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 アスタロトがゆったりとした声音で言葉を紡ぐ。


「……過去の大戦が起こってから、僕たちは人族との交流を絶った。大戦に負けたこともあるし、それはその時の王であるルシスの望みだったということもある。それから人の世界と、こちらの世界を隔てる結界を、王は維持し続けている。ジルベルトも、童貞をこじらせている引きこもり皇子と巷では評判だけど、常に結界を維持できるほどの力があるわけだよ」


「アスタロト、余計な情報を挟まなくて良い」


「そうですよアスタロト、ジルベルトはリディスさんと初夜を控えているんですから、あまり言っては可哀想ですよ」


 ジルベルト様に睨まれて、リアは「可愛い甥御を庇ってあげたのに怒らないでください」と言った。

 私はスープとお魚を食べたら満腹になってしまったので、透明な液体が注がれ切った果実を浮かべてあるグラスに手を伸ばし、口をつける。

 水なのだろうか、液体自体には味がないが、果物の風味が加わっていて甘い香りがする。

 一口飲むと口の中がすっきりした。


「七人の女神と、七人の人の王。世界の中心に人ではない者の王。シュゼル様にはそうお聞きしましたわ。世界が別になったわけではなく魔族の国に結界を張って、姿を隠しているということですの?」


「うん。リディスちゃんはよく話を聞いていて、偉いね。以前僕に、動植物が自分の国と変わらないと言っていただろう。今でもこの国は君たちの世界と同じ場所にある。円形に並んだ七つの王国の、真ん中だね。とはいえ今は結界のお陰で見えないし、触れられない。近づこうとすれば深い森を只管に彷徨う羽目になる場所だよ」


 アスタロトの話に、思い出すことがあった。

 かつてノワールさんから聞いたことがある。冒険者すら立ち入らない深い森があることを。

 入ったら最後、抜け出せる可能性が少ないその場所は、迷いの森と呼ばれている。

 エヴァンディア王国の外れ、街もなにもない荒れ地を抜けた先にある、広大な深い森。

 話しに聞いたことがあるだけで見たことはないけれど、その中心にあるのが魔族の国という事なのだろう。

 知識の豊富なノワールさんでも、そこが魔族の国のある場所だとは知らなかった。「遠目に見ただけだが、嫌な感じのする場所」だとは言っていた。


「たぶん、……その森は、迷いの森と、噂されておりますわ」


「迷いの森か、その通りだよね。過去には近づいてくる人間もいたんだけど、今は危険な場所とでも言われているのかな。人の気配は感じないみたいだね。そうでしょう、ジルベルト?」


 アスタロトに問われて、ジルベルト様は頷いた。


「最近は、静かなものだったな。……クライブが外側から無理やり結界を開くまでの話だが」


「私たちの国では……、他の国の事は存じ上げませんから、あくまでも私たちの国でのことですけれど、千年前の大戦のことや魔族の方々については、エルヴィーザ様の存在と同じように物語となり果てておりますわ。王家は記録を残しているでしょうし、私の公爵家も王家に次ぐ権力のあるとても近しい家ですので、それが事実だと知っていましたけれど……」


「随分と昔の話だからね。君たちは僕たちの事を忘れてしまったけれど、困ったことに長く時を生きる僕たちは覚えているんだよ。結界の中に閉じこもってから、穏健派と強硬派に分かれて幾度か争いも起こった。穏健派は人間との争いを嫌う者たちと人間に怯える者たち、強硬派は人間よりも自分たちの方が優れていると主張する者たちだね」


 アスタロトはちらりとリアを見る。そして「人狼族たちは強硬派だったけど、リアが押さえてくれていたんだよ」と言った。

 人狼族は確かに争いに向いているように見える。魔族の中にもいろんな方々がいて、きっとメルクリス達人蝶族の方々などは戦いに向いていないのだろう。

 私たちも全ての人が武器を持って戦えるという訳ではないし、市居に暮らす人々も争いを求めている者はごく少数な筈だ。


「リア様が結界を消してしまいたかったのは、それが人狼族の方々の望みだったからですの?」


 リア以外の人狼族は、アリアを失った時のユールを相手に起こした内乱で、消滅してしまったのだという。私の問いに、リアは「違いますよ」と首を振った。


「少し前の俺は、結界を消して人間たちを支配下に置くつもりだったんです。アリアがいなくなってしまったから、守るべきものがなくなって、我慢する必要が無くなったんですよ。俺も他の人狼族と同じく、人間を俺たちに支配されるべき下等種族だと思っていましたからね」


「今は、違いますの?」


「……リディスさんに嫌われたくありませんし、俺はジルベルトの意向に従いますよ」


 リアは少しだけ言葉を濁した。

 左程考えを変えたという訳ではないのだろう。長年の考えが急に変わるわけではないのだし、実際リアたち魔族の方のような力は私たちにはないのだから、そう思ってしまうのも仕方がないのかもしれない。

 私としては内情がどうあれ感情を押さえてきちんと対話をしてくれるなら、それで良いと思う。

 私に嫌われたくないという理由だけでも良いので、攻撃的な面を押し殺してくれるなら十分だろう。


「リディス。お前は、結界についてどう思う?」


「私は、開かれるべきだと思いますわ。大戦は過去の事、今はお互いを無暗に恐れ、憎しみあう必要はありません。それに、私たちは魔力を持ちませんわ。私たちにない力を持つ方々と、交流を図るのは良い事だと思います」


 ジルベルト様は考えるように目を伏せる。


「お前は俺たちを恐れねぇが、全ての奴らがそうだという訳じゃねぇだろ。唐突に結界を開いたら、きっと騒乱が起こる」


「そのために私がいますのよ。ジルベルト様、世界を変えるのは愛ですわ」


「魔族がまた、人間に危害を加えたら?」


「人間同士だって争いますし、無暗に弱者を傷つける者もおりましてよ。それを防ぐことは困難でしょうけれど、起こってしまったことに対処することが重要なのではないかと、思います」


 人々の不満がどうしようもないところまで行ってしまうのは、政に不満があるからだ。

 自分たちが守られていないと思ってしまっているからだ。

 上に立つ者が率先して対応していけば、特に大きな動乱にはならない筈。

 少なくとも公爵領ではそうしていたし、領民たちは小事はあれど概ね穏やかに過ごせているのではないかしら。それはきちんとした統治が行われているからだろう。


「……エヴァンディア王家は、……いや、なんでもねぇ」


「ジルベルト様。……私、ラファエル様とはあなた方の話をしたことは、一度もありませんわ。女神の器についても知らなかったくらいですもの。私は、王家から送り込まれた者ではありませんわ」


 言葉を濁すジルベルト様に、私は言った。

 信じられない気持ちも理解できるけれど、信じて欲しい。


「疑ってるわけじゃねぇよ。俺も、結界の中で小競り合いを続けて、自滅していくのが賢明だとは、思ってない。……リディス、お前は結界を消した後にどうしたいんだ?」


「私は、ジルベルト様の子供が沢山欲しいですわ」


 ジルベルト様をまっすぐ見て、はっきり答える私を唖然と見た後に、ジルベルト様は口元に手を当てて俯いた。照れているようだ。


「あのな、リディス。今は真面目な話をしてるんだが」


「私は真面目です。王の伴侶たるもの、それも役割の一つですわ。特に魔族の方々にとっては、重要な事ですわよね。私、頑張りますわね」


「良いなぁ、若君……」


 アスタロトが不満そうに唇を尖らせて私を見ている。

 気持ちは分かるのだけど物事には順番があるので、まずは私とジルベルト様の話だ。

 ジルベルト様は嫉妬深いようなので、あまりアスタロトに優しくしてはいけない。

 寂しい思いをさせるのは、誠実ではないわね。気を付けないといけないわ。


「お前なぁ……、その覚悟は有難いが、今は結界をどうするかっていう話をだな」


「そうですわね、……大いなる力と優秀な人材の元に人は集まってくるものです。ジルベルト様と私なら、強大な大国を築けますわ。それはきっと小競り合いを続ける人の国の、良き指標となるでしょう」


 私の目標は大国を築いて、諸国を圧倒し大陸の覇者になることだ。

 それは変わっているわけではないので、きちんと話しておこうと思う。ジルベルト様はとても呆れた表情を浮かべた。


「リディスさんのそういうところ、俺はとても良いと思いますよ」


「良いねぇ、リディスちゃん。君が戦えというなら、再び大陸を血の海に染めてあげるよ」


 古参の二人はとても喜んでいる。この方々がどうしてそんなに喜ぶのか、私にはよく分からない。

 ジルベルト様は深い溜息をついて、私の頬を軽く引っ張った。


「お前に相談してると、本当に馬鹿らしくなってくるな。だが、お前のお陰で何となく、やるべきことは分かった気がする。まずは国に散らばっている魔族の種族王たちに、お前を紹介するところからだな」


「婚姻のお披露目晩餐会ですわね。それが終わったら、きちんと私をあなたのものにしてくださいましね」


「…………あぁ、そうだな」


 ジルベルト様は頷いて、低い声で言った。


「それが終わったら、次の日は僕の番ね」


「その次は俺ですね、リディスさん。準備をして、待っていますから」


「お前らの番なんてねぇよ!」


 さらりと当たり前のように自己主張してくるアスタロトとリアを怒鳴りつけると、ジルベルト様は私の手を取って立ち上がらせた。

 それから「アスタロト、準備はどれぐらいかかる?」と、落ち着いた声音で問う。


「そうだねぇ、数日ってところかなぁ。折角だから、メルクリスに言ってリディスちゃんの婚礼用のドレスも作った方が良いだろうし、若君もたまにはまともな格好をした方が様になるだろうし」


「分かった。リアは、アスタロトの手に負えない連中の説得をしてくれるか?」


「説得をしろ、で良いんですよ。ジルベルトは俺たちの仕えるべき王なんですからね」


「あぁ。……任せた」


 アスタロトはひらひらと手を振り、リアは深く頷いた。

 私はジルベルト様に連れられて、食堂を後にした。

 きちんと挨拶が出来そうになかったので会釈だけすると、食事の途中で席を立つ無礼を二人は特に気にした様子もなく、にこやかに送り出してくれた。



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