第13話「天使の朝」
朝目が覚めると、先ず目の前に広がっていたのは真っ白な天井だった。
そこからゆっくり視線を横に動かすと、自分を抱き枕にしている金髪の少女、水無月優の寝顔が目に入る。
彼女はすやすやと小さな寝息を立てており、実に幸せそうな顔をしていた。
壱之蒼は、ゆっくり彼女を起こさないように抜け出すと、ベッドの縁に座りぼーっとした頭で自分の身体を見る。
腰まで長い白髪と、小さくてとても繊細な少女の身体。
そこに一昨日までの黒髪の少年の姿は、面影一つ残されていない。
ああ、やっぱり夢じゃなかったんだな。
そんな感想が胸いっぱいに広がり、蒼は小さな溜め息を吐いた。
「まぁ、知ってたけどね」
呟き、ベッドから起き上がる。
そのまま部屋から出て一階に向かうと、台所には既に起床していた水無月アイラが立っていた。
「おはようございます、アイラさん」
「あら、おはようございます、蒼様」
挨拶を交わし、未だに慣れない様付に僕は苦笑いをすると、テーブルに座りテレビに視線を向ける。
そこでは、昨日の自分の演説が取り上げられていた。
テレビのアナウンサーやら専門家の方々が、昨日の自分の言動について「15歳とは思えない程の素晴らしい演説でした」「次期当主として、日本だけではなく世界を背負う信念を感じさせられましたね」「最後の演出は魔法なんでしょうか。あんな綺麗なの見たことないです」と語っている。
なんだがくすぐったい気持ちになってきた僕は、アイラさんに聞いてチャンネルを変えることにした。
しかしテレビとは注目度の高い新鮮な情報が入ると、みんなそればっかり取り上げるものだ。
どのチャンネルも壱之蒼の演説について放映しており、少しばかりうんざりする。
もう消してしまおうか。
そう思って最後にチャンネルを変えると、そこには『西園寺家当主、竜王と会談』という中々に興味を引かれるニュースが流れていた。
竜王?
確かソウルワールドで実装されていた異種族は、精霊と獣人くらいしかいなかったはずだが。
気になってニュースを見ていると、どうやら昔に人間と竜人族は魔王との戦いの時に同盟を結んだ仲らしく、近々『世界七剣』の当主達を呼んで両種族の仲を深める為に竜王祭なるものを開く予定らしい。
竜人族か、見たところ人間との違いは頭に角が生えていて尻尾があるところだろうか。
蒼は、カメラが撮影するマントを羽織り頭に王冠をかぶった如何にも王様ですって風貌の竜王と、その横に背筋をピンと立てて佇んでいる二本の角を生やした赤髪の少女に見惚れる。
実年齢は、父親が500歳で娘が30歳。
自分からしてみると、父親は40歳で娘は10歳くらいにしか見えない。
料理をしているアイラさんに聞いてみると、竜人族は身体の成長は人よりも遅い上にピーク時で止まるらしく、若き竜王の娘は今尚成長の途中との事。
なるほど、これはファンタジーだ。
納得した僕は、いずれ龍二や優との3人で竜人族の国に遊びに行くのも面白いかもしれないと思った。
すると、何やらテレビの向こう側が騒がしくなる。
視線を向けてみると、歓声を上げている民衆達の中央に車から降りる一人の青年の姿があった。
つんつんヘアーの黒髪。身長は180くらいか。スーツをビシッと着ており、どこか緊張した面持ちをしている。
あれ、どこかで見たことあるぞ。
そう思い記憶を探ると、答えはすぐに出てきた。
そうだ、この人は確か魔王戦の時に共闘してた人だ。
と、青年の面影に見覚えがある僕は胸中で呟く。
確か名前は『鉄壁の要塞』ガルディアン。
ソウルワールド最強最大規模の『白虹の獅子』の団長をしているレベル69のプレイヤー。
世にも珍しい『格闘士』であり、敵の攻撃を受け流す防御の型『流水』とあらゆる防御を内側から破壊する『発勁』の二つだけでレイドボス戦からPVPもこなすという化け物である。
ガルディアンは自分と同じで、ソウルワールド内でその名を知らないプレイヤーはいない程の有名人だ。
国王と会談なんてきっと僕なら緊張して無理だろうが、3万人規模の団のトップをやっている彼なら余裕でこなせるだろう。
だからきっと、画面の中で足が震えているように見えるのは緊張している演技に違いない。
そんな事を考えていると、目の前に目玉焼きと焼いたベーコンとサラダを盛り付けた皿と、野菜スープとパンのオーソドックスな朝食が置かれた。
ちゃんと栄養のバランスが取れていて、毎朝食パンを一枚と500mlの牛乳一パックだけで済ませていた僕の朝食とは雲泥の差だ。
アイラさんは、それを3人分用意すると笑顔で僕に言った。
「蒼様、朝食ができたから優を起こしてきてもらっても良い?」
「あ、はい。わかりました」
蒼は頷くと席を立って、お腹の空腹を刺激するいい匂いで満たされている1階から2階に上がる。
そして廊下を歩いて優の扉を遠慮なしに開けると、彼女はネグリジェから制服に着替えて鏡の前に立っていた。
背中の真ん中まで伸ばした金色の髪。
切れ長の美しい碧い瞳。
ムダな贅肉はなく、キュッとしまった身体。
白のワンピース型のセーラー服に身を包む彼女は、くるっと舞うように此方を振り返る。
それに少しばかり見惚れていた僕は、気を取り直すと彼女に笑顔で声を掛けた。
「おはよう、優」
「おはよー」
「アイラさんがご飯できたから一階に降りてきなさいだって」
「うん、わかった。蒼は着替えないの?」
その質問に、僕は少し考える素振りを見せると。
「うーん、そうだね。僕も着替えようかな」
「なら私が手伝って──」
「優は胸とかお尻とか変なところ触ってくるからダメ」
「えー、そんなぁ」
露骨にがっかりする金髪少女。
僕が気づいていないとでも思っていたのだろうか。
この幼馴染、着替えているときにやたら身体の色んなところに触れてくるのだ。
しかもわりと興奮しながら。
もしかして龍二の告白を断ったのは「実は同性愛者なんです」て理由ではなかろうか。
冗談に思えなくて、蒼は自分で考えておきながら寒気を感じた。
「まぁ、今後の事を考えると一人で着替えられるようにならないとね」
「それは、そうなんだけど……」
「ええい、残念そうな顔をしない! 姉を自称するのなら妹の成長を見守るくらいしないと!」
「うう、これが妹離れというやつなのね……」
わざとらしくその場に崩れ落ちる優。
僕は問答無用で彼女を部屋の外に放り出すと、制服に着替える事にした。
◆ ◆ ◆
朝食を食べて普通に登校した蒼と優は、不思議な事に記者達や学生達に囲まれるという事はなかった。
そこにあるのはごく普通の朝の光景。
道行く人全てから蒼は好意的な眼差しを向けられるものの、その全てが挨拶だけで済んだ。
必要以上の接触は誰もしてこない。
やはり何らかの圧力をかけられているのだろうか。
朝の爽やかな風を頬に受けながら、蒼は思う。
一定距離から絶対に距離を詰めようとしない学生達。
その視線を浴びながら、家を出てからずっと見えないところに護衛っぽい人達がいるのをアビリティで感知していた。
はて、昨日はいなかったような……。
しかも巧妙に隠蔽まで使用している。恐らく職業は忍者。それも最低でも中級くらいの実力はある。
護衛なのか誘拐目的なのか。
どちらにしても頭の片隅で警戒しとかないといけないかな、と僕は考えると「おはようございます!」と挨拶してくる一学年上の男子生徒に微笑んで挨拶を返す。
すると今まで挨拶してきた学生達と同様に、彼は顔を真っ赤に染めて全力ダッシュ。
そのまま学校の中に消えていった。
「うーん、普通に挨拶してるだけなんだけどなぁ」
「今の蒼に笑顔で挨拶されたら、誰だってああなると思うわよ」
「真顔で挨拶したら良いってこと?」
「それはそれで喜ぶ人達がいるかもね」
優の回答にうーむ、と唸る僕。
相手に不快感を与えないように笑顔で普通に挨拶しているだけなのに、相手が勝手に壊れていく。
普通とは一体(哲学)。
そんな事を考えながら学校に到着した蒼は、やたら厳重に鍵を取り付けられている自分の靴箱の鍵を外して、上履きに履き替えると教室に向かう。
その道中でも挨拶をしてくる学生達や教師達に、にこやかに挨拶を返してあげながら教室に到着すると、扉が自動ドアのごとく開いた。
そこで待っていたのは同級生の少年が二人。
彼らは真っ直ぐ綺麗な一礼をすると、
「「おはようございます、姫」」
「お、おはようございます」
ひ、姫?
聞き慣れぬ単語に困惑しながらも挨拶する僕に、彼らは続けて胸を張り誇らしげに言う。
「姫のお手を汚さぬよう、この扉に姫を間近に感知したら自動で開くように術式を組み込みました」
「術式の稼働は大気中に含んでいる魔力だけでまかなっているので、エコにもなっています」
「は、はぁ……」
術式を組み込む。
つまりは、付与魔法の応用か。
学校の普通の扉に、なんて高度でムダな事をしているのか。
凄いのかバカなのか分からない二人に、僕が何て言ったらわからない困り果てた顔をしていると。
「このおバカ共! 騎士の約定を朝っぱらから破るな!」
「「ぐふぅッ!!」」
これまた知らない同級生の少女が、ハリセンっぽいもので二人の頭を一閃。
一撃で気絶させた二人の首根っこを掴むと、目の前から光の速さで消えた。
……。
…………。
あれは、何だったんだろうか。
誰かに説明を求めて視線をさまよわせるが、答えられる者は優を含めてこの場にはいなかった。
朝から実に頭が痛くなるような出来事だ。
そんな事を考えていると、後ろからポンッと頭を軽く叩かれる。
振り向くと、そこにはいつもと変わらないイケメン男子学生こと土宮龍二がいた。
「おはよう、蒼」
軽く挨拶する彼に、
「おはよう、龍二」
気を取り直して、笑顔で挨拶を返す。
するとやはり龍二も、僕を見て顔を赤くして黙ってしまう。
人がにこやかに挨拶しているだけだというのに、学生達含めて龍二はなんで黙ってしまうのか。
わからない。
いや、少しはわかるが、そこまでなるものなのだろうか。
確かに今の自分は可愛いと思う。しかし龍二は本当の僕の事を知っているのだ。こういう反応をされるのは不愉快でしかない。
不機嫌そうに蒼は、頬を少しだけ膨らませる。
それに龍二含めて何名かの同級生や遠巻きで此方を見ていた学生達が我慢できなくなり「グハッ」と一斉に吐血をした。
一体何が起きたのか。
原因は自分だと理解はしつつも、蒼は周りを見て困惑する。
その光景を見ていた優は苦笑すると。
「うちの姫様はこわいわね」
そう言って、蒼の手を引いて教室の中に入るのであった。




