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採寸が終わった事をアイリスさんが隣室へと伝えると、メルクリスと共にジルベルト様が薄桃色の絨毯の敷かれた部屋へと入ってきた。
どちらかというと野性的な雰囲気のあるジルベルト様と、薄桃色の可愛らしい部屋の組み合わせがなんだか奇妙だ。
恐らくジルベルト様も同様に思っているのだろう、落ち着かなさそうに視線を彷徨わせた後、私の隣へと腰を下ろした。
「随分長くかかった気がするが、大丈夫だったか?」
「ええ、大切な晩餐会ですもの。念入りに採寸して頂きましたのよ」
アイリスさんがジルベルト様の前にも紅茶を用意する。
私のカップの中身も、新しいものへと入れ替えてくれた。
「さぁ、リディちゃんの晴れ舞台、素敵なドレスを提案するわ!」
私たちの前に堂々と立っているアイリスさんが、両手を胸の前で組んで小指をぴんと立てるという不可思議なポーズを決めて言った。
アイリスさんの斜め後ろで、メルクリスが嬉しそうに「待ってました、アイリスちゃん!」と言いながらぱちぱちと拍手をしている。
お城の他の人蝶族の方々ときちんとお話しした事はないけれど、彼女たちは優雅な見目をしているのに、内面は激しい方の方が多いのだろうか。
メルクリスは人蝶族は皆お喋りだと言っていたので、本当は皆さんこんな感じなのかもしれない。
「リディちゃんの好みはあるの?」
「私は、何を着ても似合ってしまうので、お任せしますわ。しいていえば、ジルベルト様の好みに合わせたいと思いますわ」
「ううん、男心をくすぐるナイス回答よ! ジルベルト様はどうなのかしら?」
なんだかよく分からないが、アイリスさんが褒めてくれた。
返答を求められて、ジルベルト様が言葉に詰まっている。
衣服については人蝶族のメイドたちに任せきりだと言っていたので、元々あまり興味がないのだろう。
「……そうだな。……あまり、肌を出さない方が良い」
「やだー、それってリディちゃんをお集まりの皆さんに見せたくないって事じゃないの、愛よねぇ」
「愛よねー!」
アイリスさんとメルクリスが手を取り合ってきゃあきゃあ言っている。とても楽しそうだ。
ジルベルト様はとても嫌そうにしている。早く帰りたいと思っているのではないだろうか。いたたまれなさそうなのが、見ていて面白い。
「そうね、それじゃあなるだけ生地の量を多くしましょ。リディちゃんの華奢な体に合わせて、上半身はレースで包んで、スカートはたっぷりとした生地を重ねて、足先までを包むようにしましょう。輝石を練り込んだ角度によっては光り輝く生地が良いわね。色は白。ジルベルト様の瞳の色に合わせた、金色の耳飾りをつけましょう」
歌うようにアイリスさんが言葉を紡ぐ。
それと同時に再び蝶々の羽が輝いて、アイリスさんが手を広げるとその両手の中心で、どこからともなく現れた光り輝く布がくるくると回りながら形を変え始める。
彼女が言った通りの形をした美しいドレスが、あっというまに出来上がってトルソーにかけられていた。
上半身は腕の先までレースに包まれていて、首元も詰まった作りになっている。レースの為に肌が少し透けて見えるようで重たさはない。
スカートは引きずるほどに長く、きらきら輝くたっぷりとした布地の下には、幾重にも重ねられたフリルが見え隠れしていた。
「ちなみにこれはジルベルト様の希望をかなえた結果ね。個人的には、リディちゃんにはこういうのもありだと思うんだけど」
ちょいちょい、と手招きされたので、私は立ち上がってアイリスちゃんの傍に寄った。
一瞬のうちに私の着ているドレスが、胸元までざっくりあいた、腕や肩を隠さない、体にぴったりとした白いドレスに変わっている。太腿からスカートに切れ目が入っていて、足を動かすとかなり際どいところまで見える作りになっている。
妖艶という言葉がぴったりくるドレスだが、流石私は何を着ても似合ってしまう。
今の私の美しさでも似合うけれど、あと数年もしたらこのドレスを更に際立たせる体つきになるので、その時にもう一度着てみたいドレスだ。
「あぁ、リディちゃんかわいい……っ」
メルクリスが感嘆の溜息をつく。
「良いわぁ、可憐ながらも妖艶、我らが魔族の花嫁様って感じだわ」
アイリスさんが満足げに頷いた。
私は二つに割れるスカートを引っ張ってみる。どれだけ引っ張っても、下着までは見えない作りになっているのが匠の仕事を感じさせる。
私の完璧な造形の白い脚が、歩くたびに少しだけ見えるけれど、下品になりすぎない程度に抑えられているようだ。
「駄目だ。却下だ、却下」
苛々としながら、ジルベルト様が私の肩に自分のコートを被せた。
その時の流行りによっては、社交界でかなり露出の多いドレスを着る事もあるのだけれど、どうもジルベルト様は妖艶な服装よりは清純な服装の方が好きらしい。覚えておこう。
「あらぁ、駄目なのね。じゃあそのドレスはいらない、ということで……」
残念そうに溜息をつくアイリスさんに、ジルベルト様が首を振った。
「いや、……晩餐会には、そっちの服を。これは、このまま着て帰れ、リディス」
「こういった服装は、お嫌いではありませんの?」
てっきり好きではないのかと思ったのだけれど。
コートに包められ抱きしめられるようにして体を隠されているのに、まさか着たままで良いと言われるとは思わなかった。
「嫌ってわけじゃねぇよ、良く似合ってる」
「リディちゃん、それは愛。これも、愛」
うんうん、とアイリスさんが頷いている。
メルクリスがにこにこしながら「皇子が健全な男性で安心しました」と言って、アイリスさんに触角を引っ張られて怒られていた。
私のドレスはもう少し手を加えて完成したら、王城へと届けられることになった。
「また来てね、いつでも来てね、来なかったら駄目なんだからね」と何度も言うアイリスさんと別れを惜しんだ後、私たちは再び王城へと帰った。
もう少し街を見て回りたかったのだが、ジルベルト様が街を歩くだけで市井の方々が委縮してしまうので、長居をすることは諦めた。
メルクリスと二人ならもう少し気楽に散策できるのかもしれない。今度また、お願いしてみようと思う。
お城に戻ると、久しぶりに姿を見せたアスタロトがゆっくりとした足取りで、並んで歩く私たちに近づいてきた。
「若君、大体の話し合いは終わったよ。元々若君の魔力は僕たちと比べて桁違いに大きいからね、まともに王になるつもりの若君に逆らうなんて馬鹿げたことをする者はいないんだよ。余程の馬鹿は、リアが力づくで分からせてるから大丈夫」
「そうか。悪いな、アスタロト」
「嫌だなぁ、若君。きもい」
「クソ蛇、俺の感謝の気持ちを返せ」
ジルベルト様が忌々しそうに舌打ちをつく。
アスタロトは気にした様子もなく、私に視線を移して微笑んだ。
「リディスちゃん、久しぶり。会いたかったよ、寂しかったよ、頑張った僕を褒めて欲しいなぁ」
「忙しく働いていたとお聞きしましたわ。アスタロト様達が尽力してくださった晩餐会で、皆さまに認められるように私も努力いたしますわね」
「リディスちゃんはそのままで良いから。話さなくて良いから。これ以上リディスちゃんの愛人志願者が増えたら困っちゃうし」
「あら……、そうですわね。それは、私も困ってしまいますわ」
他の魔族の方々に気に入られることは良い事だけれど、アスタロトやリアのような愛情の重たい方々が多い場合は、たとえ聖母のように慈悲深い私と言えども対応に困ってしまうかもしれない。
ジルベルト様は嫉妬深いので、それはあまりよくないことだ。
現に今も、私の隣で怒っている。アスタロトと私が話しているのが気に入らないのだろう。
「ところでリディスちゃん、なんで若君のコートを着てるの? 捲っても良いの?」
「駄目に決まってるだろ。消えろ、クソ蛇」
「なんて酷い。若君がリディスちゃんといちゃいちゃしてる間、働いてる僕にそういう事を言うかなぁ。ところで、若君。木精達が、裏庭の薔薇園をとても綺麗にしてくれたよ。食事が出来上がるまで、リディスちゃんを案内してあげたら?」
「僕に見せたくないぐらい、素敵なドレスを着てるんでしょ」と言ってアスタロトは肩を竦める。
ジルベルト様は素直に頷くと、私の手を引いて裏庭へと向かった。
メルクリスが感動したように「アスタロト様、お優しいです」と言っている。ちょっと心配になった。
クロネアさんに差し入れをするときに裏庭は通るけれど、薔薇園は遠目に見るだけで中に入ったことは未だ無かった。遠目に見ても美しい事は分かるけれど、何となく一人で散策する気にならなかった。
メルクリスは食事の支度を手伝うと言って下がり、ジルベルト様と二人きりになる。
広いアーチを抜けると、青い薔薇が咲き乱れる空間に出た。中央は東屋になっているらしく、薔薇の生垣で目隠しされていて、周囲からは中の様子が見えない作りになっている。
かつては、荒れて朽ちていた場所だったのが、信じられないぐらい美しく生まれ変わっている。
東屋に入り座った私のコートを、ジルベルト様は脱がせてくれた。コートは温かいけれど、大きくて重たかったので、脱ぐと体が楽になった。
「……少しだけ、良いか」
囁くように、言われた。
ジルベルト様が私の体を、膝の上にのせて背後から抱きしめてくださる。
際どい衣服が更に際どくなってしまっているのだけれど、薔薇の檻に囲まれているためジルベルト様以外には、誰にも見えないだろう。見られて困る事はない美しさだと自負しているけれど、それでもなんだか恥ずかしい。
「リディス……、……リディ」
「ジルベルト様……」
愛称で呼ばれて心が騒めくのははじめてだ。
拙い声で返事をする私を、ジルベルト様が更にきつく抱きしめた。
「早く全て終わらせて、お前を俺のものにしたい」
「私としては、今すぐでもよろしいのですけれど……」
「皆に認めさせてからじゃねぇと、な。お前には酷い事をしたから、誠意をみせたい。自己満足に過ぎねぇだろうが、後悔はしたくない」
「えぇ、分かっておりますわ。……誰も悲しまない国というのは難しいですけれど、皆が穏やかに暮らせるような、争いの少ない国を作りたいですわね」
違う種族でもお互いを尊重できるような世界にすることができれば良い。
世界が繋がった後に人蝶族の方や、働き者の精霊の方々が、再び辛い思いをしないためにはどうすれば良いのか、よく考えなくてはいけない。
「……リディス、俺は。……お前に会えて良かった」
「ええ、そうでしょう。私は天の齎した奇跡でしてよ」
「あぁ、そうだな」
押し殺したような笑い声がする。
「……俺の一番古い記憶は、……俺自身の記憶は、アリアの顔だ。絶望に泣きながら俺に魔力を注ぎ、女神の消滅を願った母親の呪詛の記憶なんだ」
「……そうですの」
何と言って良いか分からずに、私は頷く。
ジルベルト様は淡々と続けた。
「もう一つの心臓を埋め込まれたような感覚だな。……今でも俺の中で、アリアは女神を殺せと叫んでる。ルシスは、女神を手に入れたいと囁き続けている。ユールは、この世界を消してしまいたいと願ってる。それは俺じゃないのに、まるで俺自身の感情だとでも言うように、産まれ落ちてからずっと、この体を支配しようとしてきた」
「ありふれた言葉しか返すことができないことを、お許しくださいまし。……とてもお辛かった、でしょうね」
「どうして王になんてならなきゃならねぇんだと、思ったよ。俺に全てを押し付けやがって、ふざけるな、ってな」
「……そうとは知らず、私もはじめて会った時に、あなたに心無い事を言ってしまいましたわ」
王として、なんて怠慢だと思った記憶がある。
ジルベルト様の事情を慮れば、そんな言葉を投げかけるのは不適切だと分かっただろう。
私は私の価値観だけで、ただ徒に彼を責めてしまった。
「いや。……お前はどんな立場であっても、弱音を吐かずに前だけを見てた。満足な食事もねぇし、手の平だって傷だらけになってたのに、泣き言ひとつ吐かずにな。お前を見ていたら、何年もルシスたちを恨みながら何もしようとしなかった俺が、情けなく思えてな」
私は私のやるべきことをしていただけなのだけれど、ジルベルト様には思うところがあったのだろう。
ジルベルト様の辛さを全て理解することはできないけれど、私を見ていて心が慰められるのなら、それは良い事だと思う。完璧な美少女として産まれてきた甲斐があったというものだ。
「リディス、愛してる。もし俺が自分を見失う事があったとしても、俺自身がお前を愛してることを、忘れないでくれ」
「……私がいる限り、ジルベルト様は、ジルベルト様のままですわ。私も……」
私はそこで言葉を区切った。
何を言えば良いのか分からない。
シンシアが女神の器だと知っていること。
私が一度死んでいること。
それは、やはり言うべきではないように思える。
私は軽く頭を振ると、身じろいでジルベルト様の方を向いた。
それからその体に腕を回して、「あなたが、好きです」と小さな声で囁いて、目を伏せた。