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作者目線で語ってみたい

作者目線で「キャラ視点」について語ってみたい

作者: 寒天

書いてるときは気にしなかったけど、冷静になって読み返したらダメじゃんとなった。言われなくても知っているはずだけど、いつの間にか忘れてしまう……作者目線でやらかしがちなことを再確認してみたいと思います。


注意:このエッセイには特定の方が気分を害する恐れがある内容を含んでいます。

しかし、特定の個人、あるいは作品への誹謗中傷を目的としたものではないことをあらかじめご了承ください。

 キャラクターがどんな情報と設定を持っているのか。皆さん、この難題について考えたことがあるでしょうか?

 いきなり何言ってんだこいつと思われるでしょうが、今回主張したいのはそのまま「キャラクター一人一人が持っている情報って把握するの難しいよね」という愚痴であります。

 もうちょっと真面目に言い換えれば、このわりとやらかしがちな問題について作者としてきちんと考えてみようという話です。

 これから小説を書いてみようって方は、一度見ていただくとやらかしが減る……かもしれません。


 キャラ視点とは、言うまでも無く登場させるキャラ一人一人の立場によって見えるものが違うということですね。

 極端な例を出せば、一般人という設定を与えている主人公が何の理由もなく国家機密を知っているのはおかしいとか、大成功を収めた商人がお金の概念を知らないとか……まあ、そんなのですね。

 ようするに、キャラの設定によって持っている情報と持っていない情報がそれぞれ違うという話です。


 そんなん言われなくてもわかるというか、わかんないやついるの?

 と、読み手側の視点で見ると思うことでしょう。私も人の作品を読む側の時は何の問題もなくその辺の情報は整理できますし、そこでやらかしていることがあればすぐに気が付きます。


 が、ちょっと深いところに踏み込むとこれが意外と難しいものなのです。その踏み込み方も何パターンかあるのですが……ここでは3パターンに分けて考えていこうと思います。

 項目は以下の三つです。


1. 単純に把握しきれないパターン

2. 結果重視しすぎて過程をおろそかにするパターン

3. 作者の視点とキャラの視点が混ざっているパターン


 本エッセイではこの三つに絞り語っていこうと思いますので、興味を持った方は続きをどうぞ。


1. 単純に把握しきれないパターン


 一言で言えば、過去に明記した設定忘れてましたごめんなさい案件です。恐らく、本エッセイのタイトルを見て一番に思い浮かんだことなのではないでしょうか?

 もうただのミスと言ってしまえばそれまでなのですが、これが結構やらかすことが多いのです。

 キャラ事に持っている情報、と一言で言えば簡単ですが、これがキャラが増えれば増えるほどややこしくなるんですよ。

 さっき例に挙げたみたいな極端なことを間違うことは流石にないにしても、作者ってやつは(少なくとも私は)読者の皆様が思っている以上に自分で書いている世界のことを把握していなかったりするのです。


 まあ、整理しておけとかメモっとけって話なのですが、言い訳させてください。

 混乱する一例を出しますと『Aというキャラが知った情報をBというキャラは知らない。しかしCというキャラは知っている。そしてBとCは友人なので、描写はなくともお互いに情報共有をすることで結果Bもその情報を知っていなければ矛盾が出るのでは――』とか、各自の設定や関係性をよく考えたら作者も想定していない情報共有ルートがあったなんてケースもその一つです。

 この辺を見落としてAとBが対峙したときその情報の有無で差が出る展開とかにすると「いやCは教えておいてやれよ」というもっともなツッコミがきたりするわけです。


 更に、キャラ個人だけで完結する情報や設定でも間違えたりします。

 お前はアホかって思われるでしょうが、この辺は作者と読者の情報量の差もあることをどうかご理解いただきたい。逆に言えば、作者の立場からすると以下のことを肝に銘じて自分の中で整理しなければならないということです。


 というのも、実際に小説として投稿され、読者の目に触れる物語は一本道です。中にはIFストーリーとかやっている方もいますが、基本的に第〇話で起こった出来事はこれだと確定していることでしょう。

 が、作者の中ではそうではありません。いくつも考えたルートの中から一つを選んで小説という形にしているのであって、その前段階……アイデアという状態では無数に、それこそ頭をひねって考えたストーリーから風呂入っているときにふっと浮かんできた描写まで玉石混交。その中には小説になるころには影も形もないものも数多くあります。

 数多のボツネタの果てに小説は誕生するわけですが……もうお分かりですね?

 はい、どれ採用したのか混乱します。先ほど軽く触れたIFストーリーとかでは読者の立場でも「ああ、あれは別ルートの話だっけ」みたいに軽く混乱することもあるでしょうが、作者の中での情報の混乱はその比ではありません。

 特に感覚と勢いで書いているところなんて、もう何書いたのかなんてほとんど記憶にございません状態です。

 その辺の情報がふわっとした状態で執筆を続けると……やらかします。流石に文字に起こしたことを全部忘れるということはありませんが、「あの会議のシーンでこのキャラいたっけ?」とか「ちょっとだけ出したあのキャラの名前なんだっけ?」とかしょっちゅうなるのです。

 メインキャラの行動くらいは流石に記憶にあっても、あんまし重要ではない脇役の設定とか行動とか、没ネタの海に飲まれてゴチャゴチャになります。

 人物ごとの設定とかさらに悲惨で、こいつ身長高いんだっけ髪の色なんだっけ口調とか口癖とかあったっけと、登場させるたびに悩みます。

 また、国名とか特別なアイテムの固有名詞とか、その辺も当然いくつもアイデア出して決めているわけなので、素で間違えて作中初めて登場する概念がさも知っていて当然の知識みたいなことになったりしかねません。読者もびっくりしますし、後で見返すと「なんでこいつらそんなこと知ってんだ……?」みたいなことになるわけです。


 とまあ、ここまで書いて何を言いたいのかというと、要するに適当なこと書いてるとツッコミ飛んでくるぞと、完成品に関してだけ言えば作者よりも詳しい読者とか普通にいるぞってことです。

 ぶっちゃけ誰もこんなこと気にしてないだろ、と手を抜いて適当なこと書いていると、ばっちり正確に記憶している読者の方が的確に鋭いツッコミ入れてくるってことです。

 経験者の言葉です。これは間違いなく起きると断言します。読者の視点では『Aは黒髪黒目である』と明確であっても、作者の視点だと『Aは黒髪黒目にしようかな。いやでも金髪、赤も捨てがたいけど……いややっぱ黒かな』みたいな紆余曲折の果てに黒髪黒目にし、二度目の登場で「Aは燃えるような赤い髪を~」とか書いてフルボッコになるってことなのです。

 なお、私はとあるキャラの体の一部の設定をあやふやに書いた結果、いつの間にかパット常備キャラになっていたことがあります(間違えても認めずそれを正解にしてしまえばいいの術)。

 そして、そんなちょっと直せばそれで済むことならごめんなさいで済んでも、キャラ同士の情報共有とか見逃していると最悪『物語が破綻』します。

 そうならないよう、後で重要になりそうな情報を作中に出すときは「誰がそれを知っているのか」だけは明確にしておき、身体的特徴を出すときはしっかりとメモしておきましょうって話ですね。


 統括すると、『作者って立場、案外情報過多で混乱するんです』ってことですね。

 ……ごめんなさいミスしないように頑張ります。他の作者の方はこんなアホなことで自爆しないよう今まで上げたことには注意しましょう……ともいいますが。

 以上で、この章は終わりとしましょう。


2. 結果重視しすぎて過程をおろそかにするパターン


 では次のパターン。今までの話が「うっかりやらかした」なら今度のは「ついつい見逃していた」という類の話です。


 ここで小説に限らず全てに通じる一般論を一つ。それは「物事には必ず過程が存在する」ということです。

 例えばこのエッセイが存在しているのも、今ここでこの文章書いている私がいなければ当然誕生しなかったわけですし、その私がなんやかんやで趣味に「執筆活動」を持たなければ生まれることはなく、更に言えばその私が生まれるまでにもいろいろと歴史があるわけです。

 これは万物に当てはまる話であります。どんなものにだってそこに至るまでの歴史があり、その歴史同士が複雑に絡み合った結果現在というものがあるのです。

 では、その大前提を作者という立場で考えるとどうなるのか。当たり前ですが、作者として書きたい話がいろいろあるわけですが、その「書きたい結果」を導き出すためには「結果に行き着くまでの過程」を考える必要があり、それが伏線とか設定とか起承転結とか言われるものなわけです。

 ではこれでやらかすとは何なのかというと、まあ要するに「やりたいこと」が先行してそこまでの過程が抜けているとか矛盾しているとか、まあそういうことになるわけです。


 いまいちピンとこないでしょうから、例に出して説明しましょう。(事前に言い訳しておきます。この例は即興で考えたものであり特定の個人、団体を誹謗中傷する目的ではありません)


 例えば「主人公が奴隷商人に虐待される奴隷を助け出し、その奴隷から感謝される」という展開よくありますよね?

 ここでの最終目標は「奴隷から感謝される」であり、そこからその奴隷が主人公の従者になったり家族のもとに戻って平和に暮らしたりと広がっていくわけですが、この感謝されるまでをひとまずのゴールとした場合、そこに至るための過程は当然「虐待されていたところを助けたから」になるわけです。

 助けたから感謝された。明快ですよね。それこそどんな立場のキャラでも通用する友好的人間関係構築の超絶便利な方程式です。

 が、そこで一つ踏み込んで考えてみましょう。一見何の問題もない流れですが、「キャラごとの視点で考える」ということと「結果には過程がある」という二つの命題からすると、ここには一つ欠けているものがあります。

 はい、奴隷商人視点ですね。虐待される奴隷を主人公が助けるためには、まず奴隷商人に奴隷を虐待してもらわなければならず、結果「何故この奴隷商人は自分の商品である奴隷を虐待しているんだ?」という疑問が生じているのです。


 ここでちょっとわき道に。

 こうやって指摘すると「そんなのなんか考えてるだろ」と思うかもしれませんが、実はこれ作者目線だと結構盲点なんです。

 というのも、パターン1でもちょっと触れましたが、作者ってのは意外とキャラの設定とか忘れがちなんです。この奴隷商人キャラが今後も出てくるような、重要とまでは言わないものの使い捨てではないキャラであるのならばそれなりに考えもしますが、完全なる使い捨てで主人公にぶちのめされるためだけに適当に用意しただけとなると……その心情とか気にも留めてないってことが結構あります。

 が、個人的な意見としてはそれでは問題があると考えています。これが読者視点で考えるなら別に「そんな細かいこと気にすんなよ禿げるぞ」でいいんですけど、作者的にはただの手落ちであり、気づいちゃった読者からは評価を落とされること間違いないですからね。

 というか、はっきり言うと冷められます。小説を読む際、自己投影というわけではないですが、物語に没入してもらう(一言で言えば夢中になってもらう)のが作者的な目線での成功例なわけですが、そういう舞台裏的なところで違和感を嗅ぎつけられるとですね、読者から評論家にジョブチェンジされるんですよ。そうなったら挽回は極めて困難といえるでしょう。


 ではそろそろ例に戻りますが……あ、ちなみに、いないとは思いますが「奴隷ってのは虐待されるもんなんだよ! 理由なんていらねぇんだ!」ってこの章の大前提否定派の方はこの先見なくても問題ないというか、見ても何もないと予め宣言させていただきます。



 というわけで、なぜ奴隷商人が奴隷を虐待しているのか……という理由、上記例外の人を除けば深く考えていないだけで全く考えていないってことはないかと思います。

 例えば「見せしめのため」だとか「反抗的だから」とか、なんで虐待するのかって理由くらいは出しているはずです。じゃないと「特に意味はないけど暴力振るいたくて仕方がないんだぜヒャッハー!」というアレなキャラになっちゃいますし。

 ですのでそこは大抵問題ないのですが、そこから深く考えないのが使い捨てキャラへの扱いです。奴隷の方も同じ程度の使い捨てキャラなら表面的な設定固めておけばさほど掘り下げられることはないんですけど、設定はいろいろありますよね。

 もしこれが「元奴隷のヒロイン」みたいな主役級の登場シーンなのですなんてことになればね、ヒロインの設定やらそれを救う格好いい主人公の設定ばっかり見て、奴隷商人キャラなんて脇役の存在を頭から消してしまうわけですね。


 上記の説明を、やらかすときの思考パターンの一例としてご紹介しましょう。皆様、どうか自分でストーリーを考える作者の気分となって一緒にお考えください。

 大目的は「救われて感謝する奴隷ヒロインキャラを用意」。そこから「奴隷ヒロインが主人公にここで惚れる」って展開にしたい場合、そのための過程として「なるべく酷い目に合い憔悴しているところを救われたから惚れた」という設定を用意するのがポピュラーでしょう。

 更に、救う方法は並の人間では不可能(あるいはやらない)ことにすべきです。誰でもできることでは特別感薄れますし、ヒロインにとって主人公は唯一無二の存在となるための重要なイベントなわけですから、「もう惚れたとしても誰も文句は言えない」ってところまで持って行くのが楽です。ここでの好感度はさほど上げずに、今後恋愛シミュレーションゲームのごとくイベント積んでいくパターンももちろんありますが、ここでは速攻好感度MAX型で考えます。


 では具体的には? となれば、わかりやすいのは虐待によって受けた傷の治療をした、とかですかね。

 奴隷は使い捨てって文化圏であり、いちいち治療なんてしないという設定にすれば、それだけで主人公の慈悲深さが際立つというものです。

 更に更に、どうせヒロインにするなら可愛くて美人な方がいいですよね。傷だらけで元の顔が判別できないくらいにボコボコにされた顔を医者に診せるか魔法的な方法なのかは舞台設定次第ですが、主人公の技術的な方法にせよ金銭的な方法にせよ、とにかく助ければ主人公に心から感謝の念を抱いている美少女の誕生です。その手の性癖がある人からすると大好物でしょう。


 しかし、法律なんてくそ食らえって犯罪者キャラで行くならともかく、主人公に正道を歩ませたいなら奴隷という商品を暴力で奪っていくわけにもいきません。合法的にヒロインを奴隷商人から解放するには、ついでにヒロインの所有権を得るという奴隷ヒロインでやる意義的な意味でも「奴隷を買う」というプロセスを踏む必要があります。

 よって、主人公にはヒロインの奴隷としての代金(死にかけなので端金設定でいいでしょうけど)+治療費を稼いで貰う必要がありますね。まあ、その方法はここではどうもいいですが、主人公にいい格好をさせるチャンスなので頑張りましょう。

 流れ的には『金を稼ぐ』→『奴隷商人に痛めつけられるヒロインに遭遇』の方がわかりやすいでしょうね。可哀想な女の子を甲斐性の問題でその場で助けられない~とか、なんか格好悪いですし。それに「彼女を解放しろ! 金ならくれてやる!」とか言いながら大金をポンと出すって、人に言うのは恥ずかしいけど誰しも人生で一回くらいは妄想したことあるシチュエーションじゃありません?

 しかも、ボロボロの廃棄奴隷のつもりで端金で売ったのに、次の瞬間には超美少女に変身しているわけですから、憎まれ役の奴隷商人を精神的に殴ることにも成功している……となります。


 ……なんてことをまあ、作者は考えるわけですね。思考プロセスは一人一人違うとは言え、まあこんな感じに主人公を基軸としてどうすれば見ていて気分のいい話になるかを考えるわけです。


 そして、おわかりでしょうか? 途中から奴隷商人視点完全に忘れていることを。

 最初の何も設定へ肉付けをしていない時は「奴隷を虐待していた商人」ってだけでしたが、今や「美少女奴隷に暴力振って価値のない産廃に変えていた商人」になっています。一言で言って頭おかしい。

いまいち理解できないという人は、八百屋が意味もなく自分の店の大根地面に叩きつけているようなもんだと思えば間違いじゃありません。売り物を自分で売り物にならない状態にしているわけですから。


 当たり前ですが、奴隷商人だって商売でやっているのであり、奴隷一人仕入れるにもそれ相応の費用はかかっているはずなのです。その辺で拾ってくるわけじゃありません。

 その商人が自ら商品価値を暴落させている……これはおかしいと、某小学生少年探偵がメガネを光らせそうなくらい違和感バリバリです。

 ご丁寧に、「商人からすれば奴隷の傷を癒やすことなんて簡単だったんだよ!」みたいな言い訳すら「治療できたのは主人公が特別だったから(じゃないとヒロインから特別感を得られない)」って思考で叩き潰している有様です。


 とはいえ、ここまでの思考じゃ絶対ダメってわけでもないんですよ?

 ここからでも「奴隷商人視点で見たら頭おかしいとしか言えない」ってことにさえ気がついていれば言い訳……もとい、矛盾を解決する方法はいくらでもあります。

 例えば「奴隷商人はヒロインの顔形のことを知らなかった(奴隷として売られる前に別のイベントがあった)」とか、まあそんな感じの設定を更に足して補強すればいいんですが……当然、そもそも「これ奴隷商人視点で考えたらおかしくね?」ってところに作者の視点が向かなきゃそこまで考える事は絶対にないんです。


 と、ここまで書いて「細かいよ! どうでもいいよ!」って思う人、多分いるでしょう。

 既に甚大なダメージとして「読者が評論家になる」つまり「楽しむためから批判するために(あら探しをしながら)読むようになる」という「キャラごとに視点を考えなければならない理由」は出しておりますが、そんな面倒くさい読者は切り捨てればいいんだ。みたいに考えている人いません?


 はっきりと言いましょう。このエッセイの表題通りに「作者目線でこの問題について考える」とね、ブクマ数とか評価数とか、そんなんどうでもいい即死級ダメージが発生することにもなりかねないんです。

 ズバリ「あ、こいつ主人公に俺TUEEEさせるために奴隷商人キャラ出したな」とか「深く考えずに美少女に依存されたいんだな」とか、そんな感じに作者の心を読まれます。

 個人的に小説で最高の褒め言葉の一つは「物語の世界でキャラが生きている」だと思っているのですが、こうなると真逆の評価である「作者の都合で動くお人形劇」なんて言われちまうわけなんです。


 こんなん死ぬほど恥ずかしいって悶え苦しむような一撃ですよ。

 所謂有名な作品のアンチ勢がまとめサイトとかで似たような「作者の思惑が透けて見える」的な批判をしているのをよく見ますが、叩きたいから適当な理由を挙げているのと、自らの眼で抱かれた感想がそれなのでは破壊力が違います。ほとんど精神への即死魔法です。


 いやね、これは冗談ではなくマジな話なんです。今挙げた一例は「考えずにスルーすればいいだけの話だけど考え始めると気になる」という程度のことですが、つまり考察されたらボロが出るってことなんですよ。

 これは大問題なんです。要するに、さほど興味を持たずに暇つぶしにぼんやり読まれただけ~という人にしか支持されないってことなんですよ?

 熱量をもって読んでくださる、将来熱心なファンになり得たかも知れない属性の読者を反転させてしまっているんですよ。

 「何も考えずに楽しめる作品」と、「何か考えたら楽しめない作品」は違います。これを勘違いしてはいけない。

 しかも、初めから叩く目的の人なら「矛盾があるぞぶっ叩け!」といつものパターンになるだけですが、善良な読者の方がこれに気がつけば「この描写はおかしい……つまり伏線か! この奴隷商人には語られていない目的があるんだな?」と受け取られますからね。何にも考えてませんでしたってこっちの立場からすると、罪悪感のあまり信頼が凶器に変化していますよ。


 なんてことを考え始めると、まあ後で振り返ってセルフボツを連発することになるので考えすぎもそれはそれで問題ですけどね……。


 あ、ちなみに、私別に奴隷ヒロインに恨みを持っている訳じゃないですよ?

 偶々思いついたから例に挙げただけで、別に奴隷ヒロインを叩きたくて仕方が無い人ではありません。

 証拠って訳ではありませんが、今までダラダラと書いた自説が適応される他の例でも挙げると、まあこんなんもそうですよねというのを短めに。



 例、新人冒険者(主人公)が冒険者ギルドで依頼を受ける際、すぐに飛び出さずに依頼で必要な情報(摘んでくる薬草の群生地とか討伐対象の魔物の姿形とか)を質問する姿を見て「情報の価値を知っている。他の新人とは違うようだな」とベテラン勢が高く評価。


 要するに、慎重な判断ができる主人公の評価アップを狙いたいわけです。

 が、これだけだと忘れている視点がありますね。はい、「他の新人冒険者」視点です。

 過程と結果を纏めると「他の新人がやらないことを主人公はやった」→「だから主人公は他よりも凄い」ってことになりますよね?


 ……逆に言えば、採取対象の場所も討伐する相手の姿形も知らないって、他の新人冒険者どこに何しにいくのってことになるでしょう?

 冷静に考えて何もできないでしょう。現実社会で言えば、今日から出社の新入社員が自分の職場の場所知らないようなもんですよ?

 短絡的に動かない慎重な主人公を演出するのが大目的なんですが、やってることが基本的なこと過ぎて「主人公が凄いのではなく周りがバカなだけ」状態になってしまうわけです。


 解決策はシンプルに、もう一歩踏み込んだことを考える主人公にすればいいわけですね。

 群生地やら敵の情報は常識レベルのことってことで「最低限のことは」誰もが知っていることにする。そこに+αを考えて同じことをすればいいってことになります。

 それこそ「皆知っている群生地じゃ下手すりゃ取り尽くされているかもしれない。他に穴場スポットとかないのかな?」と情報収集で差を付けてみたり「薬草のことは知っているけど、どうせならプロのアドバイスとか貰った方がいいよな?」と採取技術の方に眼を向けてみて他の新人よりも質のいい薬草ゲットとか、魔物退治系なら「スライムのことは知ってるけど、敵の数は? 武装の有無は? 特殊な個体は? 他の種類の魔物と共生している可能性は?」と一歩踏み込んでより詳しい情報を集めるだけで「雑魚モンスなんて余裕っしょ」みたいに楽観している新人と差を付けることができるでしょう。

 これに限らず、他者と比較してキャラを持ち上げたいのならば、持ち上げるキャラ以上に踏み台になるキャラの背景を考えるべきだと私は思います。倒しても何の功績にもならないとしか思えない雑魚をいくら狩っても作中キャラはともかく読者の方からの評価は得られませんし。

 弱い者いじめは楽しい、って意見は否定しませんが、実力的には弱者でも描写的に強者のように感じさせるハッタリは必要です。

 設定的にはレベル100の主人公とレベル20の踏み台じゃ勝負になんねーよって話だとしても、描写次第で「強いキャラとそれ以上に強い主人公」にもなれば「クソ雑魚と雑魚相手にいきがっているちょいつよ雑魚」にもなるってことですね。


 他にも、ベテラン冒険者って触れ込みのキャラが強敵を前におびえるだけで何の役にも立たず、そこに颯爽と現れた主人公が一人で事件解決。ってパターンもわかりやすいですけど、これにも罠があります。

 ベテラン冒険者がベテランに相応しい能力を一切見せていないので、踏み台にしても意味ない……みたいことになりがちなんですね。脇キャラの活躍シーンとかいらないしダレるだけですから。

 これは言ってしまえば、読者視点を忘れているとでも言いましょうか。作者的にはなんか凄いベテラン冒険者って脳内イメージは作っているんですけど、どんだけ脳内で作り込んでも文字にしなきゃ読者からすると偉そうな割に何の役にも立たなかった自称冒険者Aでしかないってことです。


 総合すると、奴隷商人にせよ冒険者にせよ『脇役キャラの行動もちゃんと一人の人間として考えてやらないとダメ』ってことですね。

 しかし、そっちに注力しすぎるのももちろん問題です。ぶっちゃけ使い捨ての脇役のことなんてどうでもいいのは読者の立場からすると言うまでも無いことなので、読者の方を飽きさせない程度に、されどちょっと考えただけで気になるような矛盾は消しておくのが理想となります。

 その辺の「テンポを悪くしない程度に脇役キャラの描写を挟んでおく」技術が上手い人の話は自然と引き込まれるのだと私は考えており、作者としては注意していきたいものです。


 以上でこの章は終わりといたします。


3. 作者の視点とキャラの視点が混ざっているパターン


 作者殺しの魔法の呪文「このキャラ作者の自己投影だろ」案件ですね。

 これは知識的な話というよりは、キャラごとの思考に作者の思惑がにじみ出てしまっていることが多いように思います。

 パターン2とも被るところもありますが、とにかく作者には望むストーリー展開が何かしらあるはずです。そして、登場するキャラたちはそこに向かって行動するように動きを決めていくわけですが……ここで、キャラ視点ではなく作者視点でキャラの行動を決めてしまうという問題が発生する恐れがあるのです。


 冷静に考えてみたら、このキャラの立場でこんなことするのか?

 みたいな違和感を感じてしまうってことですね。これの例は本当に無限にあるのですが、まあ例のごとく一例出してみましょう。




 じゃあ「異世界転移して手に入れたチート能力で主人公が山賊退治」辺りで行きますか。似たようなケースはそれこそ「小説家になろう」の中にいくらでもあるでしょうしイメージもしやすいかと。

 まず、異世界転移ってことは、元は別の場所に暮らしていたわけですね。それが別の異世界なのか現代日本なのかは設定によりますが、ここでは現代日本人が異世界に転移してひょんなことから山賊退治を依頼された、という設定で考えていきましょう。


 えー、まあこれ所謂チート能力持ちのほとんどに当てはまってしまう話なのですが、まず「現代日本人の主人公が山賊と戦うなんてできんの?」ってのが最初に来る疑問だと思います。

 その手の話に慣れているから気にならないって人も多いでしょうけど、普通に考えてできません。

 この際殺す覚悟的な人間相手に武器を向ける精神的なあれこれは無視するとしても、それ以前の大問題があります。


 ……本当に勝ち目あるの? 山賊だよ? ガチで人殺している犯罪者だよ? 強そうだよ?


 まずそこですよね。敵を殺せるかどうかってのは自分が勝利することを前提にした問題なわけですが、そもそもこっちがぶち殺される方を心配すべきですよね。


 と、この疑問を持ち出すと、その手の話が好きな人ならほぼ確実にこう思うでしょう。実際私も書く前は思ってました。

 だって「それがチートってジャンルだもん」って……。

 チート能力者が最強なのは当たり前。最強なんだから勝つか負けるかなんてところで悩む必要ないじゃん?

 チート能力者、或いは主人公最強もの。とにかく主人公が絶対無敵で究極で最強なんだって前提で話が作られているんだから、負けることとか考える必要は一切無いんだ!

 って、まあそんなテンションで。前作が泥臭い努力全振りだったから今回はそんなテンションのはどうかなって考えて、まあ多少は書いてみたりもしましたからね。


 ただですね、これ一言で言うと書いてて気持ち悪いというか、強烈な違和感を感じていたんですよ。こう、物語の中のキャラが動かないというか、ぎこちないというか。

 何でなんだって考えたら、一番肝心なところで表題の大問題が発生していることに気がついたんです。


 そう『これ主人公の立場からすると自分がチートで無敵なんだって保証どこにもなくね?』って事実に。


 チート主人公は最強で無敵です。それはジャンルとしての大前提。

 ですが……当たり前ですが、物語の住民である主人公は自分がチートものの主人公だなんて自覚はありません。あくまでも『突然訳のわからない異世界に訳のわからない超能力を持って飛ばされた一般人』なんですよ。

 主人公が絶対無敵であると知っているのは、あくまでもそう設定した作者。主人公本人の視点で見てみると、無敵の保証どころか自分の能力がどういった原理で動いているのか、そしてどんな代償があるのか、有効期限はあるのか……等々、全く不明で、自信を持つどころか不安で死にそうな状況にいたんですよ。


 この状況で山賊退治に出向く? いやいやあり得ないだろってところに至った時点で筆へし折りました。

 主人公視点で考えたら「もし戦いの途中で能力が無くなったら、或いは回数制限があったら?」とか「この能力を一回使うだけで実は代償を支払っていたら?」とか「山賊の中に自分と同じ条件(チート持ち)がいない保証は?」とか「そもそも、謎の異世界で自分のチート能力が強いって保証は?」とか……戦わない理由はいくらでも浮かんでくるんですが、戦う理由何一つねぇなって。

 この状況で自信満々に俺がやるぜってな態度を取ると、根拠もなく謎の能力に頼って調子に乗ってる奴という、なんか見ていて痛々しい感じになっちゃうしな……とね。


 もちろん、理由は主人公の設定次第でいくらでも作れます。

 例えば「勝てる勝てないではなく正義感でやると決断するタイプにする」とか、山賊の方から襲ってきたことにして「できるできないではなくやるしかない状況に陥ったことにする」とか。

 でも、前者の熱血タイプにするんだったら謎の能力なんかじゃなくて自分の意思で磨いた実力で頑張って欲しいし、後者だと最初の一回はともかく次が繋がんないしな……となってしまったわけですね。

 実際、私がこっから話を作ると「チート能力をゲットして調子に乗っていたら能力の弱点が露呈し、相応の痛い眼を見た後自分の力で改めて立ち上がる」みたいなストーリーになった末、自分で頑張ると決めて頑張るんだったらチート能力が邪魔で仕方がねぇって本末転倒な結論に至ってしまうわけでして。


 まあ、要するに私がチート主人公書くのとは相性が悪かったってことなんでしょうけども。

 どうしても「能力使用に代償や制限がある可能性」を考えてしまうと何もできなくなるんですよねぇ……。能力くれる神様とかその辺の存在が懇切丁寧に説明してくれたとしても、それを信用する根拠の提示が不可能ですし、自分と同じ条件の存在がどこかにいる恐れは常に残るわけですからね。


 ……ちょっと話がわき道に逸れすぎましたが、とにかくここで言いたいのは一つ。

 作者からすると当然の前提条件だとしても、キャラからするとそうとは限らないってことです。

 作者の視点でこういった話にしたい、と思っていても、キャラからするとそんなことする必要性全くないというか、むしろやる方がおかしいんじゃないかって状況……案外、陥りがちになりますよ?

 


 この話はなにも、チート能力関係ではなくとも十分起こりえる話です。

 例えば知識。それが地球からの持ち込みにせよ、異世界人が自力で発見した知識にせよ、それを他者に証明することの困難さは歴史を見れば誰でもわかることでありますが、書いているとそんなことも忘れてしまうことは多いのです。

 天動説が主流であった時代に地動説を唱えたことで異端審問にかけられたガリレオしかり、今の人間からすれば至極当たり前の知識であっても知らない人間には受け入れられないというのは当たり前のことなのです。まあ、ガリレオに関しては政治的なあれこれも関係していたそうですが。


 とにかく、作者からすれば常識レベルの知識であるからキャラも受け入れて当然~みたいな考えで違和感全開になってしまう、これあるあるネタなのです。

 知っている人間である作者視点でしか見ていないせいで、知らない人間である異世界人視点がぽっかり抜け落ちているってことですね。

 特に、専門家の知識を上回って主人公スゲーとかやろうとするとこれをやらかす可能性が高い。

 例えば、異世界人の医者がやっている治療法が地球医学の観点から見ると眉唾もいいところであり、転生者主人公が正しい医療知識を授けてやる……とか、妄想したことないですか?

 謎の葉っぱを燻した煙の前で祈祷を捧げることで病魔を打ち払う~とかやっているところに手術の概念を持ち出すとか、異世界医者に安静を言い渡されてる妊婦に運動の大切さを説くとか、医療以外だと農民相手に農業は畑を休ませながらやった方がいいと教えるとか、一流コック相手に日本食の美味しさを広めようとかね。


 これ、我々の視点に合わせて言うと、

 『風邪引いて病院で薬貰ったら横から「そんなものを飲んでも意味が無い。それよりこの水晶に祈りを捧げなさい」と変な人に言われた』とか

 『怪我をして安静にしていたら「引きこもっていても治らない! 怪我は気合いで治すんだ!」と謎のおっさんの追いかけ回された』とか

 『畑を休ませる? 「そんなことしなくても私が魔法で畑を富ませてあげましょう」とちっちゃな子供に言われた』とか

 『食事処で「サシミ? そんな野蛮なものよりもこのテケテケ蟲の唐揚げを食べなさい」と謎の物体差し出された』とか、

 印象的にはこんなもんですよ?


 その水晶には病を吸い取る特別な力があるかもしれない、謎のおっさんは気合いで怪我を治せるのかもしれない、その子供は畑を一瞬で回復させる魔法使いなのかもしれない、テケテケ蟲は絶品なのかもしれない。

 が、そう言われてわかったそうしようと判断する奴が何人いる? 今までの実績と信頼に値する肩書きを持っている専門家の意見を信じるのは至極当たり前の話なんですよ。


 もちろん、実際に持ち込まれた知識は正しいってことならば、いずれ広まることでしょう。

 ですが、言い出してすぐに受け入れられることはまずあり得ない。知識とは発見すること以上に証明することの方が難しいのですから。

 その苦労を含めて物語にする、或いは信じられなくてもすがるしかないってくらいに異世界人が切羽詰まっている状況を用意するなど、もちろん解決策はありますが……再三繰り返しますが、まず作者的には考えるまでもない当然の知識も物語のキャラからすると当然ではないって視点を持たない限り、そこにはたどり着かないわけですね。


 ちなみに、この話にはもう一つ罠があります。

 というのも、地球ではそれが正しいかも知れませんけど、異世界でそれが正しいなんて保証はないんですよ。

 自分が知識が間違っている可能性、異世界では通用しない可能性を全く考えないキャラ。或いは突如もたらされた信憑性ゼロの知識を全く疑わないキャラ。

 こっちの視点から見ると、違和感バリバリでしょう?

 特に、失敗の許されない医療関係の話だと、魔法だの超能力だのを当然のように使える異世界人と地球人の身体の構造が同じだと考える方が難しいですし、それなりの検証を行った後じゃないと迂闊に判断できないでしょう。それが医療の専門家ならばなおさらね。

農業に関しても、魔物だの魔法だのという地球の常識が通用しない生命体やエネルギーが当然のように存在する世界の植物に地球の常識がどこまで通用するのか、なんて実験しなきゃなんとも言えないですし、料理にしたって異世界人の味覚と日本人の味覚がマッチするのはほとんど奇跡ですからね。同じ日本人同士ですら味覚の違いには個性大きいのに。


 ……ようするに、それらの疑問は「偶然問題なく進めることができました」と作者が設定するのは当然可能ですが、問題ないことを作中のキャラクターは知らないってことを忘れないようにしましょうって話です。



 ここまでの話を纏めますと、『作者からすると当然のことであっても、キャラからすると当然のことではない』ということです。

 もうこの一言でここまで長々と書いた話ほとんど説明できるんですが、実際に書くと本当にこんな当たり前のことを忘れてしまうのです。

 冷静になって後から見返すと違和感だらけでセルフボツ祭り……皆さんは、どうかそうならないようご注意くださいってことでオチとさせていただきましょう。




まとめ


 最後にここまでのことをシンプルに纏めます。

 つまり

『作者の立場は情報が多々あるので混乱しないように注意しよう』

『主役級のキャラばっかりではなく、脇役キャラの行動原理も最低限考えておこう』

『作者視点ではなく登場させたキャラ視点で一度見返してみよう』

 の三点がここまで約15000字もかけてダラダラと語ってきたこととなります。


 広い視野で多角的に見る……小説を書くことに限らず、いろんな場面で必要になる能力なのです。

 今回例に挙げたようなシチュエーションを使っている有名どころもありますが、そういったところはほとんどこんなやらかしは潰していますからね。

 読者も気がつかないような些細な描写で……というよりも、読者が気にならないように配慮しているのが大半なんですね。

 皆さんもこんな言われてみれば当たり前……程度のことを頭に入れておけば、書いてはボツ書いてはボツのセルフボツ地獄に陥ることはないでしょう……。































 あ、ちなみにここまで長々と書いておいてなんですが、ここまでの話を全部鼻で笑って無視して言いジャンルもあります。

 文字通り、不条理で矛盾があって意味がわからないからこそ面白い――そう、どんな疑問も疑念も通用しない最強ジャンル『ギャグ』の前では全てが無意味である、ということは忘れないようにしてくださいね。

 くれぐれもここで見たからと「ギャグ」に無粋なツッコミはやらないようお願いいたします……。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ちょっと本筋とはズレたとこになるんですが3章「チートで山賊退治」の例について。舞台設定から見直さないとマズい、って話ならちょっと問題が違う気が 「主人公が自身の能力がチートだと確信出…
[良い点] 思考パターンからそのせいで途中で話がねじまがってひねたプロットになるところまで他人事とは思えず面白かったです。 [一言] 出した例の矛盾ネタで書かれたお話が気になるw
[一言] これは読者の自分にも好きなエッセイですね。
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