55 パン泥棒
昼に差し掛かるころ、厨房で食事の支度をしている涌井さんから悲鳴が上がった。
食堂でバトルごっこの準備を続けていた私とミッキーは、何事かと廊下へ飛び出した。
厨房でドタバタと音が聞こえ、そこから出てきたのはあのバトン少女だった。
口に食パンの袋を咥えたまま、こちらへ向かって走ってくる。そのあとを追うようにエプロン姿の涌井さんが飛び出し、少女を指さして大声で叫んだ。
「パン泥棒よ!」
ミッキーが通せんぼするように手足を広げたが、少女は素早い身のこなしで彼女の両脚の間を子犬のようにすり抜けた。
ミッキーの背後で待ち構えていた私は、彼女の両脇をつかんで抱き上げた。
涌井さんがその口から食パンの袋を奪い取る。
「まったくもう。何だって食べ物ばかり狙うのよ」
「お腹がぺこぺこで……どこにいっても食べ物が無くて……」
「だったら素直にここへ来ればいいじゃない」
「闇の眷族達から食べ物を恵んでもらうなど、そんな卑しい真似ができるわけ……」
すると涌井さんがすかさず少女の耳をつねり上げた。
「人の食べ物をくすねる方が、もっと卑しいのよ。アンタは焼き肉も台無しにした前科があるんだからね。私は怒っているのよ!」
「イタタタ!ゴメンなさい。ゴメンなさい」
「ふむ。よろしい。では、昼食にしましょう。みんな席について」
さすが涌井さん。貫禄がある。
少女はよっぽど空腹だったようで、昨日のような敵意むき出しの様子とは一変し、大人しく言うことを聞いていた。
私とミッキーの間にチョコンと座った彼女は、出されたサンドイッチをあっという間に平らげてしまった。
「よく食べるわねー」
と、涌井さんが呆れている。
「馳走になった。とっても美味であった」
「ところで、あんた。名前は何ていうの?」
「私の名は光の戦士、沙羅光之姫じゃ」
「本当の名前の方を教えてください」
ミッキーがやや強めに問うと、少女は急に戸惑い始めた。
「ほ、星澤……千里……」
「星澤千里さん、ですね。中学校名を教えてください」
メモを取りながら質問を続ける。
「まさか、先生や親に言うのか?」
「場合によっては連絡することもあります」
「ま、待て。鏡を割ったことは謝る。それに星澤千里というのは仮の名。闇の勢力に存在を悟られないようにするためのカモフラージュなのじゃ。そもそも人間世界では光の戦士は……」
「ハッハッハ。あー何だかよくワカラナイわ」
怒りながら笑った涌井さんは、人差し指を少女の鼻の頭に押し付けた。
「で、あなたのことは何て呼べば良いのかしら?星澤さんでいいの?それとも千里?」
「だから、沙羅光之姫……」
「チィにしよう。はい決定。よろしくねチィちゃん」
「……あ……う」
少女は口をポカンと開けたまま何度も瞬きをしていた。
「じゃあ私達も自己紹介するわね。私は涌井。こちらは三木さん、通称ミッキー。こっちは北村クン」
「北村……ここでは、そのような仮のお名前なのですね。いつかお会いできると思っておりました、兄者」
胸の前で両手を握り、キラキラした目で私を見つめる少女。
何と返答すれば良いのかわからず、2人へ助けを求めようとした。ところが涌井さんが私を見てウィンクを繰り返している。
話を合わせろという意味だろう。
「兄者は、天界では剣王と呼ばれていた最強の剣士。あの武器は兄者しか扱えない光の剣じゃ。私に武術をご教授してくださったのも兄者……」
チィが私の手を取り、両手で握りしめた。涌井さんは今にも吹き出しそうに肩を震わせ、ミッキーはギョッとした表情で私と少女を交互に見ていた。




