第45話「天使と土下座」
いつも読んで下さる方々に感謝しております。
場所は神威市東区の住宅街にある一軒の家。
僕が住んでいる、壱之家のリビングだ。
今日は土曜日という事で朝から僕と真奈とアリスの3人で協力して掃除した後なので、フローリングの床はゴミ1つない。おまけにワックスまでかけたので、今はピカピカに輝いている。
普通はお客様は来客用のソファーに座らせてテーブルを挟んで話をするものなのだが、今日はちょっといつもとは違う。
家に招かれたお客様である黒い服を身に纏う少年は、冷たい床の上で全身全霊の土下座をしていた。
何故そんな事になっているのか。
その原因は彼、睦月黒漆が僕にキスを迫ったからだ。
深く反省している黒漆は、土下座の姿勢を一切崩さずに、床に映る罪深い自分と向き合いながら言った。
「本当に、申し訳ございませんでしたッ!」
その謝罪を向けられているのは、見た目は白髪の少女、心は少年の壱之蒼だ。
普段の蒼ならば素直に受け入れ、彼のフォローをするところなのだが、珍しくアリスと真奈の後ろに隠れてしまっている。
自分でも本当にか弱い女の子みたいな事をしている、と自覚はしていた。
でも黒漆の顔を直視できない。かつて彼に恋をしていた女神の〈ソウル〉のせいか、落ち着いた今でも姿を見ると心がざわついてしまう。
アリスから話を聞いただけでは、こんな事はなかったのに。
ほんと、困ったなぁ。
2人のガードの隙間から、黒漆の容姿を覗き見て蒼は思う。
黒い髪と普通の顔立ちの少年。
これといって特徴はなく、誰が見ても普通と答える容姿だ。
でもそれは、女の子になる前の僕の姿にとても良く似ている。
もしかして僕が女神に選ばれたのも、彼と同じ姿に成長すると分かっていたのか。
だとしたらとんでもない女神に助けられたものだ、ついでに消えるときに特典として恋心も付けてくれるなんて実に迷惑すぎる。
できれば、この恋心だけはクーリングオフしてくれませんか?
そんな事を思いながら、ギュッと2人の服を掴む手に力が入る。
ずっと覗き見ているが、黒漆は土下座の姿勢を一切崩さない。
先程まで怒り狂った2人によって、口では形容し難い程にボコボコにされて死にかけていたのに、辛くないのだろうか。
ちなみに傷は、真奈お手製の最上級の回復薬を使って全て完治している。
痛みはないだろうが、精神的なダメージは消えない。
だから、よほど怖かったのだろう。
土下座をしながら黒漆は、まるで怯える子猫のように2人の殺気にガタガタ震えている。
自業自得なのだが、それを蒼は少しばかり可哀想だと思ってしまった。
「2人とも、僕はもう落ち着いたから大丈夫だよ。だから──」
「蒼様が許しても妾は許さないのじゃ!」
「姫様の温情で治してあげたけど、もう1度挽き肉にしてやりたい気分なの!」
ダメだこれは。
いつもなら従う2人も、今回ばかりは言うことを聞いてくれない様子。
流石にここは僕の家なので、公園で起きたとても人に見せられないような事件は起きないとは思う(家が壊れるし)。
しかし一番怒っている真奈が、先程から右手に物質を分解する錬金術の陣を生成しては消すのを繰り返していた。
錬金術士の分解はソウルワールドのルール上、指定した対象に対しては一回かつ触れた部位にしか作用しない。
その分防御が不可能の必殺技だ。
強力すぎるために滅多な事では使用しないのに、それを使用しようとしている所から察するにかなり苛立っておられる。
正直に言って怖い。
ここまで彼女達がキレた事が、かつてあっただろうか。
少なくとも記憶の中では、自分がいてここまで制御不能に陥るのは初めてだ。
そう思っていると、黒漆は震えながら深く懺悔した。
「蒼、本当に申し訳ない。10年ぶりに再開したとはいえ、自分を抑えられなくなって君の同意もなしにあんな事をしようとするなんて、オレは最低だ……」
「よし、悪いと思っているのなら首を差し出すのじゃ」
「大丈夫、苦しいのは一瞬だけなの」
えーい!
一挙手一投足で殺そうとするな。
これでは話が全く前に進まない。
蒼は覚悟を決めると2人の間から姿を現して、黒漆に言った。
「2度としないなら許すよ。大体ちゃんと拒絶しなかった僕も悪いんだし、今回はお互い様って事でこの話はおしまい!」
顔を真っ赤にして強引に裁決を言い渡した僕は、顔を上げた黒漆を見ていられなくなり、再び真奈とアリスの後ろに隠れる。
その一連の動きに、他の3人は呆然とする。
注目の的になっているのは僕だ。
自分でも変な動きをしているのは理解している。でも間に真奈とアリスというクッションがいないと、自分は黒漆から逃げ出すだろう。
しばらくすると黒漆が苦笑した。
「ありがとう、蒼」
納得していない様子のアリスと真奈は、女の子がしてはいけない形相で黒漆を睨みつけて舌打ちをした。
「次やったら殺すのじゃ」
「……夜道には気をつける事なの」
真奈のは殺害予告かな。
そんな事を考えていると、土下座の姿勢から正座に変更した黒漆は、改めて2人の背後に隠れている僕に向き直った。
見ているのは、外側ではなく内側。
完全に身体と魂と一体になっている女神の〈ソウル〉。
大きくなった芽を見て、彼は安堵した。
「会った時も見て驚いたけど、本当に第1段階の昇華を果たしたんだな」
「そういえば父さんも似たような事言ってたけど、それって何なの」
僕が聞くと、黒漆は答えた。
「分かりやすく言うなら、蒼が〈天使〉として真の覚醒をするための7段階ある〈ソウル〉の階層の1つだ」
「それって、全部昇華すると僕はどうなる?」
「結論を言うなら7段階の昇華を果たした〈天使〉はこの新世界の管理者になる。そうしたら魔王も邪神も、この世界を支配する事はできなくなるだろう」
管理者不在の世界を自分達のモノにしようとしている魔王と、天使の〈堕天〉を狙っている邪神。
今世界が主に抱えている最大の問題がこの2つらしい。
そして、この全てを解決する方法の1つが、蒼の〈天使〉としての完全なる覚醒だと黒漆は語る。
「でもこれは現実的ではないな。実は蒼の〈ソウル〉を昇華させる方法は、オレ達にも全く分からないんだ」
だから今回の覚醒を知らされて、世界中の王達は肝が冷えた。
ネームレスの結界がなければ、今頃は日本だけではなく世界が崩壊していたかも知れなかったからだ。
そして来年の9月1日に第1昇華する事と蒼が〈堕天〉する可能性が高い事を予言した龍王も、今回ばかりは自信喪失して現在は引きこもりしているそうな。
つまり予言したとしても、いつどうやって何が切っ掛けで覚醒するのかは、誰にも分からない。
正に歩く核爆弾。
爆発したら魔王の標的になり、最悪邪神に干渉されて〈堕天〉する可能性がある人類の希望にして破滅を齎すジョーカー。
改善策の一つとして現在は難解すぎるネームレスの結界を研究しているらしく、それが小型化に成功した時は蒼に肌身はなさず持っててほしいとの事。
しかし日本の解読部と技術部いわく、完成するのは確実に1年後辺りになるらしい。
それを聞いた蒼は、隠れながら溜め息を吐いた。
「そうなんだ。てっきり漫画やアニメみたいに、7つのボールを集めろ的な展開になるもんだと思ってたけど」
「あれは名作だな……と関係ない話は置いといて、言っておくが今は蒼をこの神威市から出す予定はないからな」
「えー、次の冬休みにはガルディアンに会いに行こうと思ってるのに」
口を尖らせて文句を言う蒼。
白の騎士団の団長であり僕の同盟仲間のガルディアンは、現在仕事で竜人の国を訪問している。
今やっている内容は、主に〈色欲の魔王〉に対する戦略や竜人の部隊の防衛訓練の指導等。
支援に行っている団員いわく僕に凄く会いたがってるそうなので、旅行ついでに会おうと思っていたのだ。
黒漆に何でダメなのか聞いてみると、そこでもやはり僕の第1昇華した〈天使〉の力が問題となった。
「ディバインソウルを利用した真奈の結界も万能じゃない。もしも蒼が第二の昇華をするような事があれば〈天使〉の力が外に漏れて、間違いなく魔王と邪神がそこを目指して動き出すぞ」
「うーん、それは困るね」
魔王や邪神を倒すだけの力があれば、全員まとめて掛かって来いと言いたいところだが、残念ながらそこまで僕は強くない。
いっその事、先ずは物理的に被害をもたらしている魔王に居場所をバラして、迎撃するのも面白いかと考える。
(──いや、これはダメかな。魔王が僕にたどり着くまでに道中の国々にとんでもない被害が出そうだ)
となると、僕が今後自由に活動するためにはどう足掻いてもネームレスの結界が必要となるわけだ。
そこまで考えて、蒼はふと気がついた。
「ねぇ、わざわざ解読しなくても、ネームレスから直接結界の術式を提供してもらえば良いんじゃないかな」
「なるほど、その手があったのじゃ!」
「……確かに、術式をもらえたら後は付与する方法と媒体にする素材の問題だけなの」
僕の言葉に、アリスと真奈は賛同する。
これは活路が見えてきたのではないか。
そう思うと、黒漆は苦々しい顔をして僕達に言った。
「あー、オレもそれを考えたんだけど、アイツの居場所が分からないから無理じゃないかな」
「喫茶店にいつもいるんじゃないの?」
「残念ながらいないんだよ。空間系統の魔法で逃げてるみたいでな、追いかけるなら同じ空間系統の魔法、それも極めた使い手が必要になる」
ユニークスキルである空間魔法を極めた人間、そんな人物はどこにもいない。
そう答える黒漆に、僕は言った。
「え、空間魔法なら探せるの?」
「ああ、そうだ。でも水無月の子はせいぜい上級止まりで〈極み〉まで至っていないだろ。オレも1人空間魔法の使い手は知ってるんだけど、その人は療養中でな。あまり無理はさせたくない」
そう言う黒漆に対して、僕は優にチャットアプリ『LN』で今から会えないか連絡を入れる。
家にいたのだろうか、返事はすぐに来た。
可愛い猫の『OK』スタンプ。
それをアリスと真奈に伝えると、僕達は出掛ける準備を始める。
その一連の流れに怪訝な顔をする黒漆。
僕はアリスの後ろに隠れながら、彼に自慢の幼馴染の事を話した。
「優は〈空間を極めし者〉だよ」
「……ウソだろ?」
驚きすぎて目を見開く黒漆。
世界最強の弟子の様子を見て、僕は幼馴染の少女の事を誇らしく思った。




