花嫁リディスと女神シンシア 1
薄らと目を開いた。
視線の先にはジルベルト様の寝顔がある。
起きていると目つきが悪く常に不機嫌そうに見える方だが、目を閉じてしまうとなんだか幼く見える。
少しだけ抱いていて欲しいとお願いしたのに、ジルベルト様は朝まで私を腕の中に入れてくれていたようだ。
暖かくて、少し重たい。
身動いでみたけれどびくともしないので、私は穏やかな寝息を立てるジルベルト様を暫く見つめていた。
胸の奥がふんわりと温かいような気がする。乱れた髪が顔にかかり額に影を落としていた。
整った顔立ちをしているのに何故か大型の獣を連想させるのは、人狼族の血が半分混じっているからなのかしら。
小さく聞こえる寝息と上下する胸を掌で感じていると、再び眠たくなってくる。寝起きの良い私にしては、とても珍しい。
せっかくなので、筋肉の隆起している胸板を撫でたりちょっと押したりして堪能する。
私の豊かに膨らみつつある柔らかい胸とはまるでちがうそれに感心していると、ゆっくりと髪を撫でられた。
「ジルベルト様、おはようございます」
胸元から視線を上にあげて、挨拶を行う。
ジルベルト様は眉間に皺を寄せている。寝起きが悪いのだろうか。
「リディス、おはよう。それは、わざとか?」
「それとは何ですの?」
よくわからないので首を傾げる。
ジルベルト様は僅かに嘆息した。
「誰にでも、気安く触る癖でもあるのかお前は?」
「そんなはしたないことはしませんわ。私、最低限の礼儀はわきまえていましてよ」
「……そうか」
ジルベルト様は視線を逸らした。
私はふと気づいて、ジルベルト様の胸をぺたぺた触っていた手を止める。
「私の家、フォンテーヌ家は細身で女性的な見目の男子が産まれる家系ですの。だから、逞しい体つきの方が珍しくて、つい触ってしまいましたわ。ごめんなさい、お嫌でした?」
「嫌ってことはねぇが」
「お詫びといってはなんですが、私にも触れていただいて構いませんのよ」
ジルベルト様の視線が、私の寝衣のはだけた白い胸元へ落ちる。
物凄く不機嫌な表情で舌打ちをされた。
「お気に召しませんでしたかしら。程よい形と大きさだと思うのですけれど、ジルベルト様は小さい方がお好き……」
「ちょっと黙ってろ、リディス」
「はい」
私は素直に黙った。
好きな大きさは個人の趣向なので仕方ない。十八歳になる二年後にはもう少し育ってしまうので、がっかりさせてしまうかもしれない。
とはいえ私に触れるうちに、それなりに豊かなのも悪くないことにきっと気づいていただけるだろう。
「お前、今絶対俺の趣味を勝手に決めつけてるだろ」
黙っていろと言われたので、私は頷く。
勝手に決めつけているわけではなく、事実を確認していた。
私は自分の胸に触り大きさを確かめてみる。手のひらからはみ出るぐらいの膨らみは、とても柔らかい。
「……っ」
手のひらの中で形を変える私の胸から、ジルベルト様は勢いよく視線をそらす。
「食わず嫌いはよくありませんわ。平らなほうがお好きだとは思いますけれど、見た目に惑わされずまずは感触を……」
「誰も小さいのが好きだなんて言ってねぇだろ。特に拘りはない……って、なんの話だこれは」
「ジルベルト様のご趣味のお話ですわね」
「朝からする話じゃねぇだろ」
それはそうだ、私は納得したので胸部の大きさの議論をするのを一先ずやめることにした。
朝の挨拶を交わした後に性的嗜好の話をするのは、寝起きの会話としてはあまり褒められたものではない。
私としても特に望んでその話をしていたわけではないので、どんな見目の女性が好きなのかはまた別の機会に問い詰めたいと思う。
ジルベルト様の良き伴侶となるからには、なるだけ理想は叶えて差し上げたい。好きなドレスの色や髪形や、好みの香水などは把握しておいた方が良いだろう。
「……ジルベルト様。ええと……、よく眠れましたか?」
朝のぼんやりとした光が、窓から差し込んでいる。
今日も昨日と同じ、薄暗い曇り空だ。どこにも行かず、もう少しこのまま微睡んていたいような気になってしまうのは、外が暗いせいかもしれない。
ジルベルト様は無理やり話題を変えたことに気づいたのだろう、僅かに笑うと私の髪をもう一度撫でた。
「あぁ、久々に良く寝た気がする」
「それは、良かったです。……私も、こうして誰かと共に眠るのははじめてでしたけれど、抱いていてくださってとても……、安心できましたわ」
「……そうか」
「これからもずっと、……こうしていて、ください」
もう起きなければいけないと思うと、無性に甘えたくなってしまった。
本当なら理性で押さえつけなければいけないのに、私はジルベルト様に抱きついて、つい――言うべきではないことを言ってしまった。
恵まれてうまれた私は与える側にならないといけない。守られるのではなく守るものとして、きちんと自分の足で立っていなければいけない。自分を律し、感情を抑え、上に立つべきものとして誇り高くいなければいけない。
そんな風に思っていたのに。強く抱き返された体の重みがあまりにも心地が良い。
「……今の言葉は、忘れてくださいまし」
「どうして?」
「甘えてばかりいては、私、このまま駄目になってしまいます」
いつまでもベッドの上でぐずぐずしているのがいけないのだわ。
身支度を整えたら今日も図書室へと行ってもう少し色々調べなければ。
裏庭の薔薇園も散策してみたいし、メルクリスと街にも行ってみたい。やるべきことは沢山ある、筈だ。
「……俺に甘えても、別に駄目にはならねぇだろ」
「体が、ふわふわして、気持ちが良くて、……起きるのが嫌になってしまいますもの」
離れようとして手を突っ張ってみたけれど、びくともしなかった。
ジルベルト様は喉の奥で笑うと、私を更に強く抱き込んだ。
昔、大型の犬に抱き着かれて身動きが取れなくなったことがあるけれど、それに似ている。
犬は可愛いかったけれど、重たかったし顔中嘗め回されて大変だったことを思い出す。
ジルベルト様も可愛いけれど、重たいし、ちょっと痛いし、何よりも胸の奥が締め付けられるように苦しくて、どうにかなってしまいそうだ。とても困る。
「あと数日我慢しなくちゃいけねぇんだから、あまり煽るな」
「そんなつもりはありませんわ。私、真面目な話をしておりますのよ」
出来る限り体を離そうと頑張りながら、私はジルベルト様を軽く睨む。中々私を抱く力が緩まないので、ちょっと怒ってしまった。
「……リディス。俺はもう少しこのままでいたい。……お前は、俺に身を捧げてくれたんだろ。俺の好きにしても良いんじゃねぇか?」
「……そ、それはそう、ですけれど」
どうして時々そうやって、強引になれるのだろう。
照れている姿は可愛らしいのに、恥ずかしげもなく強引に迫られるとつい動揺してしまう。
昨日の夜は暗かったので気づかれていないだろうけれど、明りが差し込む部屋の中では、私の頬が染まっているのが見えてしまう。
薄々は理解していた。
どうして、感情が乱されるのか。
傍に居ると、胸が苦しくなってしまうのか。
私は多分、ジルベルト様を特別だと思い始めている。
好き、なのだろう。
無作法で粗野で、礼儀が無くて、照れ屋で可愛らしくて、不器用で優しく、いつでも私をただの無力な少女だとでもいうように守ろうとしてくれる彼が、好きだ。
でも、駄目。
それは、いけない。
誰かを特別に思ってしまうのは、私の弱さになってしまう。
思慕は判断力を鈍らせる。感情に惑わされるのは、正しくない。
だから、隠さなければいけない。
「リディス。お前の紹介が終わったら、俺は多分、我慢ができなくなる。……今だって、正直必死で抑えてる。好きな女に触って良いって言われたら、そりゃあ嬉しいだろ」
「……胸の大きさのお話は、朝の話題には相応しくないとおっしゃいましたわ」
「大きさには特に興味はねぇが、俺はお前に触りたい。服を剥がして全部見てぇし、隅々まで触って、味わいたい。俺はお前が好きなんだよ、リディス。今更、逃げられねぇから覚悟しとけ」
「……っ、……は、い」
どうしよう。
とても嬉しくて、いつものようにきちんと言葉を返すことができない。
硬い殻を無理やり割られて、中の柔らかい実をむき出しにされているような錯覚に陥る。
今まで作り上げてきた私という人格がまるで偶像になってしまったかのようだ。
かつてシンシアさんにラファエル様を奪われたときに冷静でいられたのは、私の中身をラファエル様に明け渡してまではいなかったからだ。
ラファエル様はあくまで国の決めた婚約者だったから、私はどちらかというと国と結婚をして王を支える、という意識の方が強かった。
エヴァンディア王家にとって、アンネマリア公爵家との婚姻が権力の維持のためには必要な事であると理解していた。
ラファエル様の私に対する好意を疑った訳ではないし、お兄様やクライブに対する程度の親しみを持って接していたけれど、それ以上の事はなかった。
それ以上になる前に、ラファエル様の傍にシンシアさんが居るようになってしまった、というのも大きい。シンシアさんに好意を持ったラファエル様に執着するほど、私は愚かではない。
ジルベルト様に会いに来たのだって、あくまでも私が出来うる最善を選んだだけで、言ってしまえば打算だった。そこに何か感情があったわけではない。
それなのに。
どうしてこんなに、幸せだと思ってしまうのかしら。
しっかり、しなければ。
ジルベルト様がシンシアさんと出会ってしまった時に、変わってしまうかもしれない私たちの関係を、受け入れることが出来るように。
冷静に考えて対処することができるように、しなければ。
だから、私の必要以上に膨らんだ気持ちには蓋をして、隠しておかなければいけない。