67 キスは桃の香り
「なぜ、さっきから私の顔ばかり見ているの?」
手を合わせている涌井さんが、横目で私を見る。
「いや、ははは。今日の涌井さんは綺麗だなと思って」
「ウソ。何か言いたいことあるんでしょう?今日のみんなは、ずっとソワソワして変だったわよ」
彼女へ隠し事はできないようだ。私は思い切って昨夜の事を訪ねてみることにした。
「確か関谷君と一緒にいたよね。あれは……」
「あら。見ていたの?だったら一声かけてよ」
涌井さんはため息をつき、困ったように頬杖をついた。
「アイツったら訳が分からない事ばかり言うのよ。メタがどうしたとか、金が儲かるとか。私が嫌だと言ってるのにシツコイの。しかも挙げ句の果てには口説いてくるし。バッカじゃないかしら。ハンサムかもしれないけど、女たらしはお呼びじゃないわ」
メタバースの話をしても涌井さんの反応が悪かったので、口説き落し作戦を決行したという訳か。自分のイケメンを武器に何とか契約を取ろうとしたが、見事に撃沈されたのだ。
私はホッと胸を撫で下ろした。こんなことなら、もっと早く話を聞くべきだった。
石灯籠の列まで歩いた涌井さんが、パチンと指を鳴らす。すると一斉に蝋燭が灯り、見事に幻想的な光景となった。
「このお祭りはね、子供の頃にお父さんの地元で見た風景が参考になっているの」
「昔ながらのお祭りだね。最高だよ」
「でしょ?」
そして、大きな目で祭りの光景を見つめてぽつりと呟いた。
「もっと、こういう楽しい時間を過ごしたかったな……」
私は言葉がみつからず、ただ涌井さんを見つめた。
「ゴメン。暗い話になっちゃったわね。満足してきたから、この遊びも明日で終わりにしようと思っているの」
「本当に良いのかい?」
その問いに涌井さんは少しだけ黙り、寂しそうな笑顔で答えた。
「いつまでも、あなた方をこの世界に縛り付けておく訳にもいかないから……他人の夢の中に滞在しすぎると、心の病気になるかもしれないんでしょう?」
夏夜の風が柔らかに吹く。一斉に出店のガスランタンと提灯の炎が揺らめいた。
「ねえ……」
不意に呼びかけられて振り向く。
軽く目をつぶった涌井さんの整った顔が接近してきた。
柔らかく潤った唇が、私のそれと重なる。
突然のことに、私はそのまま直立してしまった。
胸の鼓動が一気に高鳴る。
ふわりと桃の香りが広がり、リップクリームだと気づいた時には、数秒間の接吻は終わっていた。
頬を赤く染め、瞳を潤ませた涌井さんが上目遣いに私を見る。女の色気を漂わせたその表情は、とても艶っぽかった。
「ふふ。心残りといえばコレかな……でも、止めとくわ。独り占めはあの2人に怒られるもの」
彼女はそう言うと、私の鼻を指先でツンと突いた。
「北村くんってモテモテね。そういえば、チィからハーレムの話を聞いたわよ。前向きに検討してくれって。あの子ったら、本当に面白いわ」
「ま、まいったな……」
「さあ。私達も縁日へ行きましょう」
涌井さんが私の手を握って歩き始めた。
「こんばんは」
背後から声をかけられて私達は振り返った。
そこにはスーツ姿の関谷が微笑みながら立っていた。




