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窓の外の眼下に見下ろして小さくなっていた景色が徐々にその輪郭を元に戻していく。
高く飛び上がっていた翼竜が下降しているので、目的地が近い事が知れた。
メルクリスが再び私の体に触れる。翼竜が下降すると同時に眩暈のするような重苦しさを感じていた体が、途端に軽くなった。
「飛び上がったり、降りたりするときにこういった魔力を使わなくてはならないのでしたら、私は翼竜に一人で乗ることはできませんわね」
残念に思いながらそう呟くと、メルクリスは困ったように微笑んだ。
「何度も乗って体が慣れてしまえば、体を浮かせる必要はなくなるのよ。でも、危ないからリディちゃんを一人で翼竜にはのせられないわ」
「私も翼竜の扱いを練習してみたいですわ」
「それは駄目。もし落ちたら、もし翼竜が暴れて怪我をしたら、リディちゃんは脆い人族だもの、大変なことになってしまうわ」
「そうですわね、わかりましたわ……」
メルクリスに無理強いして、困らせるわけにはいかない。
練習するとしたら、ジルベルト様に頼むべきかしら。
もしくは、リアやアスタロトなら付き合ってくれるかもしれないけれど、彼らは今は忙しいようなのでまた機会があったらお願いしてみよう。
翼竜車を扱えるようになれば、何かの役に立つかもしれない。
皆が魔力を持っているこの国では私はあまりにも無力なので、少しいぐらいはできる事を増やしておきたい。
翼竜車が降り立ったのは街の広場だった。
そこには大小さまざまな翼竜がすでに羽を休めていて、ジルベルト様に手を引かれて翼竜の上から降りた私は、巨大な翼竜がそこここにいるというかなり迫力のある光景にため息をついた。
ジルベルト様の方を一斉に見た翼竜達は、とても怯えたようにその体を小さくしている。
私たちの後から降りてきたメルクリスも、普段とは違いなんだか体を縮こまらせているように見えた。
「メルクリスさん、大丈夫ですの?」
「は、はい、大丈夫です! 私の事はいないものと思ってください、リディス様……」
「いつもと同じで良いのですけれど」
「そ、そんなそんな、駄目ですよ」
ふるふるとメルクリスが首を振る。
ジルベルト様が不思議そうに私たちのやり取りを見て首を傾げた。
「いつもと違うのか、メルクリスは?」
「め、滅相もない! 私はいつもと同じですよ!」
「ジルベルト様、メルクリスさんは私ととても親しくしてくださっているのです。こちらにきて、はじめてできた家族のように思っておりますわ。私、リディちゃんと呼んでいただいておりますのよ」
「リディ、ちゃん」
「ええ。私、お兄様にはリディと呼ばれておりますし、お母様にはリディちゃんと呼ばれておりますわ。だから、そう呼んでいただけるのはとても嬉しい事ですのよ」
これからもずっと私の前での態度と、ジルベルト様の前での態度を使い分けるのは大変だろう。
せめてメルクリスには非公式の場では気を楽に、いつも通りでいてもらいたい。
それに私もメルクリスと話しているときちんとお別れを告げてこなかったお母様の事が思い出されて、嬉しいのは確かだ。
ジルベルト様は私をまじまじと見ると、もう一度「リディちゃん」と言った。
「ジルベルト様はお顔が怖くていらっしゃるので、メルクリスさんが怯えてしまいますわ。メルクリスさんが私に親しい態度をとっているとしても、怒ったりはしませんわよね?」
「別に叱責したりはしねぇよ。リディスが良いなら、良いんじゃねぇか?」
「うぅ……、メルクリスは不敬行為を咎められて、消されてしまうのかと思いました」
メルクリスさんが背後から私に抱き着いて、肩に顔を埋める。
よしよしと頭を撫でてあげる事にする。本当は隠していたかったという事は理解できるので、あとで謝ろうと思う。
「リディス、……俺の顔は、怖いのか?」
「まさか……、自覚がありませんの?」
「自分の顔について考えた事が今までなかったからな……」
悩まし気にジルベルト様が言った。
確かにあまり他者と関わる気のない生活をしていたジルベルト様は、自分の容姿などを気にする必要もなかったのだろうし、皇子という身分もそれに拍車をかけていたのだろう。
「そうですのね。顔が怖いというのは……、一般的にということでしてよ。私としては、なんとい言えば良いのか……、そうですわね、深く高い山岳に君臨する孤高の獅子のようでとても魅力的だと思いますわ」
「……できれば、もっと分かりやすく言って欲しいんだが」
私の流麗な詩のような賛辞は残念なことに伝わらなかったようだ。
最近気づいたことなのだが、麗しいけれど女性的なお兄様や、柔和な印象のあるラファエル様ばかりを見ていた私にとって、ジルベルト様の雄々しさはとても新鮮に感じられた。
お父様を愛してはいるのだろうけれど、お母様が個人的な嗜好では逞しい騎士の方を好んでいるのと同じく、私もジルベルト様の見目がとても好きだと気づいてしまった。
多分血筋なのだろう。血は争えない。私もいずれはお母様の様に、逞しい体つきに点数をつけるようになってしまうのだろうか。恐ろしい。
「……ええと、好きですわ」
「……そうか」
駄目だ、顔が赤くなってしまった。
私としたことが、まるで感情を隠せていない。最近こんな失態ばかりをしてしまっている。
ジルベルト様が嬉しそうに私を見ているので「お顔ですわよ、造形の話ですわ」と付け加えておいた。
初心で生真面目ですぐに照れていたジルベルト様はどこに行ってしまったのだろう、にやにやと私を見ているのが口惜しい。
「ジルベルト様、リディちゃん。とても微笑ましいのですが、ここでお話しているととっても目立つのでお店に行きましょう!」
メルクリスに声をかけられて、それもそうかと頷く。
私たちの周囲では翼竜の方々が体を縮めて、見たこともない様な種族の方々がジルベルト様に向って頭を下げていた。
公務以外で思い切り身分を晒して市井に来るのは、迷惑な行為だと知っていたのだけれど、こちらの国でもそれは同様らしい。
ジルベルト様はさして気にした様子もなく、私の手を取って歩き始める。
店の場所を知っているのはメルクリスだけなので、彼女は先頭に立って「こちらですよ」と道を案内してくれた。
花の形を模した色とりどりの屋根が特徴的な家々が立ち並び、百合に似たランプがそこここに置かれている、童話の中に入り込んだような街だった。
露店には装飾品が多く並んでいる。煌びやかだが黒や深い赤、灰色が目立ち、やや暗い印象をうける。
すれ違う人花族の方々が、道を譲り頭を下げてくれる。
人花族の方々は、頭に様々な花が咲いている。最初は髪飾りかと思ったが、髪と同様に花も直接頭にはえているようだ。
女性たちは人蝶族の方が着ている黒いレースのドレスとは正反対の、白や桃色のふんわりとしたドレスに身を包んでいる。ドレスには大輪の花があしらわれていて、よくよく見るとその花々は咲いたり蕾んだりを繰り返しながら別の花に変化しているようだった。
人花族の方々に混じり、ウサギのような耳がはえた方や、トカゲと人が混じったような方、爬虫類のような尻尾がある方など様々な種族の方がいるようだ。
「ジルベルト様だ」「皇子様……」「魔力印があるのは、人族の娘だぞ」などの声が、そこかしこから聞こえてくる。
「ジルベルト様のお顔を知らない方も多いとお聞きしましたけれど、すぐに分かってしまうものなのですね」
私の手をとったまま、周囲の喧騒など気にした風もなく歩いているジルベルト様を見上げて尋ねる。
私に歩調を合わせてくれているのだろう、ゆったりとした速さなので、十分に街の様子を眺めることができる。
「俺たちは内側に秘めた魔力に敏感だからな。ハインゾルデから継いだ王の力は、本能的な部分で理解できる。俺を見ても誰なのか分からないのは、お前たち人族ぐらいじゃねぇか?」
「ジルベルト様の魔力は、私の体に流されたときは感じることができましてよ。私はまだその時にしかわからないのですけれど、魔族の方々は常時気配のようなものを感じているということですのね?」
「気配、か。まぁ、そんな感じだろうな」
「いつかは、私もあなたの気配を感じるようになりますのかしら。魔族の方々のように……、そうなるまで、頑張りますわね」
「……煽るな、リディス」
ジルベルト様の声が、艶やかに掠れる。
私にはよく分からないが、魔力とはジルベルト様たちにとって特別なものなのだろう。
先を歩くメルクリスが「あああ…!」と小さな悲鳴を上げて顔を手で隠した。もしかしたら私は、真昼間から路上で卑猥な話をしていたのかもしれない。
なんだか居た堪れない気持ちになって顔を伏せた。