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第62話「いつかまた」

今まで読んで下さった方々、まことにありがとうございました。

 ──走る。

 ただひたすらに走る。

 目の前の景色を次から次に後ろに置き去りにしながら、両手を振って蒼は走る。

 今日は平日なのが幸いだった。

 休日には子連れの親がいつも何組かいるが、今の東区の住宅街の大通りには、人の姿は1つも見当たらない。

 もしも人がいれば、白髪の少女が全力疾走する姿に驚いただろう。

 そんな事を思いながらも、蒼は足を止めることなく走り続ける。

 それから何分か経った頃だ。

 走っている蒼の目に、目的の人物の背中が映った。

 黒髪の少年。いつも黒い服ばかりを好んで着ている、壱之蒼の〈守護者〉である睦月むつき黒漆くろうだ。

 彼はアビリティで此方の存在に気づいたのか、振り向いて驚いた顔をする。

 その胸に、蒼は走る勢いを利用して全力の飛び蹴りをお見舞いした。


「な──ぐふぉ!?」


 予想外の行動だったのだろう。

 悪魔の攻撃なら余裕で反応できるソレを、無防備な状態で食らった黒漆は、宙を舞い地面を何回か転がるとぐったりとした。

 ぜぇぜぇ……。

 肩で息をしながら額の汗を拭い捨て、ゆっくりと呼吸を整える。

 勢いがあったとはいえ、今の自分の身体はメチャクチャ軽い。飛び蹴りは見た目だけで、威力は殆ど無い。

 だから直撃したとはいえ、黒漆には全く効いていないだろう。

 それを知っている蒼は、遠慮なく彼に対する怒りの炎を宿して仁王立ちをすると、声に怒気を混ぜて言った。


「あのさ、寝てた僕が悪いのは分かるんだけど、せめて別れの挨拶くらいはさせてくれないかな」

「……あ、蒼さん?」


 珍しく怒っている蒼を恐る恐る見て、流石の黒漆も呼び捨てではなくなる。

 離れたところで見守っているレイナ達も、普段見ることのない怒りに燃える壱之蒼の様子にびっくりしていた。

 蒼はゆっくり黒漆に近寄ると、彼にハッキリと言った。


「これが今生の別れじゃないだろ。ネームレスから術式をもらったら、今度はこっちから会いに行ってあげるよ」


 もちろん父さん達に会うついでだけどね、と付け加える。

 すると黒漆は呆然となり、気を取り直すと立ち上がり慌てて首を横に振った。


「いやいやいや、君が最前線に来たら不味いだろ。何のためにオレと師匠が〈暴食の魔王〉と戦っていると思っているんだ」

「え、僕のためだろ?」

「分かっているなら、少しは自分の身を大切にしてくれないか。今回の件だってどれだけ危ない橋を」


 急に説教じみた事を口にしだした黒漆の頬を、蒼は黙るように人差し指でぎゅっと押してやる。

 そして不敵に笑うとこう言った。


「僕を守ってくれるんだろ。なら安心して行けるじゃないか」

「それは、そうなんだが……」


 間近で視線が合うと、黒漆は顔を真っ赤に染めた。

 対する蒼も胸が少しばかりドキドキするが、真奈とアリスから貰った指輪のおかげで我慢できない程ではない。

 2人に内心で感謝をしながら、僕は予め決めていた事をする為に、左手に装備設定をしている武器を呼び出す。

 それは、小さな刀だった。

 特別な細工などは施されていない。ソウルワールドでも特別にレアリティが高いわけではない武器。

 名を〈風切丸かぜきりまる〉という。

 武器を取り出した突然の行動に首を傾げる彼に、その小刀の柄を向けると蒼は微笑を浮かべた。


「僕がソウルワールドで初めてソロで入手したレア武器だ。記念品としてずっとお守りとして持ってたけど、これをあげるよ」

「……良いのか。大切な物なんだろ」

「10年も守ってもらったんだ。餞別せんべつの一つくらいあげないと、気になって夜も眠れないからね」

「わかった、大切にするよ」


 黒漆は苦笑すると、柄を握って小刀を受け取る。

 それから嬉しそうな顔をすると〈風切丸〉をまじまじと見て硬直した。

 どうしたのだろうか。

 小刀に付与されている効果は、風魔法の効果アップだったはず。

 どうせ魔法剣士は片手の装備は空いているので、何も持たないよりはマシだろう。

 そう思って渡したのだが、何か不味いものでも見つかったのだろうか。

 蒼が尋ねると、黒漆は真顔で答えた。


「これ〈天使の祝福〉ってスキルが付いてるんだけど、蒼なにかやったのか」

「え、知らないよ」


 洞察アビリティを発動して、自分も小刀を見てみる。

 すると確かに〈天使の祝福〉という見たことのないスキルが付いていた。

 何なのか更に見てみると、なんでも所持していると〈幸運〉になるらしい。

 うん、わからん。

 幸運になるだけとは、何ともアバウトなスキルだ。


「幸運って事はレアドロップ率とか上がるのかな。まぁ、持ってないよりはマシなんじゃないかな」

「オレにとっては、この時間が何よりも幸運で幸せな事だよ」

「はいはい、良かったね」


 これで僕の用事はすべて終わりだ。

 小刀を装備欄にセットしてしまうと、黒漆は腕時計の針を確認して蒼にこう言った。


「それじゃ、電車の時間が近いから行くよ」

「うん、気をつけて」


 背を向けて、駅に向かって歩き出す黒漆。

 彼は歩いていると、ふと此方を振り向いて大声を出して。


「告白の返事、ちゃんと聞いてないけどチャンスはあるって思って良いんだよな?」


 それに僕は満面の笑顔を浮かべると、手を大きく振って答えてやった。


「バーカ、僕は男だぞ!」


 黒漆は少しだけキョトンとした。

 今の姿のどこに男の要素があるんだ、そう言いたそうな目をしていた。

 しかし彼は苦々しく笑うと、再び背中を向けて歩き出した。

 蒼はずっと、その背中が見えなくなるまで見送る。

 すると気合で立っていた僕は限界を迎えて、一気に力が抜けて倒れそうになる。

 それを後ろから支えてくれる人達がいた。

 真奈とアリス、それとレイナさんと優だ。

 彼女達は顔色の悪い僕を見て、心配そうな顔をしていた。


「ごめんね、みんな」


 謝る蒼を咎める人は誰もいなかった。

 その中でただ一人、水無月優は嬉しそうな顔をして蒼に尋ねた。


「蒼、気は済んだ?」

「うん、もう大丈夫だよ」

「そう、それなら良かったわ」


 自立すらままならない蒼の小さな身体を、水無月レイナが抱えて帰路に着く。

 彼女の腕の中で揺れながら、僕は青く広がる空を見上げた。

 女の子になって色々あったけど、たくさんの人達が僕を支えてくれている。

 果たして僕は男に戻れるのだろうか。

 それとも、このままなのか。

 どうなるのかは全く分からないが、予感みたいなものを蒼は感じていた。



 ──いつか、大切な何かを選択する時が来る。



 まだ見えない未来を思いながら、蒼は大切な人達に囲まれながらそっと瞳を閉じる。

 何があっても皆がいれば乗り切れる。

 それを、信じて。



『第一部、完』

今回ので第一部は終わりとなります。

見切り発車で始めた作品でしたが、ここまでお付き合いして下さり誠にありがとうございました。

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