プロローグ
上司をぶん殴ってしまった。
普段から部下へのパワハラやセクハラが多かったが、新卒女子社員の尻を触ろうとしている現場を見て、ついに堪忍袋の緒が切れたのだ。
頬を打たれた奴は、床に倒れたまま私を罵倒した。
「おい、北村!よくも俺を殴ったな!真面目だけが取り柄の35歳ヤロウ!趣味もなく、彼女も作れない、甲斐性もない……」
他にも何か言っていたような気がするのだが、こちらも興奮していたので、細かいところは覚えていない。
真面目で寡黙と言われている私が暴力沙汰を起こしたので社内は騒然となり、その雰囲気にいたたまれなくなって会社を飛び出した。
趣味が無いだと?失礼な。
私は映画が好きで、若い時は1年に百本以上も観ていたし、高校時代には仲間と一緒に自主制作映画を作っていたこともある。
内向的な趣味の代表格などと揶揄される映画鑑賞だが、好きなものは好きだ。
私の事を知りもしないパワハラ野郎に、プライベートの事をとやかく言われる筋合いはない。
しばらく歩いていると冷静さを取り戻し、実にマズいことをしてしまった、と反省と後悔の気持ちが湧いてきた。最低の上司だからといって暴力を振るうのは社会人としていけない事であった。
クビを覚悟して謝りに行こうか、それともこのまま帰宅しようか、と考えながら商店街をブラブラしていると、背後から人々の悲鳴が聞こえて振り向いた。
買い物客の間を縫うように軽ワゴン車が走り、こちらを目掛けて迫っていた。
避けようと思い、私が右へ移動すると車も右へ。左へ行くと車も左へ。
どういうことだ?と、理解しようとするも車はそのまま突っ込んで来た。
次の瞬間、私は跳ね飛ばされた。
強烈な衝撃と宙を舞う感覚。
そして、ゴミ収集所へ頭から突っ込んだ。
痛い、臭い、助けてくれと言おうとしたが、口がパクパクするだけで言葉が出ない。
身体に力が入らず、目の前がクラクラして明暗の繰り返しになった。人々の集まる足音や街の雑踏が聞こえていたが、やがて気が遠くなり、何も分からなくなった。