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騎士寮で起こった悲劇──私が後ろ向きに転倒し、打ちどころ悪く意識を失うという、ひどく恥ずかしい出来事──から三日後。フォレット伯爵家の応接室には、私を囲んで数名の高位貴族が集まっていました。
「アクアノート公爵。いったい、どういうことになっているんですか?」
喧嘩腰ともいえるような表情で、叔父のキャントレ侯爵が言います。
「あなたの息子はアイシアの誕生日を勘違いした上に、デビュタントのエスコートはできないと言ったんですよ。婚約者として、あまりにもおぞましい行為だ!」
人前ではいつも笑顔を絶やさない叔父様が、不快感をあらわにしています。
難しい顔をしているアクアノート公爵にも見えるよう、叔父様はテーブルの上に一枚の書類を置きました。折り目や皺の目立つ、ひと目で安物とわかる紙です。
叔父様は書類を指さし、大声で読み始めました。
「アイシア・フォレット伯爵令嬢。✕✕✕年六月四日生まれ。十四歳。女相続人。婚約時の約束事として、月に一度フォレット邸にてお茶会を開くこと」
「これは……」
「三年前、あなたがランダルに渡した書類です。アイシアが意識を失った後、責め立てられたランダルがうちの息子に渡してきたんです。事が事だけに、弁明しないわけにはいかなかったんでしょう」
憤懣やるかたないといった口調で、叔父様は言葉を続けました。
「アイシアの誕生日を間違って教えたのが、まさか父親だったとは! こともあろうに我が国の宰相が!」
黙って書類を見つめるアクアノート公爵の表情は強張っています。
「アイシアの誕生日は六月四日じゃない、四月六日だ。字は少々乱雑だが、あなたが書いたものに間違いない。念のため、筆跡鑑定のプロに調べさせました。あなたらしからぬミスですね」
「たしかに、私の不徳のいたすところだ」
アクアノート公爵が穏やかに認めました。
「ランダルめ、まさか三年も勘違いしたままだとは。愚かな失態を演じたものだ。あれは昔からそうなんだ。職務に邁進するあまり、近視眼的で間抜けに見えてしまう。親として頭を抱えたくなってしまうよ」
心底困ったというふうに、アクアノート公爵はため息をつきます。
「とはいえ、息子ばかりを責めるべきではないな。こう言ってはなんだが……アイシア嬢のコミュニケーション能力にも、少々問題があったのではないだろうか?」
アクアノート公爵は、いわゆるお誕生日席に座る私を見ました。責めるというのではなく、優しく包み込むような眼差しで。
「おっしゃる通りで──」
「アイシアが悪いと言いたいんですかっ!」
叔父様が目を吊り上げて激高します。私は言葉を呑み込むしかありませんでした。
「姪はないがしろにされていたんですよ? 三年間ずっと! アイシアは見かけは明るいだけに、私はシルチェスターに……息子に言われるまで、アイシアがどんなに苦しんだか知らなかった」
「少しばかり大げさではないか? ランダルは騎士で、エイドリアナ王女をお守りするという誓いを立てているんだ。王族を守るという誓いは、あらゆる事柄に優先する」
「やむなく選んだ道であったと? 許す理由にはなりませんね。ランダルとエイドリアナ王女は常軌を逸している」
「騎士の名誉ある行動に対してつまらぬ文句は止めろ、キャントレ侯爵。息子が可哀そうで身を切られるようだ」
アクアノート公爵はただならぬ迫力で叔父様を見据えました。
「それに貴族の婚約は、共通の利益に基づいた共通の目標に向かって進むものだろう。アクアノート公爵家と繋がりを持てば、アイシア嬢の将来は安泰。今は息子の使命を第一に考えて、大目に見てやるべきだ」
「つまり『ひとりぼっちのデビュタント』でも我慢しろと?」
「その行き違いについては……誠心誠意対処する。デビュタント当日、アイシア嬢をそのように扱うことは決してない」
アクアノート公爵の言葉に、叔父様は鼻を鳴らしました。
「いまさら、平常通りにやれと言うんですか。他人になんと思われようとものともせずに、ランダルにエスコートされろと? うちの姪に、そんな並外れた度胸はありません。ランダルとエイドリアナ王女が、何ひとつ目に入らないほど恋に我を忘れ、二人だけの世界に閉じこもっていると、社交界はその噂でもちきりなんだ!」
私は心臓を鷲掴みにされるような苦しさを感じました。私の唐突な騎士寮訪問、その行為によってランダル様は面目を失ってしまったのです。
唇を噛む私をよそに、叔父様はアクアノート公爵をにらみつけ、さらに非難します。
「そして、アイシアの婚約が終わりつつあるという噂でもちきりだ。いくら今を時めくアクアノート公爵家でも、フォレット伯爵家をぞんざいに扱うのは思い上がっているとね。婚約破棄もやむなしだと」
「社交界の連中は、同情を装って面白がっているだけだ」
アクアノート公爵は淡々と応じました。
「ランダルとの婚約は、アイシア嬢のこれからの未来に有利に働く。フォレット領の安全を支えているのは我が家だ。ちょっとした行き違いで、すべてを棒に振る覚悟があるのか?」
アクアノート公爵は叔父様をにらみ返し、冷ややかに言います。
「長い目で見て、賢く考えることが必要だよ。そうだろうアイシア嬢。我が家からの支援に満足しているんだろう? それにランダルは、まだやっと半人前。これからは、あなたの期待通りの婚約者になろうと努力するだろう」
アクアノート公爵は慈愛に満ちた眼差しで、私に微笑みかけました。