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 私は目を丸くしてシルチェスターとジノービアちゃんを見つめました。


「ランダル様とクロード様の頼み事って、何?」


 私の問いかけに、可愛らしいカップルが二人して同時に答えます。


「「アイシア嬢を、こっそりひっそり矯正施設まで連れてきてほしい」」


「ランダル様は、もう矯正施設にいるの!?」


 私は動揺しながら身を乗り出しました。アクアノート公爵は、まだまだこれからという口ぶりだったのに。

 ランダル様が今日来なかった理由がこれでわかりました。私のために時間を割けなかった理由が。

 普通に考えれば、婚約者の見舞いにすら来ないというのは恥知らずで不誠実なこと。関係修復のチャンスを自ら踏みにじったようなものです。


「アクアノート公爵こそが、私たちの心を隔てる厚い壁だったんだわ。どうしてもっと早く気がつかなかったのか……!」


 私は胸の前で両手を固く握り合わせました。

 理由は何ひとつわかりませんが、これだけは確かです。アクアノート公爵は、私とランダル様が『何かを』『ちゃんと』話し合うことを恐れている。


「デビュタントまであと一か月。大舞踏会は婚約者をお披露目する場でもあるから、婚約を解消する難易度が上がってしまう。アクアノート公爵は、私たちの仲が深まらないように、そして決定的に引き裂かないようにコントロールしている……?」


 ぶつぶつ言っている私を見て、シルチェスターが「ごめんね」とつぶやきます。


「ランダルから『先入観も偏見も一切ない状態で書類を見せてほしい』って言われてたんだ。それで『もしアイシア嬢の頭の中が疑問符だらけになったら、その疑問にすべて答えます』って。あとはえっと『一度話し合えば、彼女は罪悪感を覚えずに婚約破棄ができるだろう』って言ってた」


「疑問があるわ。ありすぎるくらい、あるわ」


 私は拳を握りしめました。もう心は決まっています。


「矯正施設へ行きましょう。私にはランダル様がわからない。何がわからないのかもわからない。このモヤモヤを解消するためならなんだってするわ」


 私は何物にも代えがたい決意を胸に立ち上がりました。気合漲る私を見て、ジノービアちゃんがちちち、と指を振ります。


「おねえ様、こっそりひっそりよ。私にまかせてちょうだい。クロード様から、何としてもおねえ様を連れてくるよう言われているから」


 ジノービアちゃんは両手を腰に当て、ふんぞり返って「おほほ」と笑いました。


「そのためにおじい様に協力を求めたのよ。おねえ様が我がマッキンタイア公爵家に保護されている限り、アクアノート公爵はあからさまにも、ひそかにも監視できないわ。それ以前に、おじい様の『友人』の排除に大忙しでしょうけどね。でも一応変装はしましょ、念には念を入れて!」


 おほほほほ、と高笑いする孫娘を、ヴァニオン様は目を細めて眺めています。

 シルチェスターがその場で駆け足を始めました。


「ランダルは、矯正施設行きは避けられないけど、またとないチャンスなんだって言ってた。会える場所はあそこくらいしかないって。でも、どれだけ時間があるかわからない。急ごう!」


 私たちは揃ってうなずき、大急ぎでエントランスに横付けされたマッキンタイア公爵家の家紋入りの馬車に乗り込みました。

 マッキンタイア公爵家のタウンハウスは隣の隣ですが『公爵令嬢たるものどんな短距離でも馬車移動』というのはジノービアちゃんの談です。貴族の邸宅が多く並ぶ道ですから、私がマッキンタイア公爵家にお世話になっていることを、道行く人々に知らしめることにもなります。


「ランダルくらいサイテーな男はいないと思ってたんだけどな」


 ゆっくり進む馬車の中で、私の向かいに座るシルチェスターがぽつりと言いました。


「アイシアが頭を打って気絶した後、あいつが適切な救護措置をとったんだ。なんかこう、きりっとしたプロフェッショナルって感じで、できる男のオーラが出てて──周りがつい指示を仰ぎたくなるような。全然ポンコツじゃなかった。『しばらく安静にしていれば、きっと元気になる』って言われてさ、俺、安心して泣いちゃったもん」


「どこをどう見ても、並外れて冷静で理性的だったわよね。野次馬が集まって来ちゃって、あの人、急いでシルチェスター様に書類を渡したの。それからクロード様に後事を託すと、集まった騎士たちに頭を下げていた。で、事情聴取のために連れていかれちゃったのよ」


 私の隣のジノービアちゃんが、思い出すように遠くを見る目をします。

 あの日のランダル様のことを、私はあえて聞かずにいました。罪悪感と恥ずかしさがあったし、どうしてもエイドリアナ王女殿下の顔が思い出されて、心がぐちゃぐちゃで頭も働かなかったから。


「そうだったの……」


 私は宙を見てつぶやきました。

 これまでのランダル様の印象はひと言で言えば、不測の事態に弱い人。いつも周りに振り回されているように見えましたが──彼の本当の人となりを、私はやはり知らないようですね。


 マッキンタイア公爵家の巨大なタウンハウスに到着した私は、ジノービアちゃんの侍女頭パティさん監修のもとで、人々の記憶に残りにくい徹底した変装をしました。

 パティさんの私服だという、町で働く女性が着ているような少し色あせたワンピース。通勤にいつも使っているという薄手のジャケット。

 これだけでも十分な気がしますが、パティさんは「まだまだです」と言って大きなトランクケースを開きました。中にはかつらや眼鏡などの小道具、メイク道具一式が揃っています。


「ジノービア様の侍女頭たるもの、どれほど困難な任務を与えられても難なくこなせなければなりません。時には舞台女優にも負けない演技力が必要になりますので、容易に変身できる道具を用意してあります」


 パティさんは覚悟を決めたような表情で、私をまっすぐに見ます。


「私は煙突掃除屋の女将、アイシア様は私の娘、ジノービア様とシルチェスター様は煙突掃除人です。矯正施設のある地域を縄張りにしている親方には、話をつけてあります」


「なるほど……煙突掃除屋なら、子供がいても不自然ではないですね」


 私は大いに感心しました。

 煙突掃除は危険な仕事ですが、建物によっては煙突が狭いため、体の小さい子供にやらせるしかないのです。前国王様は子供の煙突掃除を禁ずる法律を作ろうしていたそうですが、代替わりで立ち消えになったと聞きます。


「ちゃっちゃとやりますよ」


 パティさんはあっという間にシルチェスターとジノービアちゃんを変身させました。煤で汚れたシャツとズボン、目深にすっぽりと被れるキャスケット、手にはブラシとバケツ。煙突掃除人の定番のいでたちです。

 私は頬にそばかすを描いてもらい、大きな黒縁の伊達眼鏡をかけて、できるだけ顔を隠すことにしました。長い黒髪をぺたんこのお団子にしてキャスケットを被れば、思わず我が目を疑うほどの変貌ぶりです。

 最後にパティさんが私服に着替え、私たちは裏口で待機していた荷馬車に乗り、毛布を敷いた上に向き合って座りました。


「目的地まで一時間ほどかかります。途中でもうひとり乗せます。大仰に頭を下げたり、丁寧に挨拶の言葉を交わしたりしないでください」


 パティさんがこっそり私に耳打ちしてきます。私は黙ってうなずきました。

 よく晴れた日だというのに、私たちは終始うつむいていました。用心深く行動した方がいいですし、いかにも疲れた煙突掃除屋といった風情が出ます。

 さすがはマッキンタイア公爵家、荷馬車とはいえ乗り心地は決して悪くありません。しかし振動が眠気を誘うのか、走り続けるうちにシルチェスターとジノービアちゃんは眠ってしまいました。パティさんが移動し、彼らの帽子を良い具合に被せ直してやっています。


 少し先の道幅が広くなっている場所で、片手を上げて「便乗させてくれ」の身振りをしている男性の姿が見えました。

 御者はゆっくりと荷馬車の速度を落としていき、男性の前で停止させます。


「よかったら乗せてくれないか? 足を挫いてしまってね」

「貴族騎士様ですかい? 煙突掃除屋の汚い馬車でよけりゃあ喜んで。うちの連中と一緒になっちまいますが」

「構わないさ。座れるだけでありがたいんだから」


 そう言って乗ってきた男性──クロード様に、私はそっと会釈だけしました。


「お嬢さん、隣に座らせてもらいます。あまり距離を詰めすぎないようにしますから」


 私はやはり、そっと会釈をします。

 やがて荷馬車は人通りの少ない道に入りました。青々とした木々や作物の実る畑が広がる田園地帯で、畑仕事をしている農民たちの姿しか見えません。


「この辺りなら、会話を人に聞かれる恐れは少ないでしょう。どうしてもアイシア嬢と、人目のないところで話がしたかったんです」


「ランダル様のことですよね」


 私はしっかりした声で言いました。手は震えていないし、目も泳がないけれど、緊張はしています。

 クロード様が「そうです」とうなずきました。

 心臓の鼓動がスピードを増していくのを感じます。ランダル様のことを話せる、それが嬉しいのか不安なのか、自分でもよくわかりません。


「ここから先は話が複雑なので……ランダルと面会してもらうのが一番いい。でも彼の親友として、ひとつだけ聞いておきたいことがあるんです」


 すうっと息を吸ってからクロード様は話を続けます。


「アイシア嬢は……親の因果が子に報いるという俗説をどう思いますか? 父親が非道な行為に手を染めていたとして……あなたの家族の仇かもしれないとして、息子がその責任を相続すべきだと思いますか?」


 クロード様の優しげな外見に相応しい穏やかな声。そこにランダル様を守ろうとする強さが隠されているのを、たしかに私は感じ取りました。


「その息子さんに罪はありません」


 私はきっぱりと言いました。『家族の仇』という言葉の衝撃は強烈でしたが、邪悪な罪の転嫁をしたくはありませんでした。


「絶対にない。父親のようになるまいと思っている人なら、なおさら。たとえ仇の息子だとしても、結ばれる未来はないとしても、私は彼の言葉をよく聞き、その姿をよく見たい。今はまだ……ランダル様を知るための必須条件すら満たしていないから」


 私はクロード様に顔を向けました。決意をにじませた彼の目と、しっかり目が合います。

 クロード様は私をじっと見て──しばらくののち、それはそれは嬉しそうに笑いました。




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