8話 遭遇する肥満
当たり前の話だがこの異世界では元世界のように真夜中まで甲斐甲斐しく社会に貢献する社畜も、そんな彼等が眠る為だけに帰る家へと運搬する車も、生活を支える貨物列車も存在しない。
訳の分からない虫の鳴き声以外聞こえない不気味過ぎるほど静かな森で寝たのか寝てないのかも分からないような状態で一晩を明かした燈生は、忙しない鳥達の声にせっつかれ、起こすのが億劫すぎる身体に鞭打ち行動を開始する。
「んぅ…腹減ったなぁ…」
今が何時なのか分からないが昨日から水以外何も口にしていない。
流石に100kgある身体を動かすためには栄養が不可欠である。特に食い意地の張った燈生の場合。
しかし燈生はムキムキマッチョのエリート特殊部隊の一員などではなく何の変哲もない普通のサラリーマンである。
当然罠なんて立派な物を作る技術なんてあるはずも無く、何かしら狩って食べようにも武器が無い。
というか鳥は手が届く範囲にすら来ないし、鹿とかならまだしも仮に猪や熊なんか出ようもんならもう最悪だ。
せっかく始まった2度目の人生死因が前世と同じ野生動物による捕食なんてまっぴらである。
極限の燈生が回らない頭を必死に回し、考え出した答えが野兎、即ち素手でもまあなんとかなるであろう小動物だった。
幸いにも火はある。なんだって焼けばなんとか食えるもんだ。煙草は百害あって一利なしなんて医者は言うけど吸ってて良かった。
やっぱり医者の言うことなんて聞くもんじゃないね。(小並感)
そんなこんなで行動指針が決まった燈生はまだ身体が動くうちに急いで兎を探すために彷徨き始めたのだった。
水場というのは野生動物にとっても必要不可欠な要所だ。
とりあえず川に沿って遡上していけば何かしらの動物に出会えるはずであるという本で読んだ知識を元に川を遡り始める。
「にしてもピーチクパーチクうるせえ鳥だな。」
ただでさえ腹が減ってイライラしているのに大人しく食われる訳でもなしに頭上をやかましい鳴き声を上げながら飛びまわる鳥に悪態を付きながら歩いていると今まで鬱蒼と生い茂っていた木々がパッと開けて広めの池に出た。
ゲームで言うならチェックポイントだなこりゃと少し感動していたその時だった。ドスンドスンという何かの大きな生き物の足音のような音が空気と地面を揺らした。
慌てた燈生は咄嗟に木々の間に姿を隠して息を殺しながら様子を伺うとその身体を強ばらせた。
「なんだありゃあ…っ!人…、虫!?」
細木をなぎ倒しながら現れたそれはなんというか酷く冒涜的な見た目をした巨大なイモムシだった。
目測で1.5mはあろうかというその巨体の腹部から下にはまるで地獄の釜で藻掻き苦しんでいるような形相の人間の上半身が付いており、イモムシがその身体を動かす度に力無く地面に擦り付けられ、人間の顔に当たる部分は削れて真っ黒になっていた。
その人面イモムシは何かを獲物を探すように池の周囲を見回すと、再びドスンドスンという重い音を立てながら徘徊し始める。
「クトゥルフのバケモンかよ…!」
思わず後退りをしようと足を後ろに踏み出した燈生の足元からイタズラな小枝がパキリと音を立てイモムシに隠れた獲物の存在を報せるのと燈生の隠れていた隣の木に何か白い糸のようなものが物凄い音を立てて突き刺さったのはほぼ同時であった。
「うぉぉおっ!!?」
驚いて尻餅を付くと隣にあった木は鈍い音を立てて倒れ、思わず振り向いた先には完全にこっちを捕捉し、食出がありそうな獲物を見つけてラッキーとばかりに猛スピードで近寄ってくるイモムシの姿が映った。
「っ!っっ!!」
声すら出ないままその場から逃げ出そうと手足をバタつかせる燈生の手足は何とか生きようとする意思に反して、全く思い通りに動かない。
竦んで立ち上がらない足腰をぶっ叩いて再起動し、なんとか立ち上がるが走り出そうと思考する頃にはもうイモムシ型の死神が目の前に迫っていた。
「ふざけんなっ、動けよこのっっ!こんな…っ」
涙目になった燈生が二度目の人生に覚悟を決め、思わず目を瞑った瞬間、池の中から水を叩く轟音を鳴り響かせながら現れたイモムシよりも一回りも大きな魚影が目の前の死神を一吞みに捕食した。
「クソッ!何なんだ次から次に!」
割って入るように現れたその3mは悠に超える巨大な黄色い魚は、口からはみ出したイモムシの人型部分もチュルンと綺麗に飲み干すと、飲み込んだイモムシ分体積の広がったその身体を覆っている鋭利な鱗をスパイク代わりにしてズリズリと這いずって池に戻ろうともがいていた。
その時、空気を引き裂くような音を立て猛スピードで空から飛翔した大鳥が鋭い鉤爪をもって魚を鷲掴みにして連れ去っていった。
「もうどうにでもなれ!殺すなら早く殺しやがれー!!!」
お次はなんだ?どんなモンスターだ?
いつどんなモンスターが現れてついでに俺を捕食するか分からない。
現代日本のぬるま湯のような生活に浸かっていた燈生に突然叩きつけられた苛烈な食物連鎖に思わず情けない思いを何故か強気に叫んでいた。
まるで突然の銃撃戦の最中に放り出された子供のようにうずくまって、耳を塞ぎながら喚いていた燈生は再び静寂に包まれた池の淵で呆然と打ちひしがれていた。
来る世界を間違えた!!!!(ドン!!)
切実にそう思った。
チュートリアルを用意しやがれ。
脅威が去ってから今更素直になり始めやがる足に指令を出して立ち上がって空を見やると先程まで俺の生命を終わらせかけていたクソデカモンスター共をその鋭い鉤爪に引っ掛けて悠々と飛行していた鳥が地上から何かしらの飛翔物に貫かれて墜落していく姿が目に入った。
もう無茶苦茶だ。空腹なんてどっか飛んでいった。帰りたい。
今回は何とか助かったがこんなゴタゴタが毎日のように起きるような異世界に武器も無しに放り込まれたんじゃ俺の寿命はもう1週間も無い。
残酷すぎるほど残酷な現実に打ちひしがれ、燈生は静寂が戻った池のほとりで一人項垂れるのだった。
主人公1人だと心情と台詞とナレーションの書き分けが難しいですね。