7
あまりにも長い間ジルベルト様が私を眺めているので、私は視線を目の前に並んでいる料理にうつすと、「冷めてしまうので、召し上がってくださいまし」と言った。
料理はあたたかいまま食べた方が美味しい。ジルベルト様はアスタロトの話では産まれてからずっと食べるという行為を行なっていないらしいので、せっかくなら美味しいものを食べて欲しい。
野営のプロである冒険者のノワールさん直伝のお料理なので、味には自信がある。
公爵家の調理場ならもっと調味料が揃っているので、味付けも工夫できるのだけれど、それは追々の話だ。
「あぁ、悪いな。黙っていればお前は綺麗なんだなと思って、感心してた」
「よく言われますわ」
「だろうな」
よく言われるのは美しいという言葉なのだけれど。
まぁ、黙っていても口を開いていても私は美しいので、ジルベルト様の言う言葉はそう間違っていない。
「黙っていれば、ということは、ジルベルト様は物静かな方が好きなのですね。私、できるだけ静かにしていますわね」
「いや、無理だろ。まぁ、俺もお前の小生意気さには慣れたからな、何か喋っていた方が気が楽だ」
「そうですの。でも今は、お話よりはお料理です。召しあがるのが不安なら、私が先に食べて、大丈夫だと示しましょうか?」
もしかしたらアスタロトのように料理に毒を入れたのではと、訝しんでいるのかもしれない。
私が言うと、ジルベルト様は首を振って、スプーンを手に取りスープを口に運んだ。俄かに目を見開くと、なにも言わずに黙々と食べ始める。
私も空腹だったので、お料理を頂くことにした。
スープも串焼きも、香草をよく揉み込んでいるので、お肉から臭みが消えている。肉質はやや硬めだが、脂は甘く、良質なお肉の味がした。スープのお肉はもう少し長く煮ればとろけるように柔らかくなるだろう。
沢山作ったので、明日はもっと美味しくなっているはずだ。
きのこのソテーは、しゃくしゃくとした歯応えが残っていて、噛むとじわりときのこのスープが口の中にひろがる。
ヒトヨダケの群生地をみつけられたのが良かった。その名の通りあまりの美味しさに一夜でなくなってしまうと言われている、高級きのこだ。王国で手に入れようと思ったら、一般市民の方なら一ヶ月のお給金が飛んでしまうような値がついている。
こちらの国では誰も食べないのだろう、食べきれないぐらい沢山はえていたので、採取のしがいがある。
「……一角獣を食うとか言い出した時は、流石馬鹿なことを言うなと思ったんだが、……美味いな」
「イッカクツノウサギは、こちらでは一角獣といいますのね」
「あぁ。森のか弱い動物たちを食って、増えまくっている獣だな。恐ろしいぐらい森には沢山いるんだが、食って旨いなら、俺がいくらでも捕獲してきてやる」
「ジルベルト様、はじめてのお食事なのですから、よく噛んでゆっくり召し上がらないといけませんわ。イッカクツノウサギのお肉はまだ沢山ありますし、これからは罠を張って捕まえますので大丈夫でしてよ。なにごとも、すぎるのはいけません。食べられるぶんだけを取るのが、狩猟の鉄則ですわよ」
ジルベルト様は「わかったわかった」とお座なりな返事をして、あっという間に皿の中のものを平らげた。
するとどこからともなく火精の方が現れて、ジルベルト様のスープ皿を新しくスープが盛られているものに変えていった。
食べ過ぎるのは良くないが、気にいってくれたようで良かったと思う。
魔族の方の味覚が私たちとは違い、先頃アスタロトにふるまってもらったような、獣臭いお料理を好むのだとしたら、どうしようかと少し思っていた。大丈夫だったようだ。
「美味かった。リディス、その……有難う」
「料理長として、当然のことをしたまでです。私の方こそ、お食事に招待していただいて、有り難く思っておりますわ」
「いや。……誰かとこうしてゆっくり食事をするのは、はじめてだが、楽しいもんだな」
「私の白く儚い首筋などを見ていると、お料理も倍美味しく感じるでしょう」
「あー……、そうだな。着飾ってるお前を見てるのは、悪くない。あれは何だったか、使用人の服といったか、あれはあれで良いけどな」
ジルベルト様が素直に私を褒めてきたので、ちょっと驚いた。
お料理の効果とは恐ろしいものだ。心を掴むにはまず胃袋からとはよく言ったものだ。
私の作った美味しいお料理を食べる事で、ジルベルト様はますます私に夢中になってしまったということだろう。
可愛い上に料理もできるなんて、私は罪深い美少女である。
「人は、お前のように皆、旨い料理を作れるのか?」
「皆、というわけではありませんわね。イッカクツノウサギを森で捕まえて食べるのは、ごく一部の人間だけですわ。お肉や、お野菜やお魚は、市場で売られておりますの。それを買って、料理をするのは庶民か、料理人ですわね」
「お前は元々料理人じゃねぇだろ」
「何事も経験ですわ。こうして役に立ちましたし」
薬草学の実習中などは、他の貴族令嬢の方々などは怯えて森の手前にしか入らなかったものだ。
「リディス様は頼りになります」などと言って私にくっついていた方々もいたが、彼女たちも私がオーキスの指揮下で騎士見習いの学生たちに拘束されている時、遠巻きにみているだけだった。
気づかないところで作り上げられていた私のシンシアさんに対する罪を、彼女達も信じていたということなのか、それとも私の罪を作り上げた誰かの共犯者だったのか、今となっては分からない。
彼女達も良好な関係だった婚約者の方々がシンシアさんにばかり構うので、悩んでいたことは確かだ。
その意味では彼女達だって被害者だったのだろう。
「どうした、リディス。何か、考え事か?」
空になったスープ皿を見つめていた私は、はっとして顔をあげる。
「……ジルベルト様、ジルベルト様も……、いえ、なんでもありませんわ」
彼もシンシアさんに会ったら、ラファエル様の様に移り気をしてしまうのだろうか。
ふとそんなことを思って、口にしようとしてしまった自分を恥じる。
ジルベルト様とシンシアさんに関わりができるとは思えない。あり得もしない想像で、不安になるのは馬鹿げている。
――不安に、なる?
そんなことはない。不安になったりはしない。
きっと私は、少し疲れているのだわ。
「リディス?」
「……あの、私。……私、明日も、やるべきことが沢山、ありますの。だからもう、下がらせて頂いてもよろしくて?」
「……あぁ、無理をさせたか。悪かったな」
ジルベルト様は少しだけ、残念そうに言った。
私は多分疲れていて、一晩眠ったらきっと元気になるだろう。
今日は朝から掃除をして、狩りをして、料理をして、良く働いた。学園でのことを色々と思い出してしまうのは、良くない傾向だ。きちんと休まなければ。
そう思うと、途端に食事をとって空腹が満たされたことも相俟って、眠たくなってきた。
「お前、明日も森に入るつもりか?」
「えぇ。イッカクツノウサギ捕獲罠をしかけて、キイチゴを摘んで、ヒトヨダケと香草を、保存用にもう少し手に入れておきたいと思っておりますわ」
「調理場には、火精たちが戻ると言っていた。お前がわざわざ働かなくても、お前の為に食事を用意すると思うぞ」
「それは良いですわね。私一人では、調理場に火を灯す事もままならないので、どうしようかと思っておりましたの」
「いや、一緒に働けと言ってるわけじゃなくて、お前は客人だから、何もしなくて良いっていう話なんだが」
ジルベルト様の提案に、私は首を振った。
まだ料理長にはなったばかりなので、やり残したことがいくつかある。
「ジルベルト様が、私を伴侶に迎え入れて、子作りに励んでくださるというのなら考えても良いですけれど」
言ってしまってから、カミ様に駄目だと言われていたことを思い出す。
ちょっと眠かったので、間違えてしまった。羞恥心を全面的に押し出すべきだと、言われていたのだった。
とはいえ、ジルベルト様には私の嘘は割と簡単に見抜かれてしまうらしいので、恥じらってみせてもあまり意味がない様な気もする。
ジルベルト様は呆れたように深く溜息をついた。
「俺は今でも、お前は国に帰るべきだと思ってる。だが、何があったのかぐらいは、聞いてやっても良い」
私はジルベルト様の言葉に、私としては珍しく腹が立つのを感じた。
「口づけは良いのに、子作りは駄目、なんて。私のはじめてを奪った責任はとってくださいまし」
あれほど激しく奪っておいて、国に帰れだなんてあり得ないわ。
私の言い方も良くなかったかもしれないけれど、それは酷いと軽く睨む。
意固地になりすぎるのも考え物よね。なんならこのまま強引に、自室に運んでくれたって構わない。
私はドレスを着ていて、ジルベルト様も身なりを整えている。そして、はじめて二人きりで食事をして、穏やかに話をすることもできている。
よく考えたら、今まさにそういう雰囲気な気がするわね。
ここで私を簡単に部屋に帰してしまうのは、流石に失礼なのではないかしら。
「……私に触れてくださらないのなら、私はずっと、ずうっと、料理長のままでいますわ」
「意地をはるのはやめろ。お前は事情があって、わざわざ人間の国から逃げてきたんだろ。余程の事が無い限りお前は逃げたりしねぇ筈だ。教えろ。何があった、リディス」
あくまでも私の事情を知りたいというので、私はなんだかもっと腹が立ってしまった。
一度死んだ私の事情を話すのは、ジルベルト様にシンシアさんの存在を教えるという事だ。
それは何故だか、どうしても嫌だと思った。
「私の仕事は、美味しい料理を作り召し上がっていただく事なので、早く休んで明日に備えないといけません。失礼しますわね」
その気がないのなら、私の邪魔をしないでくださいな。
私は明日も森にいかなくてはいけなくて、汚れた服も洗濯しなくてはいけなくて、とっても忙しいのだから。
席を立って部屋を出ていく私を、ジルベルト様は追って来なかった。
食べ終わった食器を洗わなければと気になったけれど、そんな気分にもなれなかった。