『問題はそこじゃない』
長いですのでご注意ください。
私には尊敬する師匠がいます。
仮に、N師といたしましょう。
高校時代の恩師で、今は画家として精力的に活動していらっしゃる方です。
十代の頃から人生上での悩み事や創作上での悩み事を相談し、指導やアドバイスをいただいてきた方です。
私の人生の中で『師匠』『恩師』と呼ぶべき方は、正直申し上げて彼しかいないと思い、尊敬している方であります。
ずいぶんと硬い書き出し、失礼します。
なんだかN師を神棚に祭って崇めているような、イタイ感じがするかもしれませんね。
そうでもないんですけどね~。
実際のかの方と私の付き合いはもっとフランクで、言いたいことは結構ズケズケ言い合い、創作上の話なら言いにくいこともあえて言い合うという、先生と生徒というよりも先輩と後輩、それも体育会系ではなく文化系クラブ的な、垣根の低い関係であります。
ですが、私としては前提として、N師への尊敬や信頼があるということを最初に書きたかったので、お許しを。
さて。
N師は絵描きさんでいらっしゃいますが、文章での表現も色々なさっています。
哲学論や絵画論、ドキュメンタリーのようなものもありますし、詩や小説、童話なども書いてらっしゃいます。
彼のヘボ弟子を自称している私は、比較的最近(三年ほど前)、HP内の彼の著作をまとめて読ませていただきました(彼がそんなに色々と書いていたのを知ったのが、ちょうどその頃でしたので)。
正直、哲学論の方は私ごときの理解では十分届かないので流し読み……ですが、フィクションの作品はそれなりにきちんと読ませていただきました。
そのうちの一作である短編小説に、猛烈な引っかかりを感じたのがそもそもの始まりでした。
おそらく原稿用紙にして六十枚から七十枚、25000字から30000字ほどであろう作品です。
内容を要約するなら、以下のような感じです。
バツイチの冴えない中年男である『私』。
別れた妻のことが忘れられず、だらだらと人生の足踏みを続けていた。
しかしいつも親切にしてくれる、やはりバツイチの同僚女性に憎からぬ感情を抱きつつある。そろそろ次へ進まなくてはと思い始めていた。
思う反面、学生の頃から崇拝するように恋していた元妻へ、『私』は未だに心が囚われているのだった。
ある日『私』は例の同僚女性から、子供と三人で一泊旅行へ行きませんかと誘われる。事実上の逆プロポーズと言えよう。
『私』は彼女の子供とも仲が好く、この三人ならきっといい家庭を築けるだろうと思っていた。
しかし、それでも元妻への思いを完全には絶ち切れず、どうするべきか『私』は懊悩していた。
そこへ元妻の幻が現れ、『私』は、彼女への愛だと思っていた感情が実は醜い執着だったと悟って懊悩から抜け出し、新しい家庭を築く決意をする。
ここまでは何も問題ありません。
本当に何も問題はないです。
『元妻の幻』云々の部分がややホラータッチですが、特に破綻もないです。
なんだか上から目線的な言い方で申し訳ないですけれど、私はそう思いました。
この主人公が前を向く気になって良かったな、とも、素直に思ったものでした。
しかし、ラストで私は絶句してしまいました。
作品の要約を続けましょう(そう、ここで終わらないのですよ)。
『私』は同僚女性と再婚し、幸せに暮らし始めた。
程なく妻は身ごもり、女の子を生んだ。
『私』は、自分をここまで導いてくれた『元妻の姿をした神のごときもの』への感謝の気持ちから(決して元妻への恋慕ではない)、今の妻との間に生まれた娘に、あろうことか元妻の名前をかなり強引に付ける。
今の妻は当然、
「まだ前の奥さんに未練があるの?」
と悲しむ。
が、やがてなし崩しに元妻の名前は娘の名前として定着し、みんなで幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。
……は?
はあ?
はああ? 本っ気でわかんないんですけど?
私は読了後、固まりました。
いくら今の奥さんが物分かりが良くても。
また作品を読む限り、惚れているのは主人公ではなく逆プロポーズした奥さんの方だったとしても。
この結末で、めでたしめでたしになるか?
むしろ、より惚れ度の深い奥さんに対して、これって鬼の仕打ちじゃないのか?
主人公のこの態度って、愛しているのは元妻でお前じゃねーよ、って言ってるのと同じじゃないのか?
いえその。
主人公的には(作者的には)、これはアイだのコイだのという下世話な話ではなく、もっとグローバルな、神の愛とでもいうべき境地へ導いてくれた元妻の姿をしたナニモノカに対する感謝だ、みたいな気持ちで娘に名付けた、のは、読者はわかる、わかります。
読者にはね。
でもこの主人公、その辺のいきさつを一切、今の奥さんへ説明しないんですよ?
おまけに「まだ前の奥さんに未練があるの?」と悲しむ妻へ対し、明後日の方を向いて、無言でうなずくんですよ?
彼の(彼にとっての)崇高なこの思いは、他人に説明してもわかってもらえないだろうから、と。
ひどい。
ひどすぎる。
言い訳の余地なし!
この主人公、最悪。有罪です。
そんな仕打ちをされて、普通以上に夫へ愛情を持っている妻が、傷付かない訳ないでしょうが!
私は怒り狂い(大袈裟な表現ですが、本気で腹が立ったのは事実です)、N師へ手紙&メールをしました。
『あまりにも今の奥さんが可哀相だ!』と。
当然、N師は困惑しました。
この短編小説はその時点(三年ほど前)でさえかなり前に書いたものだったようで、N師ご本人も半分忘れていらっしゃった作品のようでした。
私は怒りに任せ(苦笑)、再婚相手である今の奥さん視点で物語を構築し直す、いわゆる二次創作を勝手にするという暴挙に出、あろうことか出来た作品をN師へ送りつけました。
幸いN師は受け入れ、面白がって下さいました。
彼のブログで、競作という形で私の拙い二次創作を取り上げて下さった程です。
いやはや、まったく無礼な話ですね。
今思えば、彼に度量がなければ絶縁されたかもしれない暴挙でありました。
冷静になった今、さすがに胆が縮みます。
改めてN師のご厚情に感謝致します。
もっともいくら無礼な私でも、彼が古くからの知り合いであるという甘えられる部分がなければ、とてもこんなことは出来ませんが。
もしこの作品が、なろう内でのどなたか見知らぬ作者様の作品なら『うわ、この主人公、ないわ~』と思いつつ、静かにブラウザバックしたでしょう(笑)。
さて。
実はブログでの競作の後も、私は『この主人公、ひどすぎる』問題をN師へ伝えました。
しかし何度私がそう言っても、N師へ上手く伝わらないのです。
N師とすれば、このヘボ弟子は何をそんなにこだわるのかと思っていらっしゃったでしょう。そんな顔をなさっていました。
この作品で伝えたいのはそこじゃないのに、何故こいつは、テーマと直接関係のない、再婚相手の女性の気持ちにばかりこだわるのだ?と。
でも。
考えてみて下さい。
自分が生んだ娘に、何の説明もなく夫の元妻の名前を付けられる。
どう考えても絶望的な気分になると、少なくとも私は思います。
あっさり受け入れ、めでたしめでたしになるとはとても思えません。
たとえ彼女が作者にとって、さほど重要でない脇キャラであったのだとしても。
この扱いは、あんまりではないですか?
殿方の皆さんも想像してみて下さい。
バツイチ同士で結婚した妻が、自分との息子に元夫の名前を付ける。
元夫の名を呼びながら、妻は息子の世話をする。
少なくとも、ものすごーく複雑だろうと私は思います。
しかしN師は結局、ここの部分をあまり納得して下さいませんでした。
もしN師がこういう立場で、再婚相手が元夫の名前を自分の息子に付けたとしたら、どう思いますか?
何かの機会でお会いした時、私は直接、彼へ問いました。
彼はしばし考え、まあ彼女がそうしたいんなら仕方がないな、相手のすべてを受け入れるのが愛だから、という内容のことを、静かな顔でおっしゃいました。
だ……駄目だこりゃ。
少なくともこの件で、この人とは話が通じない。
私は萎えました。
冒頭で書いたように、私はN師へ尊敬と信頼を抱いております。
彼が誠実な人だということに、微塵の疑いも持っておりません。
長い付き合いでもありますから、お互いのこともそれなりに知っているでしょう。
そういう信頼関係があるにもかかわらず、互いの感覚やものの考え方をある程度知っているにもかかわらず、私にとって当たり前の感覚が、どう説明しても彼には共感してもらえなかったのです。
『相手のすべてを受け入れるのが愛だから』
N師の言葉です。それはその通りでしょう。違うとは私も思いません。
N師はきっと、仮に再婚相手が自分との息子に元夫の名前を付けたのだとしても。
心に少しの揺らぎもなく、受け入れられるのかもしれません。
ひょっとすると、それがN師の常識なのかもしれません。
それだけの度量がある方だからこそ、私の無礼も面白がって下さったのかもしれないとも思います。
でも、それが『愛』だから受け入れろと言われても、みんながみんなは無理ですよね?
少なくとも私は無理です。百年の恋も冷めそうです。
人間として修業が足りんと言われれば、それまでですが。
それに『愛』しているのなら、相手が傷付かないよう配慮しようとは思わないのでしょうか?
どうしても元妻の名前を娘に付けたいのなら、最低でも今の妻に、あらん限りの言葉を尽くし誠意を尽くし、わかってもらうよう努めるべきでしょう。
説明できないから、と、明後日の方を向いてごまかすなんて言語道断です。
説明できないような名前を、そもそも娘につけるべきではありません。
でもそれはあくまでも私の感覚、私の常識です。
彼には理解しがたいのかもしれません。
『問題はそこじゃない』
私は何度も思いました。
この作品の主人公が(私の感覚では)、独善的といいましょうかある種のサイコパスといいましょうか、そういう人間だったとしてもかまわないのです。
崇拝する元妻以外の女性には、一切気配りも心配りもしない、嫌な野郎でもかまわないのです。
でも作者までもが一緒になって、独善的になってほしくはなかったのです。
主人公が(おそらく少なからぬ人にとって)嫌な男だろうという認識を持って、書いてもらいたかったのです。
例えばラストに
『それから私たち家族は、○○(娘の名前)と共に幸せな日々を過ごした。
だが……時々。
何故か妻が、暗く虚ろな目で娘を見ているのが。
晴れた空を陰らせる黒雲のような胸騒ぎを、私へ与えた。』
くらいの記述があれば。
私はここまでしつこく、もやもやしませんでした。
『問題はそこじゃない』
おそらくN師もそう思われたでしょう。
この作品でのテーマは、執着に囚われた一人の男の、愛と憎しみの相克とそこからの解脱、である。
再婚相手は、彼がよどみから抜け出す為のきっかけ、装置。
それ以上の意味はない。
何故ならそこは、書きたいテーマとずれてくるから(事実、再婚相手の女性には名前がありません。記号で表現されています)。
主人公を無条件に愛する『チョロイン(という単語で彼は思考しないでしょうが、意味としてはそんな感じ)』の再婚相手なら、これくらい我慢するはず。
そもそも主人公が別れたくもない妻と別れたのも、彼女の幸せを一番に考えたからこそ。
愛とはそんな風に、己れが犠牲になっても厭わない、一切の見返りを求めないものなのではないのか?
なのにこのヘボ弟子はギャーギャーと、テーマとは無関係なところで騒ぎよってからに。
テーマにそった質問や苦情ならまだしも、何故そこにこだわるかな?
……くらいに、感じていらっしゃったのではないでしょうか?
もちろん私は彼ではありませんから、この予想がまったく的外れな可能性もありますが。
『問題はそこじゃない』
お互いがそう思い、お互い己れの常識で相手を説得しようとする。
相手が何故そこにこだわるのか、逆に相手は何故そこにこだわらないのか、己れの感覚や常識ではどうも理解できない。
しかし、常識やら感覚やらは漠然と思っているより個人差が大きく、思っているより自明でもない……ようですね。
気心が知れているといえる、我々のような古くからの師弟であってもそうなのですから。
それ以外のもっと浅い知り合いは推して知るべし、ということなのでしょう。
最大限の想像力を持って、そして礼儀を持って、相手の話を聞く方がいいのでしょうね。
私の常識が、必ずしも同時代の日本人だから通じるとは限らないのだ、くらいの謙虚さを、常に忘れないようにしたいと思います。
わかりあえないのはちょっとさびしい気もしますが、それが人間の社会であり、多様性に通じるものなのでしょうね。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。