異世界移転魔導装置 ”枢”
異世界修繕魔導部の一角にある窓の無い広い空間の中央に、名だたる錬金術師が精錬し、膨大で高度な魔導術式が刻み込まれた魔石を用いた魔導装置が設置されている。異世界に転移する為に作られたこの装置を使って、異世界に渡る事が出来るのは、転移に対する抵抗が少ない”クロス”の名を冠するものだけだ。
エルドは部屋に着くと手早く特務第三部隊の制服を脱ぐ。ホールのひやりとした空気が一糸まとわぬエルドの肌を撫でる。異世界にこちらの物を持ち込むと転移時に抵抗が起こる。その僅かな抵抗は予期せぬ大事故に繋がる事がある為、異世界に渡る際には衣類、アクセサリーなどの装身具は一切合切身につけることは出来ない。
いつものように枢の横に置かれた棚から術式を馴染ませやすくする薬を手に取るとトロリとした液体を一気に煽る。毎度のことながら口の中に残る薬草独特の甘ったるさに辟易とする。
(何回飲んでも慣れないな。味の改良については薬師の今後の努力を期待するしかないか)
魔石に手をかざし魔力を流し込みクロスの血脈であることを照合すると、黒い魔石はわずかに光を帯びて起動状態になる。同時に退化の術式を詠唱する。エルドの低い声で紡がれる術式は密閉率の高い空間に反響し不思議な響きを持って広がっていく。魔力によって可視化した術式はエルドの全身に絡みつくと、発動した退化の術によって体は、見る間に縮んで再構築されていく。
続いて異世界に安全に渡るための転移シールドの術式を発動させると、何もない空間からゴポリッと沸き出した防御膜の泡が小さくなったエルドの全身を覆っていき、強靭な球体状の防御壁が完成する。
異世界へと続く時空の扉は世界に及ぼす影響が出ないように最小限のサイズであることが望ましい。それ故に小さな扉を潜る為には自身の体積をより小さくする必要性があった。その結果、開発されたのが退化の術式だ。退化の術が発動している間、無防備な状態になるクロス達を守るのが転移シールドの術式である。エルドは二つの術式が正確に作動している事を確認すると、副官のアイリーンに通信を入れる。
『準備完了。リン解錠を頼む』
『了解。思念通話良好。解錠は受理されました。枢の開閉まで、5・4・3・2・1・0』
涼やかな女性の声でカウントが始まると、それまで何も無かった魔石の間に魔方陣や術式が幾重にも重なった光の扉が現れ、金属同士が擦れ軋む様な耳障りな音をたてながらゆっくりと開いていく。扉が開ききると、桃色の淡い光に包まれた球体はぐうぅんっと扉の中に吸い込まれていった。