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 クロネアさんの様子を見に地下へ降りる。

 地下室は薄暗いのは変わらないが、私が掃除したままの美しい状態を保っていた。

 ずらりと並んだ扉の黒い部屋は、アスタロトの話では地下牢なのだという。たぶん私の時がそうだったように、誰かが幽閉されると赤く扉の色が変わるのだろう。

 クロネアさんはどこにいるのだろうと、きょろきょろ探しながら歩く。赤い扉はなかった。クロネアさんは水がないと生活が困難だというので、私が掃除と水浴びに使用していた小さな水場の扉を開いてみる。

 溢れ出ている透明で綺麗な水が溜まっている水場の中に、魚の下半身を浸したクロネアさんがちょこんと顔を出していた。


「ごきげんよう、クロネアさん。その、なんというか、すこし小柄になりましたね」


 かつてのクロネアさんは、私と同じぐらいの大きさだった。

 今は、火精の方々と同じぐらいの、人間の幼児かそれよりもすこし小さいぐらいの大きさだ。

 顔立ちもぷるぷるとした質感の肌も変わりないが、下半身は魚に、手にはヒレがついている。

 今のクロネアさんは話ができるのだろうかと思いながら、挨拶をする。

 彼女は私の方を見ると、表情を険しくさせた。


「あんたのせいじゃない!」


「えぇ、私の存在が、クロネアさんを惑させてしまったこと、申し訳なく思いますわ。けれど私は、本来の今のクロネアさんの姿の方が、大変愛らしいと思いますわよ」


 火精の方々は、猫のような見た目で可愛らしかったけれど、水精の方は物語に出てくる人魚をとても小柄にしたような姿をしていて愛らしいと思う。

 ミズイロウミウシだったころが悪いというわけではないけれど、城を汚さない分今の姿の方が良い。

 クロネアさんは水場の中でくるりとひと泳ぎすると、もう一度顔を水面から上に出した。


「なによぅ、お掃除の時以外はここから外に出られない私を、笑いに来たんじゃないの」


「愛に惑ったあなたを笑ったりはしませんわ。クロネアさんは掃除婦として、働いておりますの?」


「そうよ。一日一回ぐらいは、魔力が溜まって城の中を泳げるのよ。だから、少しづつ綺麗にしているわよ。全部綺麗にし終わったら、森の湖に帰らせてもらえるって、アスタロト様との約束なのよ」


「そうなのですね。本来なら、掃除婦であった私の仕事を引き継いでくださり、感謝しておりますわ」


「別にあんたの為にやってるわけじゃないわよぅ」


 クロネアさんは口をとがらせて言う。

 幼い子供が拗ねているような仕草で、可愛らしいかったので、つい手を伸ばして撫でてみてしまった。

 クロネアさんは見た目通り、ぷるぷるとした冷たい肌触りで、とても気持ちが良い。


「や、やめてよね、私は体はあんたより小さいけど、あんたよりずっと生きているお姉さんなんだから」


「私、いくつになってもお兄様から褒められて、撫でられることは嬉しいと思っておりますわ。他者を賞賛し触れ合う事に、年齢は関係ないのでは」


「もう、何なのよあんたは。あんたを殺そうとしたのよ、私」


「私、生きておりますわ。そんなことよりもクロネアさん、朝食をお持ちいたしましたのよ」


 私は持っていた紙袋を一つクロネアさんに差し出した。

 彼女はそれを素直に受け取ると、中身を確認する。

 水の中で濡れてしまうのではと思ったけれど、かつての保護膜のようなもの、たぶんクロネアさんの魔力のようなものに覆われて、紙袋は濡れる事が無かった。


「これは、あんたが作ったの?」


「材料を集めるのを手伝いましたけれど、そのサンドイッチに関しては私ではありませんわ。調理場に火精の方々が戻りましたの。なので、今は私は料理長リディスですけれど、狩人の役目を担っておりますわ」


「火精は私の事嫌っているのに」


「何事も相性というものはありますけれど、クロネアさんと相性が悪いからと言って、食事を提供しないという理由にはなりません。クロネアさんも、食事などは召し上がらない方ですの?」


「特にこだわりはないわよ。……こういうのは、本当に久しぶりだけど。……貰っても良いの?」


「えぇ。またお持ちしますわ。それでは、私は行きますわね」


 用事を終えた私がお辞儀をしてその場を去ろうとすると、クロネアさんが慌てたように話しかけてくる。


「あんた、ジルベルト様の事を私に聞きにきたんじゃないの?」


「いえ、特にそういった用はありませんわ」


「ユール様の事とか、私から色々聞き出して、ジルベルト様を手に入れるのに役立てようとしてるんじゃないの……?」


 クロネアさんから色々聞くとジルベルト様が手に入るというのはおかしな話だ。

 色々知っているクロネアさんが追いかけても逃げ続けていた方なのだから、あまり必要な情報だとも思えない。

 それにどうしても話したいことがあれば、きっとジルベルト様から話してくださるだろう。

 わざわざ余計な詮索をするようなことはしなくても良い。


「……私、今日の食材を採取しに、森に行かなければなりませんの。聞きたいことといえば、クロネアさんのいた湖は、魚などは採れますの?」


「あんた、まさか私の棲家で釣りをするつもり?」


「湖から先には行ってはいけないといわれておりますの。釣りをするなら、あの湖しかありませんわね」


「…………あぁ、もう、良いわよ。あそこに住んでいた水精は私しかいないし、今は誰もあそこで釣りしても文句言ったりはしないわ。魚は、いるわよ」


「それは、良い事を聞きましたわ」


 私はもう一度クロネアさんに挨拶をする。


「……ご飯、ありがと」


 去り際にお礼の言葉が聞こえたので、私は笑顔で会釈をした。

 湖での釣りの許可を貰えて良かった。クロネアさんのお家に勝手に釣り糸を垂らすのは気が引けるので、聞いておくべきだとは思っていたのだ。やはりクロネアさんに会いに来て良かった。

 私は地下室の倉庫の奥から釣り竿と取っ手のついた桶を引っ張り出してくると、一度部屋に戻る。

 昨日着ていた腰丈のマントを羽織り、腰にベルトとナイフをつける。それからサンドイッチの入った紙袋を入れた布バッグを肩から下げて、釣り竿と釣り桶を手に持った。

 それから裏庭へと向かった。


 昨日ジルベルト様が作ってくれた湖に繋がる一本道を辿りながら、茸や野草を採取する。

 湖までは歩いて数分程度。湖に辿り着くと裏庭はもう見えないが、お城の姿は遠く見る事ができる。

 私は釣り桶に水をくむと、釣り針に調理場からいただいてきたイッカクウサギの干し肉を小さく千切ったものをつけて、湖に釣り糸を垂らす。

 そして、湖の傍の手ごろな岩の上に座って、静かに魚が掛かるのを待った。

 少し喉が渇いたので、待っている合間に摘んできたキイチゴを少し食べてみる。甘酸っぱくて、とても美味しい。

 魚が掛かるのを待っていると、ざわざわと嫌な風が木々を揺らすのを感じた。

 不意に生暖かい空気が漂ってくる。

 何か良くないことが起こりそうな気がして、私は一度釣り竿を置くと、ナイフの柄に手をかけながら周囲を確認する。

 私の歩いてきた道の方向にある草むらが、がざがさと揺れている。


「……ドクカミツキグマ」


 草むらから現れたのは、私の身長よりも倍ぐらい大きい、黒くかたい毛に覆われ赤い目を持った大きなクマだった。

 大きな牙が二本、口の端から覗いている。

 王国では第一級危険動物とされていて、森の中で出会ったらともかく逃げるか、隠れてやり過ごすようにと言われているものだ。

 その体には毒があって、巨大な牙で噛まれるとひとたまりもない上に、少し爪で引っかかれただけで、致死量の毒が体に回って命を落としてしまう。

 冒険者の方々でも、討伐を嫌がる害獣である。


「あぁ、体に、毒というのは……」


 アスタロトの言っていた森林グリズリーというのは、ドクカミツキグマの事なのだろう。

 熊の一種だと思っていたのだが、毒を持った熊という時点で気づくべきだった。

 私は一歩後ろに下がる。立ち向かうべきじゃない。私が勝てる相手ではない。

 かといって湖のあるこの場所はとても開けていて、ドクカミツキグマから隠れる場所はない。

 城に戻る道はドクカミツキグマが塞いでしまっている。

 生暖かい息を吐きながら、私を赤い目が見降ろしている。

 ドクカミツキグマの体が一瞬大きく膨れ上がるのを感じた。

 襲ってくる。

 私はもう一歩後ろに下がると、素早く方向を変えて走り出す。ともかく逃げなければ。

 逃げて、隠れる場所をみつけないといけない。

 夢中で走り出した私を、地響きと共にドクカミツキグマが追いかける。私は必死で森の木々の中へと逃げ込んだ。

 湖から先にいってはいけないという言葉を思い出したが、今はそんなことを構ってはいられなかった。

 木々の間をぬって、背の高い雑草をかき分けながら、私は逃げる。

 ドクカミツキグマは、低い木や雑草をなぎ倒しながら、私を追跡しているようだった。

 彼らは肉食であり、私は多分獲物なのだろう。それとも、狩りをして遊んでいるのか。どちらにせよ捕まったら私の命はない。

 もう駄目だと思えば潔く諦めるけれど、今はまだその時じゃない。途中で私から興味を失ってくれるか、深い森で見失ってくれることを祈った。

 布のバッグは木々に引っかかるので、投げ捨てた。マントも小枝に引っかかり、破けてしまったので外して捨てた。

 尖った枝や、雑草が、私の足や腕を軽く切り裂く。走っているせいで呼吸が上がり、切れた手足が痛んだ。

 血の匂いで居場所がばれてしまうので、傷を負う事は良くないけれど仕方ない。


「はぁ、……は、あっ……」


 呼吸が、続かない。

 けれど、走るのをやめるわけはいかなかった。

 どれ程森の中に入り込んだだろう、私は大きな倒木が折り重なってできた洞をみつけて、その中に体を滑り込ませる。

 体を小さく丸めると、両手で口元を押さえて呼吸を押し殺した。

 ざわざわと、木々が揺れる音が聞こえる。それ以外はとても、静かだ。


 もしかしたら、ドクカミツキグマは私を諦めてくれたのかもしれない。


 楽観的にそう思った瞬間、私を隠していた倒木が、轟音と共になぎ倒される。

 視線をあげると、ドクカミツキグマの巨大な爪が、私の真上にあった。

 私は洞から飛び出して、しゃがんだまま後退る。

 ジルベルト様は、こういう時に助けに来てくれるのではないのかしら。

 あぁ、私。

 こんな時に、――ジルベルト様に頼ろうとするだなんて。


 そんな甘えたことを考える私では、なかったのに。


「……ジルベルト様」


 これで終わりなのかしら。

 もう会えなくなってしまうのかしら。

 まだ一方的に怒ってしまった事を、謝る事が出来ていないのに。

 見上げた木々の隙間から、薄暗い空が見える。少しだけ差し込む光を、私は眺めた。

 鋭い爪が、振り上げられる。諦める訳にはいかない、振り下ろされる方向を見定めて、反対側に逃げなければ。

 体を起こして逃げようとした私の前で、ドクカミツキグマの巨体がどさりと地面に倒れていった。


「……え……?」


 ドクカミツキグマの倒れた巨体の上に、見慣れない男が立っている。

 彼は浅黒い肌をしていて、白に近い金色のさらりとした髪の隙間から、ぴんと尖った獣のような耳がはえていてる。上から下まで黒い服を着ていて、黒いマントを羽織っていた。


「君は、……城に来たと噂になっている、人間の女性、ですね」


「……あなたは……。助けていただいてありがとうございます。私、リディス、と申します。お察しの通り、人間、ですわ」


 紳士的な口ぶりに、少し安心した。

 会話が出来そうな方だと判断して、助けてもらったお礼をするため、私は居住まいをただして頭を下げる。


「良いところで会えました。上手に、王の結界を抜けてきてくださりありがとうございます。君を、手元に置きたいと、俺はずっと思っていたんですよ」


 男はドクカミツキグマの上からひらりと飛び降りると、私の前に立った。

 口を開くと、犬歯がとがっているのが分かる。獣のような形の耳は柔らかそうに見える。深い青色の瞳が細められた。


「私、あなたとははじめて会ったような気がしますけれど」


「結界の外では評判ですよ。ジルベルトが、人間の女を王の嫁へと迎え入れたと言ってね。さぁ、俺と一緒に来てもらいますよ」


「私を欲してくださるお気持ちは嬉しいのですけれど、私、湖から先にいってはいけないという約束を破ってしまいましたし、お城に戻らなければなりませんの」


「怠惰な王と、嘘吐きな蛇に、悪い狼に捕まるから、とでも言われているんですか?」


「えぇ、……なるほど、あなたが、悪い狼、ということですのね」


 私は周囲を確認した。

 必死で逃げていたせいで、もうお城の方向がどちらにあるのか分からない。

 ここで目の前の男から逃げても、森の中で遭難するだけだろう。

 会話が可能な分、ドクカミツキグマに捕まるよりは良いかもしれない。


「俺は、リア。人狼族の王です。そう悪いようにはしませんよ」


 微笑んで、男が言う。

 言葉と共に、私の体にするすると、蔦のようなものが絡みついた。

 蔦で拘束された私は、軽々とリアに持ち上げられる。彼の目的はよく分からないが、とりあえず私は生きているのでどうにかなるだろうと、一先ずドクカミツキグマからは助かった事に安堵した。



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