第5話「少年と執事」
時は1時間ほど前に遡る。
時刻は午前6時34分。
土宮龍二の目覚めは最悪なものだった。
昨日親友の少年と5時間もの長い戦いを繰り広げ、その末に掴んだ勝利。
自信を持って己が恋する少女に告白したものの、結果は「ごめんなさい」の一言で見事に撃沈。
完全に気持ちが沈んだ自分を慰めるためにも、そのままソウルワールドがメンテナンスに入る午前1時まで、彼はひたすらモンスター達に八つ当たりをしていた。
だがどれだけ狩っても経験値は思っていた以上に貯まらない。
このソウルワールドはレベル1から50までは、それなりに時間を注ぎこめば上げられる。
問題なのはレベル50に到達した後であり、そこから1上げるためにはレベル1から50に到達するまでに稼いだ経験値と同じ量を要求される。
これは別名『50の壁』とプレイヤー達から呼ばれており、数多のライト勢がここで強くなることを諦めた。
そしてそれはレベル60も同じであり、今度はレベル1から60になるまでの経験値を要求されるようになる。
ということは、レベル70から71に上がるためには今度はレベル70までに稼いだ経験値が必要となる筈だ。
龍二は思い出す。
攻略サイトで計算した人いわく、廃人プレイで到達できるのはレベル70までで、そこから先は1上げるのに四六時中プレイしたとしても最低でも一週間以上は必要となるかもしれないと。
だがそれはもちろん現状の環境でレベリングをした場合の話だ。今回の大規模メンテナンスで新しいマップが開放されて、そこでもっと高い経験値をくれるモンスターやクエスト等が追加される可能性は高いとユーザー達の間で噂になっている。
そうなれば、今年中にはレベル80になることも……
「って、俺は何を考えているんだ。ソウルワールドで現在レベル70に到達しているのは俺だけだ。一体なにを焦っているんだ」
それにソウルワールドは強くなる事だけが楽しみ方じゃない。狩りでレベリングに行き詰まったのなら、効率は悪いが蒼みたいに気晴らしに料理や釣り等の趣味スキルで経験値を稼いでも良い。
なんなら、貴重な職業保存のアイテムを使って新しい職業を育ててみるのも良い。
ソウルワールドの遊び方は無限にある。
生産職なんかはその極みの一つであり、彼等は己の技と心をもって至高の一品を世に出している。
自分が装備している鎧もその技術の結晶の一つであり、特殊なミッションをクリアした時のみ入手できる超硬度の金属『ダークミスリル』を知り合いの名防具士に加工してもらった第一級の代物だ。
しかも低確率で魔法を受け流すミスリル本来の効果も併せ持っており、先日の蒼との最後の衝突では、こちらのHPを先に削りきろうとした極限付与魔法の何割かを防いでくれた。
正直、鎧の効果がなければ先にHPを削りきられたのはこちらだろう。
レベルの差なんて関係ない。
アレは、どちらが勝ってもおかしくない紙一重の真剣勝負だった。
とはいえ、レベル2の差とレベル70に到達した際に獲得したエクストラスキル『騎士王の一撃』があったにも関わらず互角の戦いをされたのだ。龍二としてはどこか負けた気分でもあった。
「ほんと、アイツは凄いよ」
壱之蒼は勉強もスポーツも平均以下だ。
しかしいざ勝負になると、その集中力ととっさの機転は頭一つ抜き出る。
5年前に父親が亡くなり母親の仕事の事情で、龍二はこの神威市に引っ越してきた時の事を思い出した。
普段はメガネで目立たないようにしているが、実は彼の瞳は生まれたときから片方だけ色が違う。
その事が原因で、龍二はどこに行っても注目され、イジメの対象にされてきた。
そして彼が取る行動はいつも一方的に殴られる事。
反撃すると面倒な事になるし、なにより仕事で忙しい母親に迷惑が掛かるのが嫌で、自分から手を出すことは絶対になかった。
でもこの街に住む一人のお人好し(バカ)はこれまでの奴らとは違った。
アイツはいきなり現れるなり現場の一部始終を動画で収めた携帯電話を見せると「消して欲しかったら僕を捕まえてみせろ!」と叫んでその場から逃走したのだ。
あの時の自分も含めた悪ガキ共のポカーンとした顔よ。
慌てて俺をその場に置いて蒼を追いかけるが、アイツは服やズボンを掴まれるとそれを脱いで逃げ、それを繰り返してそのまま校舎に逃げ込んで証拠の動画をPTAで集まっていた親達に見せるなんて事までした。
当然学校は大騒ぎだ。
あの時の出来事は今でも忘れられない。なんたってその時のPTAの会長の息子がイジメの主犯だったのだから。
その後も色々あって、今ではかけがえの無い親友となっている。
「アイツの諦めない執念は普通じゃねぇよなぁ」
呟き、パンツ一枚でドヤ顔していた蒼の姿を思い出して笑い、龍二は着替えを済ませると部屋から出てリビングに向かう。
優に告白して振られた身だが、まぁなんとかなるだろう。
そう思い顔を上げると、
リビングのテーブルの前に、見知らぬ黒いスーツを着た老練な男性が立っていた。
身長は自分と同じくらいだろうか。髪は白髪だがしっかり手入れされており、その佇まいはピシッとお手本のように真っ直ぐしている。
え……誰?
思わず身構える龍二。
警戒する少年に、男性は深い笑みを浮かべると綺麗にお辞儀をした。
「おはようございます、龍二様。朝食の準備ができてございますよ」
「え、あ……おはよう。じゃねぇよ、アンタ誰だよ」
「これは大変失礼致しました。私は本日より国より派遣されました龍二様の専属の執事、山田次郎と申します」
「国から派遣? 専属の執事だぁ?」
龍二は自分の耳を疑った。
一般人に国から執事が派遣されるなんて聞いたことがない。
何かの間違いか。
龍二がそう言うと、山田次郎と名乗る執事は笑顔を崩さずに言った。
「一般人? お戯れを。貴方様は世界七剣に属する名家の一つ、土宮家の長男です。今はお一人で庶民の生活を経験する期間でこのような場所に住んでおられますが、いずれは世界をその身に背負って戦われる宿命。ですので国としては鍛錬と勉学に集中できるよう、昨日より身の回りのお世話係を一人つける制度が決定されました」
「いや、マジであんた大丈夫か」
世界七剣?
ソウルワールド内で自分や蒼を含めた魔王を倒した7人の総称が『七色の頂剣』だ。
それに類似する言葉に、龍二は引っかかる。
もしかして蒼達の仕込みなんじゃないかと疑いもして周囲を見回すが、当然の事ながらリビングや他の部屋や玄関の向こう側に人影は見当たらないし気配も感じない。
……あれ、なんで俺誰もいないって分かるんだ。
そこで、ふと龍二は自分に起きている違和感に気づく。
まるで自分が周囲に広がっているような感覚。それはマンション内に住む人々の位置すら明確に掴み、なにをしているのかすら分かる。
なんだこれは、まるでソウルワールドのアビリティ『索敵』じゃないか?
龍二は主に攻撃と防御にレベルアップボーナスを振っているパワータイプのプレイヤーだ。そのため動きの早い蒼みたいな敵を相手にするために『索敵』アビリティの熟練度を100まで上げている。
その結果『感知』を副次効果で獲得したのだが、この『感知』は相手との距離が近ければ近いほど次に何をしてくるのか分かるようになるという優れもの。
龍二は、このアビリティのおかげで敵の攻撃が発動する前に対応できるようになり、アタッカーとしてもタンクとしても一流のプレイヤーとして活躍している。
しかしそれはあくまでもゲームの中での話だ。ここにいる龍二にそんな能力はない。
無いはずなのだが、直に感じるソレはどう考えてもゲーム内のアビリティと酷似している。というかこんな事、普通の人間にはできない。
まさか、と呟く龍二
世界七剣。突然発現した索敵アビリティ。
自分の中で結びつく2つの関係性に、何だか嫌な予感がした龍二は執事の「どうかされましたか?」という質問を無視して、急ぎリビングの窓ガラスに近づく。
「こ、これは……!?」
高層マンションの13階の高さから眺める周囲の景色。
地形がかなり変わっている事にも驚いたが、その中でも特大の異質な建物が存在した。
そこは皇居があった筈の場所。
龍二は何度も目を擦り、それが幻覚ではないか確認をする。
だが“ソレ”は消えない。
皇居があった広い敷地には、今はソウルワールドの日本マップの象徴たる巨城『天照王城』が聳え立っていた。
「いつ見ましてもスサノオ天皇陛下のお住まいになられてる王城は荘厳でございますなぁ」
「スサノオ天皇陛下って……」
いつの間にか背後に立っていた執事に「そんな天皇いないだろ」と言おうとした龍二は、ふと今の天皇の名前が思い出せない事に気がついた。
確か、スサノオなんて名前ではなかったはずだ。
しかし記憶が漠然としていて、違和感を感じているのにソレが口に出せない。
おかしい。
スサノオ王はソウルワールドに出てくる架空のNPCだ。そして今自分はVRヘルメットギアは装着していないのだから、今見ているものは仮想世界ではなく現実世界という事になる。
ちょっとまて、現実世界に仮想世界の建物があるだと?
まさかソウルワールドが現実になっているとでもいうのだろうか。
アレはゲームだ。ただのゲームに現実を変えるだけの事ができるわけない。
そこまで考えて、ふと龍二は携帯電話を手に取り、ソウルワールドのホームページを見る。
するとそこには「大規模アップデート完了しました。今までのご利用誠にありがとうございます」という異質なお知らせが表示されていた。
……なんだよこれ。
普通ならアップデートの完了のお知らせをするだけの筈だ。けしてその後に続くような文章ではない。
だって、この文章の繋がりではまるでソウルワールドの現実化に俺達が協力していたみたいではないか!?
一つの結論に至った龍二は、なんだか胸騒ぎがした。
この状況、あの二人は大丈夫なのか。
この異常すぎる事件に巻き込まれていないか。
不安な気持ちは次第に大きくなり、龍二は執事に「車出せるか、壱之蒼の家に至急向かいたい!」と強く言うと、朝食には目も向けず駆け出した。