第54話「怠惰の兵士」
いつも読んで下さる方々に感謝しております。
沈黙が辺りを支配する。
神社で1人佇むは無邪気で妖艶な魔王。
逃がすまいと手を伸ばし、掴む寸前で目の前で消えた標的達に、〈怠惰の魔王〉ベルフェゴールは楽しそうに笑った。
目視と肌で感じる範囲には人の気配は全くない。
先程の伏兵に気付かなかったとは、余程〈天使〉に興奮していたのか、それとも相手が隠れるのが上手かったのか。
蹴り飛ばした2人は、寸前で防御されたので遠い彼方まで飛ばされるだけで済んでいるはず。
つまりここには戦う相手は居らず、自分1人しかいない。
それを魔王は、楽しく思う。
『ふむふむ、逃げられたか。これは痛快愉快』
視線を、神威山の広大な森に向ける。
魔王の気配探知をもって探せば、普段なら確実に探し出す事ができるのだが、今はそのアビリティは役に立ちそうにない。
何故ならば気配を追おうにも、この山に張り巡らされた〈創造主の結界〉によって、魔族の感知能力はほとんど機能していないからだ。
これも遊びをより楽しくするための一環だと、胡散臭い主は語っていた気がする。
……ふん、名無しの化け物め。
ベルフェゴールは鼻を鳴らし、主から貰った人間の知識の中から、この状況に当てはまる遊びを口にした。
『隠れんぼ、いやこれは鬼ごっこというヤツかな?』
逃げる者達を探し出して捕まえる。
人間の遊びとは、何とも面白きものよ。
捕まえた者達はどうしてくれようか。
天使以外はいらないので殺してしまうか、或いは傀儡にして天使にプレゼントするのも手か。
まぁ、遊び方は沢山ある。
事を急ぐ必要はない。
なんせ自分は、生まれたばかりだ。
全てを簡単に終わらせてしまうのは、余りにも勿体ない。
そういった意味で考えるのならば、天使達に逃げられたのも悪くはない状況と言える。
我は鬼、逃げるは可愛い小うさぎ。
舞台は整っている。
ここは人間界のルールに則って遊ぶのも一興か。
『ふふふ、ルールは鬼ごっこ。勝利は障害を排除して天使を手に入れたらにしよう、そうしよう』
可愛らしい小娘のように小躍りしながら、自分の中にある術式に色々と加えて改造していく。
そんな作業をしながら、ふとベルフェゴールは先程の戦闘を思い出す。
〈ティターンの大剣〉の使い手はレベルは中々だが大した事ない。物珍しい空間魔法使いも、サポート能力は高いが戦闘能力は低いと見た。
天使の〈守護者〉も、この世界に来るために消費した力は回復しきっていない様子。
唯一驚いたのは、殺しそこねた魔法使いと、セラフィムのソウルを自身の装備にした小娘か。
まさか単独で光の大魔法〈天照大神〉を使ってくるとは。
とっさに防御したが、今の自分が直撃していたら確実に消し飛んでいたかも知れない。
故に、早々に退場してもらった。
死ななかったのは意外だったが、小娘には〈呪い〉を与えたので、そう簡単には前線に復帰はできないだろう。
しかも自分の呪いは特別性だ。
呪いの強度に関係なく解呪できる上級符術士がいない場合、厄介な魔法使いはそのままライフを削りきられて死亡する。
となると最大の障害になりそうなのは、桃色の髪の小娘か。
召喚獣のソウルを錬金術で武装に変えるとは、余程高い信頼関係を築かなければできない芸当だ。
奴を一言で評するのならば、化け物だ。
ソウルを武装に変換するなんて発想、普通は思いつかない。魔王の視点から見ても、文字通り狂気の領域だ。
思い出して、ベルフェゴールは身震いする。
あの斬撃、直撃していたら中々なダメージになっていただろう。
焼けた指を見ると、皮膚は既に完治している。真っ白な指には最早、火傷の跡など少しも残っていない。
そこまで考えて、ふと魔王は思う。
『そういえば、あの小娘どこかで見たことがあるような』
はて、一体どこだっただろうか。
思い出そうにも生まれ変わったばかりで記憶が混雑していて、いまいち思い出せそうにない。
だが一つ言うのならば、あのソウルの色は限りなく〈白の天使〉に近い気がする。
だとするならば、セラフィム以上の力を隠し持っている可能性も視野に入れる必要がある。
『やれやれ、ままならぬとは実に面倒で愉快な事よ……本調子ではないし、しばし配下に任せて眠るとするか』
自分は復活したばかりで、未だに全力を出せる状態ではない。
言うなれば赤子のようなもの。
こんな問題が発生している時は、とりあえず眠るのが一番だ。
ベルフェゴールが指を鳴らすと、本殿の前に豪奢な天蓋付きのベッドが出現する。
〈怠惰の魔王〉はそこで横になると、手足を伸ばして久しぶりに動かした身体の凝りを解していく。
最後に天蓋の効果で全身の汚れを綺麗に落とすと、魔王の少女は安らかな顔で眠りに着いた。
すると彼女の身体から、神社を覆う程の巨大な魔法陣が発生する。
〈怠惰の兵士〉
怠惰の魔王が眠っている間、その身を守り、願いを叶える兵士を呼び出す〈怠惰〉のユニークスキル。
一度に呼び出せる兵士の数は、全盛期なら数万くらい。今の弱体化した姿なら数百体が限界か。
数百体もいれば〈天使〉を見つけ出して自分に献上するのは余裕だろう。
目を覚ましたら、自分の横に白の天使がいる事を期待してベルフェゴールは意識を完全に落とす。
その直後、無数の武装した2メートル程のデーモンが魔法陣から姿を現した。
レベルは全て60。
創造主と戦ったときのレベルは100なので、全体的にかなり弱体化している。
その中でも一際強い、レベル80の指揮担当のハイデーモンが2体程いた。
『王ノ命ハ天使様ノ奪取』
4メートルはある鎧を纏う巨体の怪物は、大槍を手に地面を打ち鳴らし。
『王ノ命ハ力弱キ者ハ無視』
同じく4メートルある鎧を纏う巨体の怪物は、両手で握る大戦斧を自在に操る。
『王ノ命ハ邪魔スル敵ノ排除』
『王ニ栄光アレ』
『我ラハ剣、王ノ望ミヲ叶エル兵ナリ』
『全軍、死ヲ恐レズ山ヲクマナク探セ』
『我等ハ〈怠惰ノ兵士〉王ガ目覚メヌ限リ永遠ニ出ズル無敵ノ兵ナリ』
『全軍突撃!』
ハイデーモンの号令と共に、配下のデーモンの大群が神威神社から進行を開始した。
◆ ◆ ◆
神威山のてっぺんを眺めながら、民間人の避難が終わったのを聞いたスサノオは少しだけ安堵する。
これで一般の人々は大丈夫だ。
残るは〈天使〉とその仲間達なのだが、まさか〈怠惰の魔王〉が出てくるとは。
ネームレスめ……。
名も無き怪物に対して悪態を吐く。
流石に今から壱之呉羽を呼んでも、ここには間に合わない。
海外で修行させている娘のヤツヒメも、帰国は明日になっているので此方も間に合わない。
山に集ったメンバーの資料を見ながら、スサノオ王は苦悩する。
これでは、足りない。
魔王を相手にするのならば、後1人強い助っ人が要る。
そんな事を考えていると、いきなり携帯電話が鳴り出す。
こんな時に何者だ。
そう思って電話に出ると、それは日本最強の守護者、壱之呉羽からだった。
『よう、スサノオ王』
「呉羽、こんな時に何用だ?」
尋ねると、彼はいつもの快活なテンションで言った。
『怠惰の魔王が出たと聞いぞ。そっちは大丈夫か』
「率直に言って、大丈夫ではないな」
『黒漆がいても厳しいのか?』
「守護者はまだ力が全て回復していない。加えて〈七色の頂剣〉は2人もメンバーが不在だ。状況はかなり不利だ」
加えて、王であるスサノオは自由に動けない身だ。
天使達に加勢してあげたいが、神威市の結界の要であるこの城から、安易に離れるわけにはいかない。
スサノオの話を聞いた呉羽は『ふむ……』と声を漏らすと、こう言った。
『それなら彼女に助っ人を頼もう』
「彼女?」
『ああ、ソウルワールドで俺とパーティを組んでいた、レベル90の強力な助っ人だ』
「まさか〈金色〉か……?」
『そのまさかだ』
「だが〈金色〉は〈天使〉を守ってソウルに深刻なダメージを受けたと聞いているが」
『短時間の戦闘なら大丈夫だと聞いている。それに今回はあの子が現場にいるんだ。彼女も動いてくれるだろう』
呉羽がそう言うと、不意にスサノオの手のひらから携帯電話が消える。
何事かと思うと、いつの間にか目の前に迷彩の戦闘服を身に纏った金髪の仮面の女性が立っていた。
一体、いつからそこにいた?
自分の城内なら全ての事を知る事ができる王が、携帯電話を取られるまで全く知覚できなかった。
通常なら有り得ない事だ。
支配領域で知覚できないようにするなど、どんな種族の諜報員にもできない。
そしてそんな事ができるのは、この世界で1人しかいない。
仮面の女性は、スサノオから奪い取った携帯電話を耳に当てると鈴のような声で呉羽にこう言った。
「状況は把握してるわ、わたしが出るしかないわね」
『すまない。体調はどうだ?』
「全力で戦えて10分ってところかしら。それだけあれば、露払いくらいなら十分ね」
『助かる。俺はそちらにいけないが……』
「……そうね、そうしてくれると蒼君も助かると思うわ」
それから呉羽と何回かやり取りすると、金髪の女性は携帯電話の通話を切って、此方に手渡す。
スサノオは素直に受け取り、彼女を見て戦慄した。
目の前にいるというのに、気配を感じない。
視覚では認識できている。だがそれだけで、幽霊のように全く実体の情報が入ってこない。
圧倒的な存在感を周囲に与える呉羽とは、正に対極的な存在。
〈金色の狩人〉水無月レイナ。
世界最強と肩を並べる、空間の魔法使い。
「それじゃ、頑張ってる蒼君と優を助けに行きましょうか」
彼女はそう言って〈天照王城〉の最上階から身を投げ出すと、そのまま姿を消した。




