表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/53


 娼館に行くために着替えようと思っていたのだけど、考え直した私は再びベッドへと横になった。

 さて、することがなくなってしまったわね。

 王立学園に行くつもりはないけれど、王立学園に行かないとなると、もうすでに婚姻を結べる年齢なので、ラファエル様と結婚するためにすぐさま王城へと向かう羽目になるのではないかしら。

 シンシアさんに出会う前のラファエル様は、それはそれは私に夢中なのだし。すぐにでも結婚しようと言われていたんだったわね。

 ラファエル様が心変わりをするので嫌だなどと馬鹿らしいことは言えない。多分お父様やお母様、お兄様に伝えたら「なんて可哀想なリディス、ずっとこの家に居て良いんだよ!」と言って婚約破棄がなされるのだろうけど、私は公爵家にずっといたいわけではないので。

 それにここにずっといたら、お兄様は独身を貫きそうだし。

 全ての男性の愛情を受け入れる度量のある私だけど、正直お兄様の愛情は重過ぎるのよね。

 いくら愛情深い私であっても倫理観というものがある訳で。早い話が、兄妹でというのは駄目だ、家のためにならない。私とお兄様の禁断の愛のせいで公爵家が衰退してしまうのは、避けていきたい。


「どうしたものかしら」


 私が王妃にならないというのは、エヴァンディア王国にとっては大いなる損失に違いない。

 王妃にならずに別の道をさがすというのは、王国民たちを見捨てるということにもなってしまうのではないかしら。

 けれど、そのためにラファエル様やシンシアさんの在り方を受け入れるというのも、癪に障る。

 有体に言えば、腹立たしい。


「エヴァンディア王国よりも強大で、この国ごと傘下におけるような、そんな力を持った国はないものかしらね」


 私は小さな声で呟いた。

 大陸は七つの国でできている。七つの国の力は大凡拮抗しており、時折国境で戦が起こり国の境目の場所が変わることがあるものの、その程度の小競り合いにおさまっている。

 私が別の王家に嫁いだところで、環境が変わるだけで状況が変わるわけではないだろう。それに、それぞれの国は長くお互いに小競り合いが続いているせいで、移民に対する扱いが厳しい。他の国と国交を持つのは王家と貿易商ぐらいだ。

 そういえば。

 私は、思い出した。

 皆が目を背け、話題に上げないようにしているもう一つの国があった事を。


『かつて大地は一つだった。しかし姿かたちが違う強大な力を持った者たちを、人は恐れた。長らく続いた大戦の後、数の利と賢さで人は勝利を掴み、姿かたちが違う者たちを一つ所に閉じ込めた。大地は二つに分かれたのである』


 それはエヴァンディア王国、そしてこの大陸に住まう者たちならば誰もが知っている伝承だった。

 大抵の場合ただのおとぎ話ですませてしまう誰も本気にしていない昔話なのだけど、それが作り話でないこと、けして忘れてはいけないことを王族とそれに連なる公爵家は代々言い聞かせられている。

 昔の方々は再び大戦が起こることを恐れていたのだろう。

 その姿かたちが違う者たちというのは、総称して『魔族』と呼ばれている。

 『魔』とは、人を惑わすもの、不思議な力を持って悪を成すものと言う意味だ。その魔に、種族の族をくっつけただけなのだから、なんとも安易だとは思えど、分かりやすくはある。

 私は実際に魔族の方々に会った事はないけれど、伝承の通りだとしたらきっとそれは、王族よりももっと力があるものに違いない。

 そうね。

 なんて、魅力的なのかしら。

 王家も公爵家のものたちも、魔族の話はしようとしない。それはきっと恐れているからだ。


 思えば、幼いころにその伝承を聞かされた時、強く興味を持った私が幾度尋ねても、両親は伝承以上に詳しい話をしようとはしなかった。その話題は避けて通っていたようだった。

 私もその時は王妃になることだけを考えていたので、それ以上深く関わろうとしなかった。時間の無駄だったからである。

 しかし今となっては、私の選択肢においてそれが最上のものに思える。

 人にはない力のある者たちなのだから、きっと賢いに違いない。交流を絶って千年以上の時が経過しているようだから、それなりに国として発展している筈だ。

 私程の美しさと素晴らしい人格の持ち主ならば、あちらの王族、いや、皇族かもしれない。ともかくそんな立場の方を、虜にできるに違いない。

 やはり目指すならばより高みである方が良い。魔族の方々の国母となり唯一無二の権力を手に入れて、エヴァンディア王国や小競り合いを繰り返す他国を圧倒的な力で従えて、良い国を作る。

 それがきっと、カミ様から与えられた私の使命に違いない。


「そうね。魔族の王に嫁ぐ……、これが一番良いわね」


『どういう結論だリディス。リディス、聞け、リディス!』


 今頭の中で声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだ。

 そうと決まれば寝ている場合じゃない。メイドや執事が部屋に来る前に、身支度を整えなければ。

 私はクローゼットを漁って鞄を取り出すと、当面の着替えなどを詰め込んだ。豪奢なドレスなどは重たすぎて駄目なので、殆ど部屋着のような簡素な服にした。

 それから、売ってお金に換えられそうな宝石の類も入れた。向こうの通貨がこちらと同じとは限らないので、貨幣は無駄になってしまうかもしれない。宝石や貴金属ならば大体どこでも通用するだろう。

 薄い寝衣を脱いで、白いドレスを身に纏う。鏡の前に立った私は、艶やかな銀色の髪と相俟って雪の妖精のような愛らしさだ。完璧である。

 魔族の王が人の形をしているとは限らないけれど、そこは大きな問題ではないわ。私の愛は海よりも深い。どんな姿かたちをしていようと、力があり有能であれば心から愛することができるだろう。

 これで旅をする準備は整った。あとはあちら側に行くだけである。伝承によれば、世界の繋げ方というものがあるらしいけれど、私はそれを知らない。

 どうしたものかと部屋の中心に突っ立って、暫く考える。

 考えていると、扉がノックされる音がした。


「起きていますわ」


 私の朝は早い。

 メイドよりも執事よりも早く起きて、支度をされるのを待つというのが私の一番目の仕事である。

 自分で支度する事は出来るけれど、私の様に立場がある人間がそれをしてしまうと、メイドの仕事を奪うということになってしまうので、きちんと待ってあげている。

 メイドの仕事の時間になったのだろう。しかし扉から現れたのは、アンネマリア家の執事長であるクライブと、私のお兄様、ソレイユだった。

 私が今十六歳なので、ソレイユお兄様は今二十歳だ。

 王立学園を卒業後、公爵家の跡継ぎとしての仕事をこなしながら家柄の丁度良い結婚相手を探している時期だった筈ね。

 お兄様は私のお兄様なので、申し分のない美男子である。髪色は私と同じ銀色で、目の色はお母様に似た深い群青色だ。すらりとした長身で、優し気な印象の非の打ちどころのない貴公子なのだけど、浮いた話は一つもない。

 それもこれも、妹である私が愛らしく美しすぎたのがいけなかった。

 愛らしすぎた私の存在が、結果的にお兄様の性癖を歪めてしまったので。


「おはよう、私のリディ。今日も天使のように愛らしいね!」


 お兄様は私の両脇の下に手を入れると、徐に私の体を抱き上げてくるくると回った。

 私が愛らしいというのは空が青いですねというぐらい当たり前の事なので、私はにこやかに誉め言葉を受け取って、お兄様の好きなようにさせている。

 お兄様の倫理観に抵触する重たい愛を受け入れるのも、美しく産まれた者にとっての宿命であり義務なのです。


「おはようございます、お兄様。クライブも、二人揃ってどうしたのです?」


 クライブは執事長を務めながらソレイユお兄様の補佐もしている、まだ齢二十五を過ぎたばかりの若いけれど有能な男性だ。

 黒髪を全て後ろに流して、一寸の乱れなくアンネマリア家から支給されている執事服を着ている、あまり表情の変わらない方だ。

 お兄様には劣るけれど、整った顔立ちをしていると言える。愛想がないのが玉に瑕である。

 十五歳で婚姻を結んでも良いとされている王国では二人とも少々行き遅れているという年齢ではあるけれど、クライブはクライブで「ソレイユ様とリディス様より先に家庭を持つことはできません。優先順位が変わってしまうのはよろしくない」と常日頃から言っている。生真面目なのだ。


「リディス様、本日も女神の様にお美しく、お可愛らしい。今日も無事にリディス様のお顔が拝見できたことを、神に感謝しなければ」


 お兄様の手から降ろされた私の手を取って、クライブが恭しく礼をする。

 何度も言うけれど私が女神のように美しく可愛いのは、冬が寒いというぐらい当たり前の事なので、毎日繰り返し言わなくても別に構わない。クライブは言いたいらしいので、私はにこやかに受け入れてあげているけれど、時々話が進まなくて面倒だなと思う事もある。

 私だって人間なので、そういう日もある。


「それで、どうしましたの?」


「あぁ、リディ。今日は王立学園に入学する日だろう。お兄様は寂しいよ……、すっかり大人になってしまって、もう準備もできているんだね」


 お兄様が、私が部屋に置いておいた出立用の鞄を見てそういった。

 あぁ、そうね。

 今日はそういう日だったわね。カミ様も随分ぎりぎりの日付で時間を巻き戻したものだわ。女性には色々な準備があるのだから、できれば入学一か月前に戻すべきよね。まったく、気がきかないわね。

 ちょっと腹が立ったが、私は優しいので許してあげる事にした。カミシールはまだ子供なので、女のあれそれは理解できないのだろう。


「リディス様、あと数刻もすれば、ラファエル様が迎えに参りますよ。お食事をすませてしまいましょう。それが終わったら、どうか私に女神の髪を結う許可をお与えください。本当はずっと傍につきリディス様のお世話をさせて頂きたいのですが、王立学園の住居には女のメイドしか出入りできないのです。今となっては男に産まれてしまったこの身を呪いたい」


「クライブ、髪は任せますわ。それと、私はあなたの見た目が気に入っています、そのままのクライブでいてくださいまし」


 クライブの気持ちはよく分かるが、彼はとても有能なので我が家の執事長でいてもらわなければお兄様たちが困るだろう。

 彼の両手を掴んで微笑むと、クライブは無表情のまま涙ぐんだ。隣ではお兄様が「リディはなんて優しいんだ、お兄様の手も握っておくれ」などと言っている。

 私は愛を出し惜しまないので、きちんとお兄様の手も握ってあげた。

 そういえば、本来私は死んでしまっていたけれど、その後この方たちは大丈夫だったのかしら。時間が戻ったので問題ないと言えばそうなのだけど、私を失ったら自殺しかねないのではないかと思う。

 やはり私はお兄様とクライブの為にも、最上級の幸せを手に入れなければいけない。

 その為には王立学園ではなく、魔族の住む国へいかなければ。きちんと言ってからお別れするのが、愛する者たちへの礼儀というものだ。

 私は広間に案内されて長テーブルに置かれた椅子に座り、流れるように朝食が一皿づつ出てくるのを美味しくいただきながら、目の前に座ってにこにこと私を見ているお兄様に話すことにした。


「お兄様、相談がありますの」


「可愛いリディスの相談に乗れるなんて、光栄な事だね」


「私、魔族の王と結婚しようと思いますのよ」


 お兄様は笑顔のまま凍り付いた。

 とても器用だ。


「……どうしたんだい、急に。ラファエルはどうするの、リディ?」


「ええ、沢山考えましたのよ。公爵家には古くから、伝承がありますでしょう。皆様口には出しませんが、魔族の方に怯えて暮らしておりますわよね。それは、国境争いをする他国よりも、ずっと大きな脅威だからですわ。見えないものほど怖い、分からないものほど怖いものです。ですから、私は魔族の方と人との橋渡しの役目をしたいと思っておりますのよ」


 まさか一度死んだからなどとは言えない。

 そんなことを言おうものなら、お兄様が今はまだ無実のラファエル様やオーキスをどうにかしかねないからだ。

 私は賢い美少女なので、きちんとそのあたりも弁えている。


「リディがそんなことをする必要はない。それに、争いがあったのだってもう千年も前の事だろう、嘘か本当か分からないじゃないか」


「お兄様は次期御当主なので知っておりますでしょう。それは、本当の事だと」


「……だとしても、それはリディスの役割じゃない」


「お兄様、あなたのリディスはとても賢く、美しく、愛らしいのでしょう? 私ならば、きっと魔族の方を深く愛し、その心を開く事ができますわ。これは、アンネマリア公爵家に女神の様に美しく産まれたリディス・アンネマリアの役割なのです。天命なのですわ」


 私がきっぱり言い切ると、お兄様は頭を抱えた。

 私が言いだしたことは最後までやり遂げる性格であることを、お兄様はよく知っているのだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ