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 蝶々の羽をきらきらとはためかせながら、とても嬉しそうにメルクリスが部屋へと入ってきたのは、私が恋心を自覚してから数日後のことだった。

 私のお披露目晩餐会は明後日の夕方に決まったらしい。

 人蝶族のメイドたちは、手紙を届けるので今は忙しいのだとジルベルト様が教えてくれた。

 アスタロトやリアの姿を見ないのも、忙しく動いているからなのだという。

 私はシュゼルに古代語を教わりながら図書室で本を読んだり、綺麗になったお城を見て回ったり、湖に戻ったクロネアさんにご飯を届けたりして日々を過ごしていた。

 夜は約束通り、ジルベルト様が傍に居てくださる。

 時折口づけられたり、気紛れに魔力を注がれたりした。過剰に反応しないように気を付けているけれど、上手くいっているかどうかは分からない。

 体に魔力が巡る回数が増える度に、手の甲の刻印の色が鮮やかになっていくような気がした。些細な変化ではあったが、深い赤色から今は光沢のある輝くような赤色へと変わっている。

 シュゼルは、「刻印を与えられた人族を見るのははじめてだから、どういう影響があるのかわからない。興味深い」と言っていた。

 ジルベルト様にもあまりよく分からないらしい。魔力を注ぐのは本能のようなものだというので、好きにして頂いている。

 注がれている最中は少し辛いけれど、嫌ではない。むしろ嬉しかった。


「リディちゃん、街に行きましょう!」


 私の身支度を整えると、メルクリスは満面の笑みを浮かべて言った。

 メルクリスのお陰で、私の暫く放置していて傷んでいた髪や、やや荒れていた肌は元の美しさを取り戻している。

 薄緑色の爽やかな色合いのロングドレスの上から、深い藍色の長いマントを羽織った私の両手を握って、メルクリスはくいくいと引っ張った。


「街……?」


「はい、街ですよ。メルクリスのお友達の仕立て屋さんで、リディちゃんの婚姻用のドレスを作りましょう。ジルベルト様には許可を頂きました。お城の正面に、翼竜車を準備して貰ったの」


「よくりゅうしゃ、とは何かしら……」


 知らない単語に首を傾げる。メルクリスはなんだかとても嬉しそうだ。


「リディちゃんは、翼竜車を見たことがないのね。ずっとお城で過ごしているのだもの、見る機会なんてなかったのよね。翼竜車というのは、翼竜族を飼いならして、鞍をつけたものなのよ。大きい翼竜なら、鞍と、その後ろに客室を乗せるわ。一番大きい翼竜車で御者のひとりと、あと四人は乗れるのよ」


「馬車のようなものですね」


「馬車もあるのだけど、この国は森が多くてきちんとした道もないから、地面を走るのは不自由なの。遠くに行くときは、翼竜を使うのが殆どなのよ」


 翼竜族の方を見た事がないが、翼のあるなにか、なのだろう。

 メルクリスに引っ張られながら部屋を出て、お城の正面玄関へと向かう。

 すれ違う人蝶族の方が一歩下がって挨拶をしてくれる。お城には少しづつ、人蝶族の方が増えているようだ。優雅に城の中を動き回る姿がとても美しい。


「翼竜族、というからには、種族なのですよね。馬車の様につかうのは、失礼なのではありませんの?」


「翼竜族はどちらかといえば動物に近いの。というかあれは、むしろ動物なのではないかしら。簡単な言葉は理解できるし、飼いならせば命令も聞くようになるけど、そうじゃなければ切り立った山を棲家にして他の動物を食べて暮らしているから、敬意を払うようなものじゃないのよ」


「そうなのですね」


「メルクリスは、翼竜車に乗れるのよ。王妃様のいちばんの従者になるために、沢山練習をしたの。こつがあるから、乗れない者もいるのよ」


「メルクリスさんは、努力家なのですね」


 得意気にメルクリスが言うので、私は褒めた。嬉しいのだろう、ぱたぱたと羽を揺らすのが分かりやすい。

 正面玄関を抜けて外に出ると、大きな爬虫類のような姿をした者が、大人しく蹲っていた。

 首が長く、顔はトカゲに似ている。翼は大きく尻尾も長い。濃い灰色と緑色の中間のような色合いの体は、硬そうな鱗に覆われていた。

 羽の真ん中には頑丈そうな鞍があり、その後ろには馬車の客室とよく似た長方形の個室が乗っている。

 メルクリスが近づくと、翼竜は目を開いた。金色で、縦に瞳孔の走った瞳はやはりトカゲに似ている。

 私はメルクリスの後について翼竜の傍に近づく。馬とは比べ物にならない程に大きい。小さな民家ぐらいはあるだろうか、一体客室までどうやって登れば良いのだろう。


「触っても、大丈夫でしょうか」


「翼竜車になった翼竜は皆大人しいので、大丈夫よ」


 私はぺたぺたと、体に触れてみる。ひんやりとして少し湿っていて、とても硬い。

 鱗の一枚一枚が、私の手の平よりも大きいように見えた。翼竜は私が触れると、頭を地面につくぐらいに低く下げた。


「リディちゃんから、ジルベルト様の気配がするのでしょうね。少し、萎縮しているみたい」


「わかるものですか?」


「最近、リディちゃんから感じる魔力の気配が大きくなっているのよ。敏感な私たちはもちろん、鈍感な翼竜にも分かるぐらいに、沢山……、その、なんていうか、愛されているのね、リディちゃん」


 メルクリスは恥じらったように言葉を濁す。

 そういえば、メルクリスにとっては魔力を注ぐ行為はかなり恥ずかしい事らしい。私も何となく恥ずかしくなってしまって、左手の甲を掌で隠した。


「さぁ、行きましょうか、リディちゃん」


 気を取り直したようにメルクリスは小さく咳払いをした。

 それから大きな羽を輝かせる。その途端に私の足元から光り輝く階段が、翼竜の背まで伸びた。

 客室の扉が開き、赤く布の張られた室内が見える。赤に金の縁取りの室内が目に眩しい。


「ちょっと内装が悪趣味なのはアスタロト様のせいなのよ。我慢して頂戴ね」


 苦笑交じりにメルクリスが言う。

 メルクリスに手を引かれて階段に一歩足をかける。しかしそこで一度足を止めた。メルクリスが驚いたように目を見開くと、私の背後に視線を向けているのに気づく。


「ジルベルト様……、どうされました?」


 背後から両肩に手を置かれたので見上げると、黒く長いコートを羽織ったジルベルト様が立っていた。

 メルクリスは恐縮したように頭を下げる。


「いや。退屈だから、俺も行こうかと思って。翼竜にも、長い事乗っていないしな」


「メルクリスだけでは、心配でしたでしょうか?」


「そういう訳じゃねぇよ。お前は中で、リディスの話し相手にでもなってやってくれ」


 ジルベルト様に言われて、メルクリスはぶんぶんと頭を振る。


「いいえ、いいえ、私が御者台に乗ります。共にいかれるのなら、ジルベルト様はリディス様と、ゆったりとお過ごしください」


「俺がそれで良いと言ってる。リディスは、空を駆ける乗り物ははじめてだろう。お前の事だから、不安があるとは思わねぇけどな。メルクリス、リディスを任せた」


 そう言うと、ジルベルト様はさっさと御者台に乗ってしまった。こういう時に空を飛べる方は便利だ。

 困り顔のメルクリスに連れられて輝く階段をのぼり、私は客室の椅子に座る。

 扉が閉まり、窓のカーテンが開いた。

 翼がはためく。隣に座ったメルクリスが、私の手を取った。

 ふわりとした浮遊感を感じる。なんだか少しだけ体が浮かんだような気がした。


「上昇するまで乗り心地があまりよくないから、負担を少なくするために体を軽くしているの。リディちゃん、気分が悪くなったら言ってね」


「ありがとうございます。今のところ、大丈夫のようですわ」


 窓の外の景色が瞬く間に変わっていく。翼竜はかなり高く舞い上がっているらしく、お城やその周りを囲む森が、小さくなっていく。

 森を取り囲むように、いくつかの建物の集まりが見える。その外周にはぐるりと、深い森が見える。深い森の奥に、薄ぼんやりとした膜のようなものがある。景色はそこで途切れていた。恐らくあれが、国中を天蓋の様に覆っている巨大な結界だろう。

 ジルベルト様の魔力で維持しているという結界は、全てを視界に入れる事が出来ない程に大きい。

 国を空から見るのははじめてだ。私は窓の外を食い入るように眺めていた。

 御者台に座っているジルベルト様の様子も見て見たかったけれど、客室からは景色と、滑空する翼竜の羽しか見る事ができない。


「人蝶族の集落は、向こうに見える湖の畔にあるのよ。一番栄えているのは、お城の傍の街ね。領主様は人花族の方よ。人花族は、人蝶族ととっても仲が良いの。煌びやかで、穏やかで、綺麗な方々なのよ」


「メルクリスさんたちも、とても美しいと思いますわ」


「ありがとう、リディちゃん。私たちは目立つけれどあまり強くないから、大戦の前は捕まって売り物にされたようなの。昔の話だけれどね。古い人蝶族は、それだから人族を嫌っているわ。人蝶族の王が今度の晩餐会に来るのだけれど、リディちゃんが嫌な思いをしないか心配なのよ。私はリディちゃんが優しい人族だっていうことを知っているし、お城の人蝶族はみんな、リディちゃんの事が好きだわ」


「そういったことがありましたのね。……酷い話だと、思いますわ。私の家、公爵領では人身売買をきつく取り締まっていますけれど、全てに目が行くという訳ではありませんし、他の国では今でも奴隷制度があると聞きますわ。人族には残酷な面があるというのは、間違いはないと思います」


「魔族にだって、怖い方は沢山いるわ。良い方も沢山いるのだけど、全てというわけではないの。人花族の街は安全だけれど、他の街は近寄ったら危ないところもあるし、……お互い様、と言えば良いのかしら……、嫌な話をしてごめんなさい。リディちゃんは優しいから、つい愚痴を言ってしまったわ。本当は、王妃様と個人的な話をしたりしないのだけど。ごめんなさい」


「アリア様とは、お話をあまりしませんでしたの?」


「私はお喋りだけれど、これでも一応わきまえているのよ。本当はね。……アリア様とは、必要な事しか話さなかったわ。声をかけると、うるさいから黙っていてと言われてしまったの。リディちゃんも、私がうるさいと思った時はきちんと言って欲しいのよ」


 メルクリスはアリアの事を思い出したのだろう、しょんぼりと肩を落とした。

 私はメルクリスの手を取って、彼女の顔を見上げる。


「私は、メルクリスさんとお話ができて楽しいですわ。どうぞ遠慮せずに、そのままでいてくださいましね」


「リディちゃん、ありがとう。ジルベルト様とリディちゃんが愛し合っているのが、私はとても嬉しいの。ジルベルト様がこうして外に出るのは、本当に珍しいのよ。本当に、本当にお城から出ない方だったもの。ジルベルト様のお顔を見たことがない魔族も、沢山いるのだわ」


「ジルベルト様は、優しい方ですね。私も……、とても好きです」


 それは建前ではなく、本心だった。

 家族に向ける様な親愛ではなく、純粋な思慕だ。

 何となく気恥ずかしくて、私は視線を窓の外に向ける。

 メルクルが「リディちゃん!」と言ってぐいぐい抱きしめてくる。相変わらずその感触はお母様に似ている。


「ジルベルト様は、リディちゃんが心配で一緒に来てくれたのよ。晩餐会が楽しみだわ。とっておきのドレスを作りましょう。白くて、長くて、レースが沢山あるものが良いわね。私は早く、リディちゃんに王妃様になって欲しいのよ」


「はい。……私も、楽しみにしておりますわ」


 初恋を知ったばかりの幼い少女のような浮ついた気持ちで、私は頷いた。

 本当は駄目なのだけど、はじめて街に出かける解放感で冷静さを保つことが困難だった。



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