12
気づいたら全て終わっていたというのはなんだか情けない話だけれど、私が目覚めた時には大抵の事は終わってしまっていた。
あれから一週間程、私は眠り続けていたらしい。
私の意識が消えた後、刻印から伸びた茨が私を覆うようにして薔薇の棺を作りあげ、手を伸ばすと弾かれてしまいジルベルト様も触れる事が出来なかったのだという。
「その姿は神々しくて、さながら本当の女神のようだったわよ!」と圧の強い顔を近づけて、激しい熱量で語ってくれたのは人蝶族の仕立て屋、アイリスさんだった。
「お城に物凄い量の魔力が集まるのを感じたから、何事かと思ってたんだけど、ドレスを届けに来たらえらい事になってるじゃない。メルクリスは泣いてるし、びっくりしたわよ」と、アイリスさんは当時の様子を語りながら私にドレスを着せてくれた。
謁見の間で棺の中に入ってしまった私をそのままに、異種族の王たちを集めた晩餐会は開かれたという。
せめて目覚めるのを待っていてくれたら良かったのに。
アスタロトに言わせれば「だっていつ目覚めるかも分からないし、僕たちの時間は長いからさっさとリディスちゃんの事を皆に認めてもらって、起きるのを待つことにしたんだよ」だそうだ。
「薔薇の棺の中のリディスさんはとても美しかったですし、俺たちよりも更に強い力を感じたので、リディスさんが王妃になることを反対する者なんて誰もいませんでした。……まぁ、あなたを失ったジルベルトの様子がそれはもう恐ろしかったということもありますけれど」というリアに、シュゼルは「それは、世界を作った神の力」だと言い当てた。
そういえばシュゼルは、図書室でカミシールの存在を一度感じている。精霊族の王である彼は他の魔族よりも更に魔力に敏感だという。
アスタロトはシュゼルの言葉に「なるほどねぇ」と納得していた。それ以上の事を聞こうとしないのは「だって終わった事だし、リディスちゃんがこうしてまた元気でいてくれてるだけで、十分」だからだそうだ。
シンシアさんについては、「……生きてはいた。女神の存在は、体から失せた」とシュゼルが教えてくれた。カミ様は約束を守ってくれたようだ。
カミ様がエルヴィーザ様をきちんと教育しなおしてくれると信じたい。
ラファエル様はシンシアさんのことで罪悪感があったのだろう。
オーキスと共にシンシアさんを連れて国に帰ったらしい。「……諦めたわけじゃない」と言い残したラファエル様について、アスタロトは「エヴァンディアは元婚約者かもしれないけど、順番的には四番目の愛人志願者だからね、僕が一番目だからねリディスちゃん」と言っていた。
ジルベルト様は私の傍を片時も離れず、謁見の間の椅子で日々を過ごしていたらしい。
唐突に薔薇の棺の中から解放されるように落ちた私を抱きとめて、泣きながら私を呼ぶ姿が大変可愛らしかったので、記憶に残しておこうと思う。
目覚めた私は、メルクリスに全身の手入れをしてもらった後、アイリスさんによって仕立てられたドレスで飾られた。
本当なら晩餐会で着る予定だったそれは生地が多く体を隠す作りだけれど、レースを使い肌が透けるようになっていて、身に纏っても重たい雰囲気にならない。
金の耳飾りをつけて、きらきらと輝くヴェールを顔にかけられる。
「リディちゃん、ばっちり可愛いわ!」
「今日のリディちゃんは、世界一よ!」
頑張ってねとメルクリスが私の肩を叩き、アイリスさんは何故か私のお尻を叩いた。
戸惑いながら礼を言う私に、二人は力強く頷く。
メルクリスとアイリスさんが出て行って、部屋で待つ私の元にジルベルト様が訪れたのはもう暫くしてからの事だった。
ジルベルト様は、かつてラファエル様と対峙していた時に着ていた黒い服に身を包んでいる。
燃える様な色合いに変化していた髪は元に戻り、背中にはえていた羽も消えている。
あれは急に結界の保持に割いていた魔力を体に戻した副作用らしい。
いつもの見慣れたジルベルト様は、やや緊張した面持ちで私の前に立つと、私の腰に腕を回した。
「体調は問題ねぇのか、リディス」
「えぇ、すっきり爽快な目覚めでしてよ。ジルベルト様が即位なさった大切な時に、眠ってしまい何もできなかったこと、申し訳なく思いますわ」
「そんなことは、別に構わねぇ。……お前の合意も得ずに、婚姻の披露をしたことは怒ってねぇのか?」
「今更ですわ。いつ目覚めるともしれない私を王妃にして良かったのかとは、思いますけれど」
「……目覚めるまでずっと、傍に居るつもりだった。目覚めなくても、手放す気は無かった」
腰に回した手を引き寄せて、そっと抱きしめられる。
優しく髪を撫でられる心地良さに、私は目を細めた。
「ルシスに支配されたとき、俺はお前に酷い態度を取っただろ。悪かった」
「私も、隠し事をしていましたわ。……私、シンシアさんという方が女神の器だと、気づいておりましたのよ。あなたに伝えていれば、何かが変わっていたかもしれないのに、言えませんでしたの」
窓の外から、橙色の夕方の光が差し込んで、室内を幻想的に照らしている。
結界がなくなった空は、薄ぼんやりとしていた霞みがかったものから、透き通った美しいものへと変わっている。
一番初めの星が、ちらちらと夕焼けの空に輝いているのが見える。
「……もう知っているとは思いますけれど、私一度命を落としておりますの」
小さな声でそう言うと、胸のつかえがすっととれたような気がした。
ジルベルト様が私を抱き上げて、ベッドまで運ぶ。
ベッドの上に横たわると、ドレスが波のように広がった。顔を覆っていたヴェールを外される。私に覆いかぶさるジルベルト様の顔がはっきりと見えるのが、なんだか恥ずかしい。
「無理に話さなくても良い。お前が俺の傍に居てくれるんなら、過去の事なんて別にどうでも良い」
「懺悔のようなものなので、嫌じゃなければ聞いていただきたいのです。……私、一度死んでいるからこそ知っている事を利用するのは卑怯だと、心の中でずっと言い訳をしておりましたわ。……本当は、あなたが奪われることが怖くて、言えなかったの。……情けない事ですわ」
公爵令嬢として、王の伴侶としてはあるまじき心の弱さだ。
目を伏せて己を恥じる。
ジルベルト様は私の隣に体を横たえると、強く私を抱き寄せた。私はその胸に頬を寄せて、過去を思い出しながら言葉を紡ぐ。
「一度目の私は、ラファエル様の婚約者でしたわ。王立学園に通い、十八の時にシンシアさんを虐げたという身に覚えのない罪で、娼館に送られました」
「エルヴィーザに、嵌められたんだな」
「ええ、多分。……娼館に向かう途中、馬車が崖から落ちて一度目の私は終わりました。そして、世界を創った創造神のカミシール様に、もう一度十六歳から、やり直させて頂きましたの」
「エヴァンディアと、やり直そうとは思わなかったのか?」
「思わなかったから、あなたの隣にいますのよ」
「そうか。それなら、俺にとっては幸運な話だな。お陰で俺は、女神も霞むほどの完璧なリディスに出会えた訳だ」
笑みを含んだ声で、ジルベルト様が言う。
私は嬉しくなって、ジルベルト様の首に腕を回して思い切り抱きついた。
「完璧な美少女にして、あなたの良き伴侶になる予定の私ですけれど、……二人きりの時は、少し甘えても良いでしょうか」
「あぁ、是非そうしてくれ」
「……ジルベルト様、大好きです」
気恥ずかしくて、幼い少女に戻ってしまったような感覚を味わう。
愛しているとさえ言うことができないなんて不甲斐ない。感情を伝えるのが胸がいっぱいになるくらい幸せで、同じぐらい恥ずかしいだなんて、知らなかった。
「愛してる、リディス。……体が辛かったら、言ってくれ」
目を伏せると、唇が重なる。
ようやくジルベルト様のものになれるというのに、緊張と羞恥心が優ってしまい、気の利いた言葉をなにひとつ言うことができなかった。