70 時代劇
「さすが機関随一の天才調査員だな。察しがいい」
関谷は藻掻く涌井さんを乱暴に抱き、スマホを彼女の目の前に差し出した。
「さあ、この画面を押せ。指紋登録で契約完了だ。リアルワールドでこの女の本体を増幅装置に入れれば、巨大メタバースが出来上がる」
「嫌だって言っているでしょう?離してよ!」
「言うことを聞かなければ、アンタの大事なお友達を容赦なくボコるぞ」
関谷がスマホを素早く触った。
すると、何もなかった空間にスーツ姿の男達が20人ほど出現した。そのどれもが同じ顔と背丈。まるで1人の人間をコピーしたようだ。
「こんな簡単な事にてこずらせやがって。何が『私の満足』だ。こっちの計画は既に動き始めているんだ。お前らのように遊んでいるわけにはいかない!」
「なぜ、君はそんなに焦っているんだね?」
私の言葉に、関谷は鬼の面のようにカッと目を見開き、唾を飛ばしながら怒鳴った。
「う、うるさい!うるさいぞ!」
「なるほど。その民間企業から既に金を受け取ったという訳か。確かに形振り構っていられる状況ではないね。だが、こちらには君を擁護する筋合いはない。涌井さんを離しなさい」
「だ、黙れ。さもないと、お前から先に血祭りに上げるぞ」
スーツ姿の男達が腰を低くしてジリジリとこちらへ詰め寄ってきた。
「ねえ、関谷さんって、この夢を気に入ってくれたの?」
場違いとも言える涌井さんの唐突な問いに、関谷は腕の中の彼女を訝しげに見下ろした。
「私の夢を気に入ってくれたの?って聞いたの。答えなさいよ」
「当たり前だ。気に入ったからこそ、ここをメタバースにしたいんだ」
「ふうん。で、どこら辺が気に入るポイントだったの?決め手は?」
「どこって、限りなくリアルなオブジェクトや……」
言いかけて、関谷はハッとした表情で涌井さんを見た。
「おいおい。契約する気になったのか?!俺はあんたの夢、ぜんぶ好きだぜ。さあ、この画面をタッチしろ」
「ふうん。それを聞いて安心したわ」
涌井さんが微笑み、そしてパチンと指を鳴らした。
急に男達の姿にノイズのようなものが混じり始め、チョンマゲと羽織袴の武士へと変化した。
「なんだ?故障か?」
慌てた関谷がスマホの画面を乱暴に操作するが、状況は変わらなかった。
その時、涌井さんの夢Pがミストのように辺りを覆い、この場の全員が強制演劇力に飲み込まれた。
これは紛れもなく時代劇の雰囲気。
悪代官に捕らえられた町人の娘が、偶然通りかかった旅の一行へ助けを求める、というシーンが展開された。
「ああ、旅のお方。どうぞお助けください!」
涌井さんが弱々しく、我々に向かって訴える。
「ぬうう。小癪なジジイめ!お主はただの旅の者ではないな!?」
夢Pに飲まれた関谷も、先ほどの態度とは一変して悪代官らしい演技を行う。
夢の中の事を少しでも気に入れば、自分の世界に取り込む事が出来ると涌井さんは語っていた。
なるほど、さっきの会話はその確認をしていたのだ。




