9 合宿所へ
涌井さんは美しく、高校でも町でも目立っていた。
交際を申し込んだ男達は数知れず。だが、その全ては玉砕に終わり、在学中に彼女の隣に立った者は誰もいない。
私は偶然にも3年間同じクラスで、しかも、お互いの趣味が映画鑑賞だったこともあり、何かと彼女と接する事が多かった。
ひょっとすると『最も彼女の側にいる時間が長かった男子』かもしれない。
実は私も涌井さんに淡い恋心を抱いていた。誰にも打ち明けていない、青春時代の秘密だ。
高校卒業後は別々の大学へ進学したのだが、彼女は本格的にモデルの仕事を受けるようになった。
同級生の誰しもが「涌井さんはこのまま芸能界入りするだろう」と確信していたが、それ以降、彼女の姿を見る事はなく、話もパタリと聞かなくなった。
私も自分の大学生活に忙しく、彼女の事を高校時代の遠い思い出として記憶の隅へ追いやってしまった。
さて、我々はグラウンドの片隅にある合宿所へ向かった。
セーラー服のスカートを翻しながら軽やかに前方を歩く涌井さんは、何度もこちらを振り返ると、クスリと微笑んだ。
ああ、可愛い。
35歳にもなると、自分に笑みを見せてくれる女性など殆どいなくなる。それを思えば、異世界転生というのは、なかなか良いものだ。
合宿所は平家の古い建物だが、広い食堂とパイプベッドの置かれた居室が並ぶ本格的な作りだ。内部は荒らされておらず、なぜか電気も水道も厨房のガスも無事で、保存食や食器も山ほど見つかった。
4人分のレトルトカレーを作った私に、涌井さんが感心するように言った。
「へえ、慣れているわね」
「剣道部の合宿で何度も使ったことがあるんだ。さあ、食事にしようじゃないか」
彼女は吹き出して笑った。
「ぷっ。なんだかオッさんみたいな言い方ね」
「そういえば、王様ヒデと魔女塩原の姿を見かけないな。ついさっきまで近くにいたのに、どこへ行ったのだろう」
「邪魔だから部屋へこもらせておいた……」
「え?」
涌井さんが慌てたように「エッヘン、オッホン」と何度も咳払いをした。
「ええと、あの2人なら部屋へ引きこもっているわ。戦闘で失敗したのがショックだったんじゃない?そっとしてあげた方が良いわよ」
つんと澄まし顔で言った涌井さんは「いただきまーす」と、カレーライスにパクついた。




