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第8話 乙女、筋と肉の狭間で

前回までのあら筋!



リガルティアだけ世紀末の人。

 魔窟と化したレインフォレストを迂回するように、西の海沿いを南北に伸びるストリア街道を、二人の人影が爆走する。

 大地を踏みしめ、蹴るたびに土煙を巻き上げて、暴風を巻き起こしながら。


 徒歩の旅人を追い越し。


「うわっ、なんだ、今の風……?」


 旅の一座を乗せた、大型の馬車を追い越し。


「ん? 今何か通り過ぎたか?」

「さあ? 何も見えなかったけど」


 都市と都市の人を繋いで馬を走らせる、郵便屋(ポストマン)をも追い抜いて。


「ええっ!? い、今……嘘だろ……。……こっちは馬だぞ……」


 二人の人影は走り続ける。

 照りつける太陽の下、もう半日近く足を止めていない。


 先行しているのは筋骨逞しき男性で、片腕に大きなバックパックの紐を巻き付けて背負っている。

 ざっくばらんにハサミを入れた短い金髪の間からは、長い耳が出ている。エルフだ。

 エルフらしく半透明の薄衣をまとってはいるが、足は裸足だ。


 曰く、筋肉こそが正装であるがゆえに。


「きゃあ! ……い、今何か通った……?」

「んぁ? ただの突風だろ」


 その背後にぴたりとつけているのは少女だ。深緑色の髪を激しくなびかせ、細い身体で懸命に前をいくエルフについていっている。

 懸命に。いいや、違う。

 短衣の裾を鳩尾付近で縛った少女の腹筋は、六つに割れている。長い脚もまた野生動物のごとく引き締まり、そこから蹴り出されるパワーは男にこそ劣ろうとも、肉体が軽い分、前に進む力は負けてはいない。


 男が暴風であるとするならば、少女は疾風だ。


「うおっ!? な、なんだなんだ!?」


 男は金色の暴風を巻き起こし、少女は暴風をかいくぐるようにすり抜けて、次々と街道をいく旅人たちを追い越していく。

 目にもとまらぬ速さでステップを切って旅人の間を抜け、時には跳躍で頭上を跳び越して、時には馬車の荷台を蹴って空を駆けて。


 そうして日が暮れる頃、いくつもの宿場町を通り越し続けた男は、ようやく街道の端で足を止めた。

 息一つ切らしてはいない。


「ふむ」


 少し遅れて、少女もまた足を止める。

 こっちは膝に手を当て、滴る汗で街道を染めて。


「はぁ、はぁ、はぁ……。もう、セイさんったら。一度も追いつかせてはくれないんですから。意地悪っ」

「ハッハッハ。目標が目の前に常にいるのだから、いいトレーニングになっただろう?」

「トレーニ――あ! また手加減されてたんですね! もー! ばかばかぁっ!」


 甘やかな言葉とは裏腹に、少女が両手を拳にして腰だめに引き、激しく踏み込みと同時に男の鳩尾へと放つ。轟と風を貫いて、殺人級の拳が男の急所へと迫る。


「ゼァ!」

「ぬんっ!」


 肉の弾けるすさまじい音が鳴り響く。

 しかし男はそれすらも腹筋で包み込むように優しく受け止め、眉一つ動かさずに穏やかな瞳を向けた。


「フ、おれが本気で走っては、人間たちがせっせと造った街道がめくれ上がってしまうだろう」

「でしたら、帰りは草原をいきましょう。次はわたしだって負けませんからね」


 五十年という月日は残酷だった。


 体型こそあまり変わらずとも、フィリアメイラは下半身を中心に、すっかりと鍛え上げられていた。

 いや、それは彼女だけではない。あの日、レインフォレストに残ることを選んだエルフ全員が、だ。

 特に長老リガルティアの変貌たるや、もう。


 脳筋。人は彼らをそう呼ぶだろう。

 かろうじて正気を保ったままの、フィリアメイラを除いて。


「もうすっかり日が暮れてしまいましたね」

「ああ。今夜はここで眠ろう」


 野宿だ。街道から少し外れた、鯨のような形の岩陰で。


 満天の星空に、月二つ。

 青い月と紅い月。こちらの世界では、青月(せいげつ)紅月(こうげつ)と呼ぶらしい。二つの月の合間は闇空ではなく、わずかに紫がかっていて美しい。


「おれたちの転生体がエルフでさえなければ、宿も取れたのだがな」


 エルフの身で宿など取ろうものなら、翌朝には奴隷商たちが宿を取り囲んでいることだろう。それでも五十年前と比べれば、そういった剣呑な荒くれ者たちの数も、かなり減ってはきたのだけれど。

 けれどそれは、エルフや妖精といった、魔法を頼りに生きてきた非力な種族が獲り尽くされてしまったからに他ならない。世界が優しく変化したわけではなかった。


 武を魔法に頼り戦ってきた種族は、敗北したのだ。対魔法金属(アンチマジックメタル)の登場とともに、生存競争の中で淘汰された。

 もっとも、誠一郎のすすめで早くに魔法を捨てることのできたレインフォレストのエルフだけは、こうして生き残ってはいるけれど。


 草原に豪快に寝転んだ男の脇腹に深緑色の後頭部を預けて、メイラは幸せそうにささやく。


「エルフも悪くないですよ。だって、こうしてセイさんの逞しい腹斜筋に、わたしの肩甲挙筋や胸鎖乳突筋を預けて眠れるのですから」


 脳に筋肉こそまだ回ってはいないが、余計は知識は増えまくっていた。


 誠一郎が困ったような顔で、少しだけ口角を上げた。

 そうして穏やかにささやく。


「よすんだ。そのような言い方をしては誤解を招く。ましてや胸鎖乳突筋など、ちょっとエッチな響きを含んだ単語だぞ」

「ただの首の筋肉ですってば、もー!」

「ハッハッハ。知っている」


 少し、波の音が響いて。夜風は優しく。

 フィリアメイラは意を決してつぶやく。


「……さっきの、誤解ではありませんから」

「そうか」

「そうです。あなたは最期までわたしを見捨てなかった、ただ一人の人ですから」


 暗闇でもわかるほどに、フィリアメイラの全身が薄い桃色に染まっていく。


「ハハ、メイラはよほど好きなのだな。筋肉が」

「……そっちは誤解ですからね!? ――あ、もー! すぐそうやってはぐらかす!」


 少し怒って、それから少し笑って。

 メイラは誠一郎の脇腹に首を預けながら、瞳を閉じた。


「わたし、もう大人ですよ。今世はエルフだから時間がかかってしまったけれど、もう大人です」

「……おれがまだ子供なのだ。望む筋肉(にく)を手に入れていない。それだけに向かって突き進むことしかできない男など、ただのガキだ。そういうやつは周囲を不幸にしてしまう」

「セイさんの周りは笑顔で溢れていますけどね。長老(おばー)様や、ルフィナ姐さんも、フェンバートさんも。……ん……と、もちろん、わたしも」


 明後日の方角を向いて、拗ねるようにメイラがつぶやいた。


「そうか」

「そうです。もー!」


 しばらくして、メイラは眠りに落ちていった。


 魔族の支配領域、北の大地ライゲンディール地方までは、ちょうどこの鯨岩からマッスル走法で三日ほどの距離だ。

 ライゲンディール地方、魔都モルグスからレインフォレストに便りが届いたのは、数日前のことだ。


 それを見るなり誠一郎は顔色を変えた。

 ライゲンディールは誠一郎が二百年間、筋トレに費やした地だ。端から見ていたフィリアメイラにも、その地で何かが起こったらしいことくらいはすぐにわかった。

 また、誠一郎にとって大切に思える存在が、ライゲンディール地方のどこかに暮らしているということも。


 ゆえに、すぐさま旅立とうとした誠一郎に同行を願い出たのは、彼の身を案じてのことではない。

 もしも彼を待っている何者かが女性であったらと考えると、気が気ではないからだ。心の筋肉が、誠一郎についていけとささやいたからだ。


「メイラ」

「んぇ? う、はい……」


 目を擦りながら身を起こす。

 誠一郎が逞しき左腕をメイラの背中に回して支えながら、片膝を立てている。


「筋肉を覚醒させろ。何かがくるぞ」

「え? え?」


 ズ……ズ……ッ。


 沢山の何かを引きずるような音がしている。

 街道ではない。海岸側でもない。草原。腰まで伸びた草原には、いくつか樹木が立っている。


「……?」


 最初にその影を見たとき、フィリアメイラは強い海風によって草原の樹木が揺れているのだと思った。けれど、その大きな影は近づいてきている。


「巨人族……? こんな場所に……?」

「違うな。彼らは魔族の中でも知的でおとなしい種族だ。巨人族ならば人間をさらったりはしないさ」


 人間を……!?


 目を凝らす。

 その大きな影は、縄に繋がれた人間たちを引きずっていた。

 死んでいるのか気絶しているのかはわからないけれど、何人かの人間を縄でぐるぐる巻きにして、それを引きずって歩いているのだ。


「……たす……け……て……」


 まだ生きてる!


 やがて青月と紅月の光を浴びて、巨大な生き物がその姿を現す。

 体毛なき肉体は月光を浴びて青白く、ぎょろりとした大きな眼球は顔面の中央に一つだけ。そして、頭頂部からは大きな角が生えている。


 一つ目鬼(サイクロプス)――!


「さて、どうする、フィリアメイラ?」

「どう……とは?」

「人間もああしてエルフをさらい、売り飛ばし、そして隷属させた。弄び、壊し、埋葬すらされずに打ち捨てられたエルフの数は膨大だ。それでも人間を助けるか?」

「“筋肉(にく)の頂を目指す者は、善きを助け、悪しきを挫き、己を律し、すべからく正しくあるべし”」


 間髪容れずにこたえると、誠一郎がニッカリと笑みを浮かべた。


「ほう。おまえのお乳、いや、固く逞しき大胸筋はすでに『筋肉経典』第一章第三項まで学んでいたか」


 フィリアメイラが両手で胸を覆い、頬を染めて叫ぶ。


「もー! その言い方! ちゃんと触ってから言ってくださいよっ! お乳であってますからっ! わたし、下半身を主に鍛えて上半身はそれなりに柔らかく保ってますからね!? ……そりゃ太ももは、少しだけ他の人たちより太いですけど……」


 ちなみに第二項は、筋肉の素晴らしさを世界中に普及させろ云々が記されていた。筋肉神という存在は、どうにかして信者を増やしたいと考えているらしい。


 ――ガアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!

「あ」

「フ、見つかってしまったようだな」


 フィリアメイラの叫びが聞こえてしまったらしく、サイクロプスは二人のエルフへと向けて牙を剥き、地響きを立てながら迫ってきていた。


お乳など大胸筋の前では無力だと知れィ!


(`・ω・´) n

⌒`γ´⌒`ヽ( E)

( .人 .人 γ /

=(こ/こ/ `^´  

)に/こ(

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