限り、男の身勝手であろう。
しかし男は言う。
「そもそもきみは家門の威光に頼って」
聞くだけでうんざりするような愚痴である。
しかし、あの男は気付いているだろうか?
家門の威光があろうがなかろうが、婚約者でもない女と寄り添っているだけで、今宵の夜会に参加したお客人たちを戸惑わせているのは自分であるということを。
女のほうは黙っている。
反論できないのではなく、家族の視線が「なにも言うな」と女を止めているからである。
男はなおも続ける。
「きみには私のために着飾るような心遣いもなかった」
それはおまえが他所の女に貢いでいるからではないのか?
おそらく、この夜会に参加している誰もが、私と同じことを思っているだろう。
「だから、婚約を破棄するんだ。三日間程度の猶予はやろう、反省して私に尽くすというなら考え直さないこともない」
考え直すのはおまえだ。
おまえに寄り添っている女の顔を見るがいい。
おまえの言い分に目を見開いているぞ。
そして、私も言わせてもらおう。
「よろしいかな?」
よろしいな?
私が発言させていただくぞ。
男も女も、男の腕にくっついている女も、揃ってこちらを振り返る。
「この夜会は当家が主催したものであり、きみたちはご尊父への招待にご家族として参加している自覚はおありだろうか?」
客人が皆こちらを見ている。
そう、この夜会は当家が主催している夜会であり、この男と彼に寄り添う女は、主催者である私を無視して婚約の破棄を宣言したのである。
「……当家は、この夜会にて娘のお披露目をしたかったのだが、きみ、その意図はご両親からお聞きかな?」
男が首を傾げた。
なぜ、私が娘のために催した夜会で彼の婚約破棄宣言を許さねばならないのか。
「私と妻は、娘のお披露目と社交界への門出を祝っていただきたいと思い、貴家のお父上に招待状をお出しした」
それがどうしたとでも言いたげな顔をやめろ。
きみの婚約破棄宣言のせいで娘のお披露目が散々だ。
きみの婚約者も別に当家の娘ではないのでどうでもいい。
娘のために開いた夜会を台無しにしてくれたので、大人げなく、きみの婚約破棄宣言を台無しにしてやろうではないか。
「相手のお嬢様には、きみのように浅はかな青年との婚約を破棄できたことにお祝いを述べておくが、きみには、この夜会にかかった準備の費用を請求させていただく」
男の顔が間抜けなほどの驚きを表に出した。
んむ? なにが意外であったのかよくわからん。
他家の夜会をぶち壊しておいて、なにも起きないとでも思っていたのか?
当家の娘は完全に巻き込まれ事故に遭っているが?
「いや、その」
男の父親が進み出て来る。
まず、夜会の進行が止まるより前、息子殿の愚挙が始まった時点で息子殿を外に連れ出して退散していただきたかったな!
「大変申し訳ございません、日を改めてご挨拶に参りたく」
そうじゃなかろう。
そこの愚息殿を連れて、帰れ。
「夜会の費用については後日」
「ああ、ご子息殿に請求するのでご懸念は無用。他家のご令嬢に向かって、家門の威光に頼ることを蔑んでいらしたのだ。まこと、ご立派なご子息をお持ちのようで羨ましい。家門の威光に頼ることなく夜会の費用をお支払いくださるに違いない」
だよな? 小僧。
婚約破棄を宣言した男は呆然とこちらを見ている。
は? できるであろう? 婚約者であったご令嬢に対して家門の威光に頼るだのなんだの威勢のいいことを言ったものな?
「あの……えっと……夜会の費用とは?」
……は?
「言葉のとおりだ」
「いえ、ですから夜会の費用というのは、ご令嬢のドレスとか、そういうことですよね? なぜ見ず知らずのご令嬢のドレス代を払わなければならないんですか?」
小僧、おまえバカか、バカなのか、バカなのだな?
「当家には50人の使用人がおり、この広間にはそのうち20人がこの夜会で客人をもてなすために控えている。当然だが広間の隅々に設けたテーブルには歓談の足しとするために用意した軽食や飲み物もある。ワインのなかにはこの夜会のためにわざわざ娘の年齢と同じだけ寝かされた瓶も含まれている。妻と料理長が今日のために考えたメニューには今の季節では手に入れにくい野菜を遠方から運ばせたものもある。つまり当然だが輸送費がかかっているな」
男があっけに取られている。
「きみはなぜこの場で、つまり、当家の夜会で、自分の婚約破棄を訴えようと思ったのだね?」
男が首を傾げた。
「この夜会は公爵様も呼ばれているというのですから、今日あの女に言えば、ここにいる誰もが証人になってくれるではないですか」
そうだな、ここにいる誰もが、おまえがバカであることを認める証人になった。
よし、宣言してやろう。
「当家は二度と、当家が主催する夜会に貴家を招待することはない」
私の宣言に、他家の当主夫妻が同調しているのが見えた。
おまえがしでかした不始末の巻き添えだが、おまえの家族は、二度と、当家が主催する夜会に招待することはない。
ご家族の落ち度なぞ、開始から私が口を挟むまでの時間内にバカ息子を止めなかった、というだけで十分だ。
婚約関係がどうなるかなど、どうでもよい。
本気で夜会にかかった費用を全額計算して請求する気もない。
まあ、請求するだけするが。
「そんな……私はただ、あの女が……」
「仮にもまだ婚約者であろうご令嬢を、あの女と呼ぶのはいささか品性を疑うね」
「え……」
「もしそのように呼ばれたのが自分の娘であったら、父として、そのような男と婚約させたことを後悔するね」
そしていま、恐らくご令嬢の父親も後悔していると思うね。
「愚息が申し訳ない」
本当にな! 去れ! もう愚息殿を連れて去れ! あと愚息殿が連れていた女も連れて行け!
「申し訳ない、本当に、申し訳ない」
男を連れて去っていく父親の謝罪が遠ざかりつつもエンドレスリピートされる。
もうどうでもよい。
娘のお披露目のため、娘の誕生日に合わせて開いた夜会だというのに。
これから一生、うちの娘は「社交界入りのお披露目を面識のほとんどない男に潰された」という思い出を抱えて生きていくことになるのだろう。
娘よ、お父さんはリベンジの場を設けるからな……。
あの家族を呼ばない夜会をな!
名前も考えなかった突発的思い付き短編の三本目です。
前後も続きも考えておりません。