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【恋愛 異世界】

大賢者と魔法使い

作者: 小雨川蛙

 

 ある年老いた大賢者が静かに眠りにつこうとしていた。

 髭も髪も雪のように白く染まり、古木を思わせるような褐色の肌には皴が数えきれないほどある。

 命あるものは死に近づくたびにあらゆるものが深みを増していく。

 少なくとも大賢者はそう思っていた。

 あらゆる世界を旅をして、あらゆるものを見て来た。

 しかし、こうして死にゆこうとしている、この時。

 懐かしき故郷の農村で、最後の弟子である十二歳となったばかりの少女を見つめていた。

「逝かないでください」

 少女の声が聞こえ、それと同時に大賢者は自分の手のひらが包まれるのを感じた。

「すまないな。それは出来ない」

 大賢者の言葉にまだ十二歳になったばかりの少女は両目に涙を溜めたまま頷く。

「はい。分かっています」

 数えきれないほどの弟子を取り、そのいずれもが大成した。

 大賢者にとって後半の人生とは後進を育て上げることが最大の楽しみだった。

 だからこそ、悔いていた。

「許してくれ。お前を育てきれなくて」

 自分の寿命を読み違えたこと。

 それは数少ない大賢者の過ちの一つだった。

「いいんです。賢者様。私はあなたと共に居れたことが幸せでした」

 その言葉に少しだけ救われた。

 彼女には素晴らしい素質があったが、その魔力や知識はまだまだ発展途上で大賢者にとって彼女を育て上げられなかったことが最大の後悔だった。

「私は私の望むままに歩み続けます」

 その強い言葉を受けて大賢者は安堵する。

 彼女は自分が死んだ後も歩み続けてくれるのだ。

 少しずつ、近づいてきた死がもうあと数歩の距離にまでなったのを感じ、大賢者は最期の力を振り絞って身を起こして彼女を見つめて言った。

「許してくれ」

 彼女が無言で先を促す。

「君の気持ちに応えられなかったことを」

 その言葉は大賢者が持っているあらゆる言葉よりも美しく透き通り世界に沈んでいく。

 しかし、それを幼き少女は優しく拾い上げる。

「いいんです」

 彼女は泣いていた。

「私は私の望むままに歩み続けますから」

 その言葉を受けて、大賢者の体から静かに力が抜けていく。

 これで終わりなのだ。

 そう理解しながら、大賢者はそのまま決して目覚めない永き眠りについた。


 私には卓絶した素質があった。

 しかし、その素質故に他者と分かりあうことが出来ずにずっと独りきりだった。

 この孤独は決して消えることはないのだろうと半ば諦めていた時、彼に見出された。

 押しつぶされて息をすることさえ放棄しそうな心が感動に震えていた。

 自分と同一と確信出来る存在がそこにいた。

「私の下に来なさい。その苦しみから解放してやろう」

 皴だらけの褐色の肌に。

 凍えそうなほどに白い毛色に。

 錆びついていて、聞き取りづらい声に。

 私は気づけば心を奪われていた。

 そう。

 私にとって、苦しみ続け解放を願っていた孤独感さえ一気に消し飛んでいたのだ。

 全てがどうでも良かったの。

 ただ、この人の隣に居たいと願った。

「ぜひ、あなたの下に」

 日々を共に過ごす内にその想いは収まるどころかさらに膨張していき、遂に耐え切れなくなった私は百に迫る歳の差がある彼に思いの丈を伝えた。

 すると彼は酷く困惑をした様子で、それでも私の気持ちが本心であると知ると、この想いを受け止めて優しく伝えてくれた。

「その気持ちに応えることは出来ない。許してほしい」

 泣きながら私は問う。

「何故ですか」

 彼は穏やかに伝えた。

「我らは歳が離れすぎている。それに私は直に枯れゆくのに対して君はこれから花開くのだ。せっかく孤独から救われたのだ。また独りになることもあるまい」

 その誠実な答えは私を打ちのめしたが、同時に一つの決着をもたらしていた。

 きっと、彼は生涯、自分を受け入れてはくれないだろう。

 静かに受け止めた事実。

 そっと手を放そうとした直後。

 私は気づいた。

 生涯受け入れてはくれない。

 ならば、死後ならば?


 大賢者は不意に自身に意識が戻るのを感じた。

 眠りは想像よりもずっと短かった。

 いや、短いなんてものではない。

 瞬きの時間にも満たない。

 馬鹿な……。

 そんな混乱の中、目を開く。

 そこに広がっていたのは最期の光景と確信したものと寸分違わぬもの。

 年若き弟子は涙の跡どころか、未だ涙を零し続けながら笑っていた。

「あなたの生はもうあなたのものではない」

 大賢者の全身に悪寒が走る。

 なりふり構わず魔力を放とうとした。

 しかし、自分の内にあるものは何一つ反応しなかった。

 魔力の宿る言葉を口にしたが、それは空しく地に落ちていくばかりだ。

「無駄ですよ」

 少女の言葉に大賢者は呆然としたまま見返した。

「一度死んだあなたはもう、あなた自身のものでさえない。私のものなんです」

 大賢者はもちろん知っていた。

 死者を蘇らせる恐ろしき魔法の言葉を。

「まさか……」

 自分の口から言葉が出て来たことに大賢者は自分でも驚きながら少女に言った。

「私を蘇らせたのか?」

「違いますよ」

 少女の顔に不気味なほどに美しい満面の笑みが浮かんだ。

「縛っているんです。二度と私から離れないように。あなたはほとんど自由ですが、私の意に反することは出来ません」

「お前の意に反することとは?」

「私を否定することです」

 大賢者はしばし戸惑い、やがてぽつりと言葉を落とした。

「愚か者が」

「構いません。私はあなたのように賢き者になるつもりはありませんから」

 直後、大賢者は思い出す。

 彼女の言葉を。

『私は私の望むままに歩み続けますから』

 そして、ため息をつく。

 悪寒が静かに消えていき、残ったのは呆れだけだった。

「魔の法を操る者になるのか」

「はい。そのつもりです」

「愚か者が」

 言葉を繰り返して大賢者は身軽になった体を起こしてベッドに腰掛ける。

「口を酸っぱくして教えたはずだ。言葉に魔力を込めるのと、魔の法を操ることは全く違うことだと」

「ええ。存じております。魔法の恐ろしさを知る故に皆は自らを律する賢き者になるのだとも」

「それを知りながらこんなことを成すとはな」

 少女は首を振って言った。

「見せたはずです。私の想いを」

「あぁ」

 目覚める直前に見ていた光景を思い出す。

 おそらくは彼女があえて見せた光景なのだろう。

「独りになるのは耐えられます。けれど、あなたを失うのは耐えられません」

 そう言うと同時に彼女は大賢者の胸に飛び込んで年相応の声で大泣きをした。

 大賢者はいつものように彼女の頭を撫でようかと思ったが、少し考えた末にその小さい体を抱きしめ返した。

「愚か者が」

 三度繰り返された呆れ言葉を受けながら少女は泣き続けた。


 数日後、私は彼と共に故郷を発った。

「どこに行きたいですか?」

 私の問いに彼はため息交じりに答える。

「一先ずは多くの土地を巡ろう。お前に見せておくつもりだったものが数えきれないほどある」

「それが済んだらどうしますか?」

 私が何を言ってほしいのかを知りながらも彼は明言を避ける。

「お前が構わないなら共に試してみたいことが幾つもある」

「幾つもですか」

「私もまた自分と同格の人間が今までいなかったものだからな。結局試せなかった実験がたくさんあるんだ」

 その答えが嬉しくて私は彼に尋ねた。

「なら今からでもやってみませんか? ずっと実験をしたかったのでしょう?」

「愚か者が。今のお前では未熟すぎる」

 そう言って前を歩き出す彼の背を私は追う。

「先のことはまだまだ分からんが」

 前を行く彼が私に向けてぽつりと呟いた。

「知りたかったことを知る機会を作ってくれた。その一点のみには感謝してやる」

 その言葉があまりにも嬉しくて私は駆け出しその背に飛びついた。

「重いぞ。愚か者」

「良いじゃないですか。今は元気なんだから」

 私の声に彼は呆れ笑いで答える。

 陽光に照らされた、暖かな風の吹く大地を私達は二人で歩き続けた。



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― 新着の感想 ―
[良い点]  同じ魔法使いの解釈を考えた事があるのですがファンタジーを殆ど書かない私には、物語としての使い方に幅を狭める設定のように思えていたもので、そこに答えを示されたような感覚と共にその設定にも皮…
[一言] どこがローファンタジー(現代にファンタジー要素追加したジャンル)やねん、ハイファンタジーやないか
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