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第74話「天使の散歩」

いつも読んで下さる方々に感謝しております。

 風呂に入り夕食を済ませると、そこからは自由行動となった。

 アリスは流石に疲れ切ったのか、男女別に割り当てられた部屋で今はぐっすりと眠っている。

 一方で真奈はネームレスからもらった術式の使用方法を探るとの事で、女子部屋で道具を広げて自分の世界に閉じこもっていた。

 約1名、龍二は用事があると言ってヤツヒメと何か会話をすると、そのまま道場の方に消えた。

 最近の彼は思いつめた顔をしているのをよく見かけるので、大丈夫だろうか。

 心配になり道場を覗こうかと思ったが、その後にヒメ姉に「1人にしてやれ」と止められたので、龍二の事はとりあえず断念せざるを得ない。

 仕方ないので気分転換に僕が散歩をする事にしたら、母親のレイナとの電話を終えた優と側で待機していた紅蘭くれないが一緒に行くと言ってついてきた。

 広い庭を、支給された着物で歩く3人。

 皇居の庭の草木は先月に軽く剪定したらしく、整えられた景観は実に見栄えが良い。

 そんな中で木々に囲まれている大きな池の水面には、夜空に浮かぶ綺麗な月が映っている。

 落ち着きのある雰囲気に少しだけ浸りながら、蒼は池を覗き込む。

 昼間には大きい錦鯉がたくさんいたが、今はどうやら底の方でお休みしている様だ。

 蒼は溜め息を一つ吐くと、2人を振り返って苦笑した。


「いやはや、初日で酷い目にあったねぇ」


 と呟く蒼に、見惚れていた紅蘭がやや遅れて頷いた。


「まさか一回も攻撃を当てられないとは思いもしませんでした。流石は姫の姉です」

「僕はあそこまでチートみたいな強さは持ってないけどね」


 しかも二つ名の〈千之剣サウザンドソード〉らしきものを今日は一回も見ることはなかった。

 つまりヤツヒメは、まだ全ての力を出していない事になる。

 そんなヒメ姉を相手にして、この一ヶ月以内で勝たないと結婚させられるとか、僕からしてみたら実に笑えない話だ。

 そうやって思案していると、隣にいる優がヤツヒメに対しての感想を漏らした。


「ほんと、ヒメ姉さんが見せたあの姿には驚いたわね」

「あー、あの〈天衣てんい魔法まほう〉を使ったヒメ姉のこと?」

「ええ、一瞬だけ蒼だと見間違えるくらいにそっくりだったわ」


 後に聞いたのだがアリスいわくヤツヒメが使ったのは〈天衣魔法〉という〈魔法使い〉のエクストラスキルの一つらしい。

 しかも上位魔法使いで誰も取得することのできなかった最難関の魔法スキルで、完成したのを見たのはアリスも初めてだと感動していた。

 ヒメ姉の話で〈インフェルノ〉のマップでも会得したのは彼女だけで、他にはいなかったとの事。

 つまり文字通り、彼女しか使えないユニークスキルみたいなものである。

 そんなのを相手にしないといけないとか、今まで戦った中でも間違いなく〈怠惰の魔王〉ベルフェゴールに並ぶ強敵ではなかろうか。

 蒼は庭園を歩きながら、雷を纏った純白の髪の従姉の姿を思い出す。

 すると、不意に声をかけられた。


「おや、蒼じゃないか。こんな時間に外を彷徨うろつくのは危ないぞ」

「その声はヒメ姉……うん?」


 背後から声をかけられて3人で振り向くと、そこにはリードを握り5匹の犬を引き連れた浴衣姿のヤツヒメがいた。


「ヒメ姉、この子達は」

「我が飼っている子達だ。全員捨てられてたのをうちで保護してな、今では立派な家族だ」

「へぇ、みんな可愛いね」

「左からムギ、コメ、ハク、ゲン、イネと名付けてる」

「…………」


 ワンちゃん達の名前が、全部米関連なのは従姉の趣味なのだろうか。

 見たところ大型犬のゴールデンレトリバーが1匹に、中型犬のコーギーと柴犬が1匹ずつ、小型犬のマルチーズとヨークシャテリアが1匹ずつか。

 みんな此方を見て、撫でてほしそうにブンブン尻尾を頑張って振っている。

 実に可愛い、こんなの撫でられずにいられるか!

 蒼がしゃがんで呼んであげると、みんなヤツヒメの「待て」という静止を無視して我先にと擦り寄ってきた。


「うはぁ、みんな可愛いなぁ!」


 わしわしと両手で2匹ずつ頭を撫でてあげる傍らで、何匹かが腕や足やら顔等を舐めてくる。

 実にくすぐったいが、みんな可愛いのでOKだ。

 一方で、その光景に飼い主であるヤツヒメは呆れた顔をした。


「みんなメスなのにあそこまで懐くとは、流石は蒼の魅力だな。まさか我の待てを無視してまで甘えに行くとは、思いもしなかったぞ」

「くぅ……アレを羨ましいと思うのは人間として不味い気がしますが、それでも……ッ」

「四葉君って時々面白いわよね」


 爪を噛んで自分も混ざりたいという顔をする紅蘭を、優は呆れた顔で眺める。

 蒼は甘えてくるみんなを均等に撫でてあげると、少し名残惜しんでから立ち上がった。

 なんと言うか、せっかく風呂に入ったというのに涎でベタベタである。

 これは後で入り直しか。

 そう思っていると、周りをクルクル回っていたワンちゃん達はヒメ姉が「整列!」と口にすると慌てて彼女の後ろの方に戻っていった。


「おお、訓練されてる……」

「それも蒼の前じゃ効果が薄くなるみたいだけどな」

「どういうこと?」


 首を傾げる蒼にヤツヒメは肩をすくめた。


「いや、天使の魅力は訓練した動物達の理性も失わせるのだと、少しばかり驚いただけだ」

「……昔から動物には異常に懐かれやすいんだけど、これって僕が天使だからなのか」

「そうだな。なんせ一つの世界の創造主のソウルを宿しているんだからな。動物達には母親みたいな存在に見えるだろう」

「つまりこの子達が見てるのは、僕じゃなくて内側にあるソウルって事になるね」

「あ、いや……すまん言い方が悪かったな。もちろん、蒼の優しい雰囲気とかもあると思うぞ」


 今の会話で地雷を踏んだと思ったのか、慌てた様子のヤツヒメ。

 普段クールな彼女の珍しい姿に少しばかり悪戯心が芽生えた僕は、焦る従姉の顔が見たくて演技をすることにした。


「ぐすん……ヒメ姉、気を使わなくて大丈夫だよ。だって魔王からも魅力的に見えるんだもん。動物達が僕じゃなくて〈女神のソウル〉に惹かれるのは無理もないよ」


 視線をそらして、ねてみせる蒼。

 そんな彼の姿を見ると、ターゲットのヤツヒメだけでなく、優と紅蘭まで焦った顔をしてフォローを始めた。


「わ、我は天使に関係なく蒼の事が大好きだぞ!」

「私も天使になる前から、蒼の事が大好きだからね!」

「ボクはVRゲームでご一緒していた時から、世界中の誰よりも姫の事を愛してますよ!」

「──あ?」


 どさくさに紛れて愛の告白をする紅蘭に、ヤツヒメがこめかみに青筋を浮かべた。

 見事に地雷を踏み抜いた紅蓮の少年に、ヤツヒメは詰め寄る。


「四葉の小僧、我の前で蒼に告白するとは中々良い度胸してるな」

「ヤツヒメ様、これは違痛だだだだだだだだだ!?」

「何が違うというのだ。よくも我の前で世界中の誰よりも愛してる等とほざいたものよ。蒼と付き合いたくば〈武神〉の前にこの我を1人で倒してみせろ!」


 片手で紅蘭の顔面を掴んで、少女とは思えない力で空中に持ち上げるヤツヒメ。

 放置するとそのまま握り潰しそうな勢いだったので、蒼は演技をやめて彼女の側に歩み寄ると「ヒメ姉、やめてあげて」と言って従姉の腕に軽く触れる。

 ヤツヒメは不満そうな顔をしたが、蒼が真っ直ぐに見つめると渋々だが了承。

 上空に持ち上げていた紅蘭から手を離すと、そのまま地面に開放した。

 急に拘束から解き放たれた紅蘭は地面に尻餅をつき、それから何度も蒼に感謝の言葉を述べた。


「ありがとうございます。姫、この御恩は次の機会に必ずお返ししますので」

「い、いや。こういうのは返さなくて良いんじゃないかな」


 過保護な従姉から助けただけなので、こんなので一々恩返しされたらキリがない。

 その事を伝えると、紅蘭は苦笑した。


「分かりました。ではここにいる間は、姫にお手数をお掛けしないように気をつけます」

「うん、そうしてくれると助かるかな」

「むぅ…………」

「ヒメ姉も、告白されたくらいであんまり怒っちゃダメだからね?」


 ヤツヒメは何か言いたそうな顔をしていたが、蒼から注意されるとしゅんと大人しくなった。


「それじゃ、そろそろ部屋に戻ろうか。ヒメ姉も散歩の途中だろ」

「ああ、そうだな。蒼と話をしてたらつい長居してしまった。我もこれが終わったら部屋に戻るとしよう」


 尻尾を振り回しながら待機しているワンちゃん達を連れて、ヒメ姉は止めていた散歩を再開する。

 歩き去ろうとする後ろ姿に、蒼は一つだけ従姉に対して質問を口にした。


「ヒメ姉」

「なんだ、従弟よ」

「……僕達は、ヒメ姉に勝てるのかな?」

「我にそれを聞くのはどうかと思うが。そうだな、今のままでは何をしても無理だな」

「…………ッ」

「だが、可能性が全くないわけではない。考えるのだ、我の可愛い従弟よ」


 そう言ってヤツヒメはリードを引いて、愛犬達とその場からいなくなった。

 残された蒼は、優と紅蘭に背を向けて夜空を見上げると。


「……考えろ、か」


 浮かぶ月を眺めながら、小さな声で呟いた。

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