第47話「ネームレスと交渉」
いつも読んで下さる方々に感謝しております。
次元の門に入って抜けた先は、真っ暗な闇の世界だった。
光なんて一つもない。
空があるのかは分からないが、少なくともここには空から地上を照らしてくれるモノは何もない。
故に前に一歩踏み出せば、真横で肩を貸してくれている優の姿を見ることすら困難になる。
しかも通ってきた門は消えてしまった。
帰り道がなくなるというのは、非常に精神的に来る。
優に聞いてみると、ここからなら再度開ける可能性があるとの事。
……これは不味いな。
状況的に、ここから実質動けなくなった。
ネームレスを探せなかった場合のリスクが跳ね上がる。
そんな中で黒漆が周囲を観察して分かったのは、ここは創造主であるネームレスの心を反映させた世界らしい。
僕は果ての見えない世界を眺めながら、思う。
なんて寂しい世界なのだろう、と。
ここに太陽や月や星々はない。
故に緑豊かな自然もない。
あるのは静寂と、自分すら飲み込んでしまいそうな暗黒。
こんな寂しい場所で、彼は1人でいるのだろうか。
それとも、1人でいるのが好きなのか。
どちらにしても、ネームレスという少年の心は中々に闇が深いらしい。
取り敢えず闇雲に動くのは危険なので、蒼達はここを拠点にして、この空間の主であるネームレスの姿を求め周囲を見回すことにした。
しかし当然ながら、光が一つもないので、見回したところで僕達には何も見えない。
というわけでアビリティで探してみたが、彼の気配はおろか、ここには生き物の気配を一つも感じられなかった。
僕の強化され範囲が広がった感知アビリティでも、反応は見つからない。
どうやら隠れているわけでもないようだ。
これは、まさかのネームレス君が不在の可能性があるのか。
それとも拠点を移したのか。
或いは、その両方か。
そんな事を考えていると、不意にアリスが杖を天に向けた。
「初級光魔法〈光球〉」
杖の先端から生み出されたのは、サッカーボールのサイズの光の球。
それは僕達の頭上に浮かぶと、周囲を広範囲に照らす。
「うむ、一応明かりを出してみたのじゃが、本当になにもない空間じゃな」
キョロキョロ周囲を見回して感想を口にするアリス。
かと言ってこの光源を利用して、このまま当てもなく探し回るのは疲弊した僕と優には大分しんどい。
何か手はないものか。
僕がそう思っていると、不意に真奈がみんなの前に出た。
「わたしの出番なの」
そう言って彼女が取り出したのは、携帯電話だった。
それを見た僕は、思わず言った。
「まさかネームレスの電話番号知ってるの?」
「知らないの。それに知ってたとしても、ここに電波は通ってないと思うの」
「あ、確かに……」
言われてみればその通りだ。
そもそも僕達のいた世界とは違う次元にいるのだから、当然ながら携帯電話は圏外である。
となると、真奈は一体何をするつもりなのか。
尋ねると、彼女は得意顔で説明した。
「実は以前に頼まれ事をされた時に、交換条件として髪の毛を一本貰ったの」
「「「「髪の毛……?」」」」
真奈以外の4人が首を傾げた。
なんでそんな物を貰ったのだろうか。
理由を聞きたい気持ちにかられるが、ここで聞くといつまでたっても話が進まないので僕は我慢した。
すると優とアリスと黒漆も同じ気持ちらしく、何とも言えない顔をしていた。
真奈は咳払いを一つすると、話を続ける。
「髪の毛には色んな情報があるの。DNAや今の世界なら魔力だってこれ一本で解析できちゃうの」
「ふむ、つまり?」
「このわたしが改良したこの携帯電話〈導くん〉で髪の毛をスキャンすれば、追跡アプリで名無し君を探せるの」
「…………天才か?」
ふふーん、と僕に褒められて嬉しそうな顔をする真奈。
彼女はさっそく携帯電話の横のボタンを押して、ネームレスの髪の毛をスキャンする。
それからアプリを開いて、解析したデータを元に彼の居場所を表示。
結果は、直ぐに出た。
ピーピー、と音が鳴る。
僕達はそれを何事なのだろうかと思って真奈を見ていると、彼女は目を見開いて此方を見た。
「真奈、どうかしたの」
「なんじゃ、失敗でもしたのじゃ」
と、首を傾げる僕とアリスの言葉に。
真奈は、首を横に振る。
「ち……違うの」
彼女は右手の人差し指で僕等を指差すと、恐る恐る言った。
「姫様達の……ま、真後ろにいるの」
その言葉を受けて、僕達は慌てて後ろを振り返る。
するとそこにはカウンターと5つの椅子、それとローブを羽織った黒髪金眼の少年が、いつもの喫茶店の感覚で向こう側にいた。
アリスが明かりを出して周囲を見回したのは、ついさっきの出来事である。
この短時間の内に、一体いつの間に。
しかもご丁寧に喫茶店のセットに合わせて、5つのカップに入れた珈琲まで用意されていた。
濃厚で香しい匂いが、僕達の周囲に漂っている。
4人の視線が、僕に向けられる。
今回話をするのは僕だけだ。
皆には話をややこしくしないよう、事前に黙っててほしいと打ち合わせをしてある。
蒼は小さく頷くと皆を引き連れてネームレスに向かって歩き出し、そして椅子に腰掛けた。
彼と僕の視線が、間近で合う。
すると徐に、ネームレスが言った。
「いらっしゃいませ、まさかこんな所に来るとは思わなかったので驚きました」
「うん、今日は君に2件ほど用があったからね。無理してきちゃった」
「2件……?」
首を傾げるネームレスに対して、僕は頭を下げた。
「先ずは、僕を助けてくれてありがとう。君がいなかったら、大変な事になっていたと黒漆や父さんから聞いたよ」
「…………アナタらしいですね。助けたのはアナタに借りがあったからです、礼を言われる程の事じゃありません」
ネームレスは、いつもの無表情で淡々と答える。
それを見て、蒼は笑みを浮かべた。
「それなら、これで僕と君の貸し借りは無しだね」
「そうなりますね。それで、もう一件の用はなんですか」
──さて、本題だ。
気合を入れるために蒼は、用意されたカップを両手で掴むと中身を飲んだ。
……美味しい。
苦味の中にある深いコク。
一口で、美味いと思える彼の珈琲。
疲れた身体に染み渡り、活力が少しだけ戻る。
僕は再び彼と向き合うと、単刀直入に言った。
「僕を助けてくれた結界、あの術式を僕に提供してほしい」
「……理由は大体わかりますが、ぼくがそれをするメリットはあるんですか」
蒼は黒漆を一瞥する。
黒服の少年は、小さく頷いた。
「それなら用意した。もしも君が術式を提供してくれるのなら、父さんが君の討伐を取り下げる事を約束してくれた」
こちらから出せるのは、これが精一杯だ。
さて、彼はどう出る?
緊張した面持ちでネームレスを見ていると、黒髪金眼の少年は少しだけ苦笑した。
「……それだけでは、ちょっとつまらないですね」
「まだ、何か必要かな」
「そうですね、今後一切ぼくの活動の邪魔をしない事と、明日行う予定のぼくからのサプライズを倒す事ができるのなら、差し上げても良いです」
「わかった、約束する」
──その代わりに、と蒼は椅子から立ち上がると、ネームレスを睨みつけて言った。
「明日のサプライズ、絶対に民間人には被害を出さないで欲しい。もしもこれが守れないのなら僕は君を倒すべき敵と見なす!」
突き刺すような鋭い殺気に、その場にいた誰もが凍りつく。
普段の蒼からは想像もつかない、とてつもない威圧感。
正に〈七色の頂剣〉を率いる者の風格。
それを真っ向から受けたネームレスは、楽しそうに口元に微笑を浮かべた。
「わかりました、レベル50以下で立ち向かってくる者以外には絶対に攻撃をしないようにします」
「……その約束、絶対に違えるなよ」
「ええ、世界の王たる〈天使〉に、この命をかけて誓います」
これで交渉は完了。
向こうの条件は、彼の討伐依頼の引き下げと今後の活動の邪魔をしない事、それと終夏祭に用意したサプライズを倒す事。
対する此方の要求は術式の提供と、明日のサプライズによって民間人に被害を出さない事。
向こうの条件はけして軽くないが、対する此方の条件もけして譲れないもの。
今後自由に行動できるようになる結界を得られる上に、明日の終夏祭で民間人に被害がでないのだ。けして悪くはない。
僕が頷くと、いつでも動けるように身構えていた黒漆は吐息を一つ、椅子に背中を預けて臨戦状態を解除した。
緊張していたのか、その顔には少しばかり疲れが見える。
その様子を見て、ネームレスは言った。
「貴方も振り回されてるようで、大変ですね」
「まったくだ。おまえと交渉するなんて前代未聞だ、オレも気が気じゃなかったよ」
「ソラ様ですからね、常識で考えると痛い目にあうと思いますよ」
「まぁ、そこが蒼の良いところなんだけどな」
と言って微笑を浮かべる黒漆。
2人の会話を聞いていた僕は、いまいち釈然としない気持ちだった。
果たしてこれは、褒められているのだろうか。
僕に対して共感する2人にムスッとしてみせると、ネームレス以外の4人は苦笑した。
おかしい、僕は一番の常識人な筈なのだが……?
取り敢えず、この件に関して気にする事を止めると、蒼は全員分の料金を置いてネームレスに言った。
「それじゃ、用は済んだから帰るよ」
「ありがとうございました。帰り道は用意したので、あちらからどうぞ」
そう言って、ネームレスが右手で案内した先には扉があった。
どうやら優に無理をしてもらう必要はないようだ。
蒼はにっこり笑顔を浮かべると、ネームレスに礼を言った。
「ありがとう、今度は鍵をかけないでくれると助かるよ」
「あんな事をしたのはアナタが初めてです。最初は強盗が来たのかと思って、少し身構えました」
他の全員が珈琲を飲み終わり、席から立ち上がるのを確認してから、僕達はネームレスに背を向けて歩き出す。
先ず最初に出たのは優と黒漆。最後にアリスと真奈と僕が出る。
扉を潜ろうとすると、ネームレスはこう言った。
「ソラ様、先程は活動と言いましたが、あれはあくまで〈喫茶店の活動〉ですので、気にしないで下さい」
それに立ち止まり、僕は満面の笑顔を浮かべる。
「うん、知ってるよ。君が人間を気に入ってる事は」
「……やはり、アナタを見ていると退屈しませんね」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
そう返事をして、蒼は扉を閉めた。




