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第66話「天使の厄介事」

いつも読んで下さる方々に感謝しております。

 世の中には理不尽な事で溢れている。

 そんな中でも天照ヤツヒメという少女は、理不尽というものを力と知恵でねじ伏せる程に強い人間だった。

 初めて会ったのは5年くらい前か。

 父親から従姉弟だと連れて来られた彼女を見た時は、それはもうその美しさに驚いたものだ。

 金色の髪に金色の瞳、真っ白な肌に巫女服を身に纏い、洋と和を混合させた新しい美の一つに僕は見惚れた。

 だがそれも最初だけであり蓋を開けてみたら、彼女はそこら辺の力自慢が裸足で逃げ出しそうなくらいに、手加減を知らない人間だった。

 鬼ごっこでは捕まると空高く放り投げられ。

 隠れんぼでも見つかると空高く放り投げられ。

 缶蹴りでは100メートルくらいの距離があったにも関わらず、彼女は5秒で走り抜けて空高く放り投げるという鉄壁の防御力を見せつけた。

 ただ基本的に遊ぶとなると、彼女は鬼を率先的にやってくれていた(投げ飛ばされるのもセットで付いてくるけど)。

 ちなみに彼女が鬼以外をやった場合、そもそも目の前にいて触れることすらできないので、鬼以外では遊びにすらならないのだ。

 うん?

 空高く放り投げられる意味とは?

 あまり深く考えてはいけない。

 ヒメ姉とはそういう人なのだ。僕は投げられた回数が3桁を越えてから、考えることを諦めた。

 強いて言うならば、受け身が上手くなったくらいだろうか。

 3階くらいの高さなら、素で飛び降りても無傷で着地できると思う。

 昔はよく優と龍二と3人で彼女に蹴散らされたなぁ、と蒼は父親の部屋の掃除をしながら、どこか遠い目をした。

 でも彼女は厳しいだけではない。

 ちゃんと優しさも兼ね備えていて、遊んだ後には僕達に手作りのチョコレートケーキを振る舞ってくれた。

 これが格別に美味いのだ。

 生地とクリームのバランスが絶妙に取れていて、それでいて全く重くない。

 いくらでも食べられると、僕達3人は絶賛していた。

 ……ああ、思い出したら何だか食べたくなって来ちゃったな。

 明日ケーキでも買いに行こうか。

 そんな事を考えていると、不意に部屋の扉が開く。

 中に入ってきたのは、妹の部屋の掃除をしてくれていた金髪碧眼の少女、水無月優だった。

 

「蒼、こっちは終わったわよ」

「ありがとう、こっちもこれで終わりかな」


 共有スペースは休日に3人で掃除をしているからそれなりに綺麗なのだが、家族の部屋はそこまで手の込んだ掃除をしていないので時間が掛かってしまった。

 壁に掛けてある時計に視線を向けると、針が18時を指そうとしている。

 優の母親のレイナさんには、掃除を始める前に今日は此方で夕飯を食べる旨を伝えてあるので問題はない。

 真っ黒になった雑巾を水につけて綺麗にしてから絞ると、蒼はバケツを持って立ち上がった。


「それじゃ下に行こうか」

「久しぶりに本気で掃除したから、もうお腹ペコペコよ」

「今日は秋刀魚買ったから楽しみだね」

「やった、秋刀魚大好きなのよ」

「秋刀魚は、基本的には焼くけど刺し身も美味しいよね」


 2人でそんな会話をしながら一階に降りる。

 掃除道具を片付けて、夕飯の支度をしている真奈の手伝いをアリスも混ざり4人ですると、具だくさんの豚汁と白菜のお浸し大根おろしを添えた秋刀魚の塩焼きのシンプルな和食が完成した。

 テーブルにそれらの料理を並べて、僕と優が隣同士で向かい側に真奈とアリスが座ると、みんな声を合わせて「いただきます」と言って食べ始める。

 食べながら僕達は、今後の方針を決めることにした。


「とりあえず明日ヒメ姉がやって来るから、2人とも十分に気をつけてね」

「鬼ごっこで蒼様と優が投げ飛ばされたくだりは聞いたのじゃが、そんなにヤバい人なのじゃ?」


 秋刀魚の身を綺麗にほぐしながら、アリスが質問をしてきた。

 それに蒼と優は、2人揃ってなんとも言えない顔をする。


「うーん、普段は優しい人なんだけどねぇ……」

「やる事には全力を尽くすタイプなのよ。遊びには一切の手加減はしないし、任された事は完璧にやる。悪は許さない性格で、神威市で人様の迷惑になっていた不良達は、全員ヒメ姉さんによって更生させられたらしいわ」

「まぁ、あくまで近所の人から聞いた噂だけどね」


 海外に留学すると言ってこの5年間は神威市から離れていたが、彼女の事だからきっと性格は昔と変わらないだろう。

 むしろ変わっていたら、そっちの方が事件だ。

 そんな失礼な事を思いながら食べ進め、夕食を完食すると僕達は食器を片付けてリビングで一息ついた。

 時間は19時になろうとしているが、優の家は真横なので此処から1分も掛からない。

 彼女は少し休憩してから帰ると言って、ソファーに腰掛ける。

 僕は特に話すことも無いので何となくテレビをつけてみると、ニュースで未だに〈暴食の魔王〉と日本軍の戦いの膠着状態が続いている事が流されていた。

 そして次に取り上げられたのは、アルサ・ペンドラゴンというヨーロッパの皇子が〈エクスカリバー〉を11月に継承するのが決まったという事。

 他に目ぼしい情報は、ガルディアンが竜人国に侵入した色欲の幹部を討ち倒したくらいか。

 一ヶ月前は、テレビのニュースでこんな事が取り上げられるなんて想像もしなかったな、と僕はしみじみ思う。

 蒼は優の隣に腰掛け、テーブルに突っ伏しながらこの一ヶ月で自分に起きた事を思い出した。

 まず最初に起きたのは、VRゲーム〈ソウルワールド〉の現実化と自分の性転換。

 少年から少女に性転換したのは現実化した〈ソウルワールド〉が原因だと思っていたら、実は自分の中にある〈女神のソウル〉のせいだった。

 しかも〈ソウルワールド〉の現実化は10年前から起きており、おまけに自分が厳密には人間ではない事を父さんから聞かされた。

 僕──壱之蒼は〈天使〉という何やら特別な存在で、魔王や邪神から世界を征服するための鍵として狙われているらしい。

 そんな僕は、10年間この神威市で外の世界の変化から守られていた。

 全ては少しでも平穏な生活をして欲しいという、父さん達の想いのもとに。


「平穏……か。ほんと、困っちゃうよな」


 嘆くように呟いて、蒼が視線を向けるのは、家に帰った際にポストに入っていた沢山の平穏を乱す手紙達。

 その内容は、他国からの舞踏会のお誘いだった。

 読んだところ強制ではないらしいが、遂に来てしまったかと蒼は頭を抱えたくなる。

 どう考えても、自分が出席したらトラブルになる気がした。

 しかもお誘いしているのは皇子とか皇女とか、とても偉いと思われる王族の方々だ。

 ご都合が合えば、とみんな記載しているけれど、果たして他国の王族の誘いを断って大丈夫なのだろうか。

 父親に電話で相談するべきなんだが、最近は〈暴食の魔王〉の動きが活発で緊張状態が続いているのに、心労の掛かるような事はなるべくしたくない。

 優達に相談したら、当然ながら断ることを推奨された。

 万が一公の場で王族に交際を申し込まれたら、それこそ洒落にならないからだ。

 そして今の自分は、そうなる事が容易に想像できるから怖い。

 

「まぁ、この事は明日ヒメ姉にも相談するかな」


 魔王に未だ見たことのない邪神に、他国の皇子と皇女達からのお誘い。

 問題が山積みの場合は、一番の知恵者に聞くのが良い。

 しばらくしてから優を自宅に送ると、蒼達は新たな問題を一旦置いて風呂に入る事にした。

 その矢先の出来事であった。

 時刻が20時になろうとした瞬間、突然ドアの鍵が開いて誰かが家の中に入ってきた。

 蒼は、その人物を見て絶句した。

 何故ならば、それは明日来ると言っていた天照ヤツヒメだったからだ。

 神威高等学校の女子の制服を身に纏う彼女は5年前と変わらない姿で、突然の来訪に驚いて固まる蒼に歩み寄ると。


「久しぶりだな我の従弟、やっぱり我慢できなくてこんな時間に来てしまったよ!」


 力強く抱き締めて、嬉しそうに言った。

 僕の小さな身体は、満面の笑顔を浮かべるヒメ姉の手加減を知らない腕の力に悲鳴を上げると。

 ────あ。

 ボキッと人体が出してはいけない音を出すのであった。

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