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「クロスランドの新しき国王、グレゴール様万歳!」
小隊長が大きく声を張る。
俺の誕生日の数日後のことだ。王統譜に叔父トークルと叔母キャサリンの死亡が記録され、叔父の腹違いの弟グレゴールが王位を継承した。
叔父と叔母の死は謎だらけだった。
友好国のひとつであるクランデル王国に滞在中の『不可解な事故』は、新国王グレゴールによって『不幸な事故』に置き換えられた。
俺にわかったのは、彼らが湖を遊覧中に折悪しく突風に見舞われたということだけ。
なぜ、彼らのボートだけが転覆したのか。
なぜ、迅速な救助が行われなかったのか。
クランデル王国側も面子がかかっているはずなのに、捜査にエネルギーを費やすことはなかった。新国王グレゴールもそれを望まなかった。
騎士団の寮内では、前国王夫妻の急死によって利益を得た連中の噂でもちきりだった。騎士や見習いたちが寄り集まって、彼らの名前をこっそり挙げ連ねた。
まず、グレゴール新国王(彼は先々代の国王と側妃である男爵令嬢の間に生まれた)。
新王妃カレンと実家のカラザス侯爵家。
新宰相に抜擢された俺の父親コンラッド・アクアノート公爵。
そしてグレゴール王弟派の貴族たち。
彼らによる暗殺説も流れたが、明確な証拠などない。
何より前国王夫妻の間には男子がなく、ゆくゆくはグレゴールの息子エイモスに王位が引き継がれるはずだった。
我が国は女性の王位継承を認めていない。エイドリアナと結婚した俺が国王になるなど、子供の戯言に過ぎなかったのだ。
そして新宰相アクアノート公爵は前王妃キャサリンの義理の兄。そう遠くない未来に宰相になると目されていた。
つまり誰にも、積極的に暗殺を仕掛ける理由がないのだ。寮内に出回った暗殺の噂は、すぐに立ち消えとなった。
父が騎士寮を訪ねてきたのは、俺の誕生日から二か月後、騎士叙任式の一週間前のことだった。
貴族令息が家族と面会するためだけにある立派な応接室で、俺は二年ぶりに父と再会した(父は体面を保つため、一・二年に一度という超ロングスパンで俺と面会交流をしていた)。
「久しぶりだな、我が自慢の息子よ」
「……お久しぶりです、父上」
俺は父に向って頭を下げた。父がふんと鼻を鳴らして椅子に座った。俺も座って、テーブル越しに対峙する。
父はまだ三十代後半で、誰もが息を呑むほど端整な姿だ。
キャラメル色の髪を後ろに撫でつけ、強い光を放つ翡翠色の目に鎖付きの眼鏡をかけている。くっきり通った鼻筋、高い頬骨、角ばった顎。どれをとっても貴族的で、男らしさにあふれている。
「二年ぶりか。座学も実技もトップだそうだな。教育費を節約した割に立派に育ったじゃないか」
きっと俺の顔には悲しみや憤り、失望感が交錯していたことだろう。『教育費の節約』というひと言が、父の俺に対する愛情のなさを表していた。
十三歳の弟レイフ──表向きは使用人の子──は領地でめいっぱい甘やかされ、ありったけのものを手に入れているだろうに。
「さて、お前も十五歳になったわけだが。前国王夫妻か、エイドリアナ王女付きの騎士になれると踏んでいただろうに、その夢はもろくも崩れ去ったな」
俺は思わずたじろいだ。父は俺の腹を探っている。ここで否定しなければ、父の支配から逃れたがっていたことを肯定したも同然だ。
「……いいえ。お仕えする先は、父上にお決めいただくのが筋だと思っておりました」
俺は何とか言葉を捻り出した。どこにも逃げ場がないという極度の緊張感と、久しぶりに見る父の迫力に過呼吸に陥りそうだった。
父はそんな俺を無言で眺めていた。そしてやれやれというふうに笑う。
「お前はまぎれもなく母親似だな。ジョスリンは私を苛つかせる天才だった。何を言っても、何を言わなくても、無性に腹が立つんだ。相性が悪いのだろうな」
俺は悲しくなった。たしかに俺は父よりは母に似ている。しかしそれを言うなら、弟のレイフもまぎれもなく愛人似だ。理屈抜きに嫌われているのだと実感させられた瞬間だった。
父は「まあいい」とため息をつき、自分の顎に手を当てた。
「さて、お前の出仕先だが──エイドリアナ王女殿下がよかろう」
返事ができない。父の魂胆がわからない。なぜなら、今のエイドリアナに嫡男を仕えさせることは、貴族として決して割のいいことではないからだ。
両親の死の翌日から彼女の世界は一変した。新国王夫妻からエイドリアナが受けている扱いときたら、不当だとしか言いようがなかった。
王族費の削減、人員整理の開始、古ぼけた離宮への追放。彼女の周囲には、先行き不安がもたらす不穏な空気が漂っているらしい。
(従妹を助けたいという気持ちはある。父親の采配に感謝しろとでも言うつもりか? いや、異常なまでに権力に執着するこいつが、好きに使える駒で何の得にもならないことをするはずが……)
父は打算的で、自分の得になると見た人物には愛想を振りまく男だ。
俺は成長するにつれ、母が病床でつぶやいていた言葉を思い出し、整理し、深く理解するようになった。
こいつが母を選んだのは、出会った当時の彼女が『次期王妃の姉』で、持参金がたっぷりあったからだ。
首尾よく婚約、結婚して母を領地に閉じ込めた直後に、父は本性を露わにした。母が妹に当てて書いた手紙を検閲し、筆跡模写の名人に書き直させた筋金入りの悪人なのだ。
母が死んだとき、叔母はエイドリアナを生んだ直後で葬儀に参列できなかったから、父の悪行がバレることはなかった。そう、父は運も強い人間なのだ。
「何を考えている」
父の鋭い眼光が俺を射抜く。
俺は父を真っすぐに見返した。騎士団で八年揉まれ、辛い生活を乗り切ってきた。多少の勇気はついて当然だ。
「父上の狙いは、いったい何ですか?」
「生意気な質問だな。まあ、年齢相応の知恵がついた証拠だが」
父はふんと鼻を鳴らした。
「我々がエイドリアナ王女を助けなかったら、いったい誰がやれると言うんだ。特に従兄であるお前以上にできるやつはいないじゃないか──というのは建前で」
父は立ち上がるとテーブルを回り込み、俺の肩に手を置いた。
「これは政治的な行動だ。前国王派は弱体化していて、急速にその勢力を減らしている。だが、エイドリアナ王女を中心にしぶとく生き続けるだろう。お前は彼らの様子を逐一報告するんだ」
「俺に……スパイになれと言うんですか」
俺はあっけにとられた。そして父を見上げた。
一見誠実そうな顔をしているが、よく見ると目が据わっていて、逆らえば何をされるかわからない怖さがある。
「お前たちは、以前は仲のいい従兄妹同士だった。身内の問題だからと言えば、エイドリアナ王女のプライベートな空間に入り込むことも可能だろう。いたわりの言葉をかけ、心を開かせろ。そして両親の死は不幸な事故であると言い聞かせるんだ」
「なぜ……キャサリン叔母様たちの死は、不幸な事故ではないのですか?」
「不幸な事故さ。だがキャサリンは妊娠していた。まだ安定期に入る前だったから、公表されていなかった。知っていたのは前国王とエイドリアナ、ごく一部の使用人、それから私だ。そして外遊を取りやめないよう進言したのも私だ。だからエイドリアナは私を疑っている」
父が身を屈め、俺の耳元で囁く。
「まさか、父上は……」
父が何を言っているかわからない。理解したくない。こいつが前国王夫妻を殺したのかもしれない。
「とんだ濡れ衣だ。しかし前国王派と完全に分断してしまえば、エイドリアナは何もできまい。お前が王女付きの騎士になることは、表向きは母の遺言ということにしておく。上手くやれよ。『私たち家族』の幸福がかかっているんだからな」
息がかかる距離で、父はにやりと笑った。
「一年以内に婚約者も選んでやる。『私たち家族』の役に立ちそうな娘をな」
父の言う『家族』に、俺が入っていないことは明白だった。
俺は呆然として、応接室を出ていく父を眺めていた。そして呆然としたまま一週間後騎士叙任式を迎え、エイドリアナ王女付きの騎士になった。
「何しに来たの、卑怯者」
八年ぶりに再会したエイドリアナの第一声はそれだった。俺は周囲から彼女のナイトのように思われていたが、現実はまるきり違っていた。