最終話 脳筋、世界へ
前回までのあら筋!
ダイエット、大・成・功!
大魔導機関のうなりが、二人のエルフを海の向こう側へと運んでいた。
遠ざかるアズメリア大陸に思いを馳せる。
「皆さん、元気にやってるのかな」
「さてなあ。まあ、筋肉さえあれば元気にやっていけるさ」
当初は昔を思い出し、ライゲンディール地方の死の森に身を寄せた。
新たなる筋トレ時代の始まりだ。
しかしそこでアンデッドを相手に筋トレという名の実戦を二十年ほど続けてはみたものの、想定していたよりも早く、何やら物足りなさを感じる日々が続くようになってきた。
「筋肉さえあれば……? ちょっと意味わかりませんね……」
「そうか?」
かつては二百年かかった筋トレだったが、死の森で得られる力は、わずか二十年ですでに身についてしまっていたのだ。
否、少し違う。その言い方は、正しくはない。
筋肉は失われても、細胞の一つ一つが肉体の動かし方を覚えていた。しかし、記憶の中の格闘技に頼ってしまっては、筋肉は身につかない。
求めるものは技や格闘能力ではない。
あくまでも美しき筋肉、そして比類なき筋力だ。むろん、両方あるに越したことはないのだけれど。
とにかく筋肉を育てるには負荷を与えなければならない。
津々浦々まで旅を経て、慣れ親しんでしまったこのアズメリア大陸では、もはやそれは不可能だった。
「楽しかったな」
「ですね。日本も悪くはなかったですけど」
「やりがいがある」
「鍛え甲斐の間違いでは?」
ならば、どうすればいいか。
新たなる危険環境に身を置くしかない。
未だ各地で魔神イブルニグスの神影が目撃され、被害者まで出ていることを考えるならば、この地を去ることは断腸の思いではあれど。
だが。ああ、だが。
己には、大切なこの地を託せる仲間がいる。
かつてレインフォレストの長であり、魔神戦役の折にイブルニグスと互角に打ち合った覇王リガルティアは、亜人領域ガラフィリア地方の王位を亜人王ジルフレアより正式に譲渡され、その地で筋トレを続けている。
ジルフレアとの仲が噂され、長寿種族であるエルフと短命ながら肉体性能に優れた獣人の血を引く新たなる種族の子の誕生がガラフィリアで期待されるも、本人は頬を染めて否定。
「おばー様ったら、可愛らしい乙女部分がシックスパックの隙間からはみ出てましたね」
「フハハ。……オエェー……ちょっと船酔いが……」
「言っちゃお」
「や、今のは船酔いがだな……」
そのリガルティアの両腕と言われる二人のエルフ、フェンバートとルフィナもまたレインフォレストを去り、人類領域エルザラーム地方の王都ストラシオンの王と王妃の位に籍を置いた。
かつて妖精族やエルフ族を虐げた人間族を抑えるという名目の元での即位ではあったが、即位後の評判は、朝の国民皆筋トレ政策以外は上々であるという。
「朝から強制筋トレを法律に持ってくるなんて、もー、フェンバートさんったら」
「ああ、まったくだ。まったく以て、素晴らしいな」
「最高ですのにね?」
魔神戦役の折に最も被害を受けた魔族領域ライゲンディール地方は、ゴーレムの肉体を持ったダークエルフ、レーヴの主導で復興が続けられている。亜人や人類との敵対状態を自ら解消したことにより、両国からの支援を引き出した。
唯一生存しているディアボロス・リゼルが魔王に名乗りを上げずに地方領主に収まった今、ライゲンディールにはかつてない平和が訪れている。
「レヴァ子さん、セイさんがヒョロガリになったから、今度はレーヴさんに取り憑いたんでしたっけ?」
「ああ。義妹のステナに時々石にされてるらしいぞ。義兄に近づかないで、とさ」
「フフ。あの人、しつこいから。オークの性夜さんだったら、自分が死ぬまで精気くれるのに」
「仕方がないから、レーヴのやつが精気や魔素を封入したアッパーになれるドリンク剤を製造したそうだ。今のところはそれをキメることで満足しているらしい」
「逮捕案件だわ……」
奇しくも、王位は全員がエルフ。
今やレインフォレストに限らずアズメリア大陸全土が、エルフたちの地となった。
これにより、対魔法金属を得た人類に隷属させられていたエルフやハーフエルフも自由を得て思い思いの地に移り住み、新たなる生活の拠点を造り始めている。
神影の残党を駆逐する際には、彼ら旧エルフ族の魔法とかいう小手先のつまらない児戯にも等しき小細工戦闘ごっこ遊びも、多少は役に立つこともあるだろう。
船は海を滑る。
あれだけ広大に感じられていたアズメリア大陸が、掌でつかめるくらいまで小さくなっていく。
「ねえ、セイさん。お師匠様が殺そうとしている神って、筋肉神様ですよね」
「みたいだなあ」
師である女は、魔神戦役以降、アズメリア大陸から姿を消した。
なんでも古い友人たちとどこかの大陸で合流するのだとか。彼女はそんなことを嬉しそうな顔で話していた。
結局のところ、また名を聞きそびれてしまったけれど、これでいいという気もする。
ハイエルフと神影。
互いに長い人生だ。いずれまたどこかで交叉することもあると、不思議とそう確信できる。
「……手伝うんですか? それとも、主神のためにお師匠様と戦ってみます?」
正直絶望的ですけど、と少女が付け加えた。
「うむぅ」
手伝えば主神に刃向かうこととなってしまうし、師と事を構えれば恩義を裏切ることとなってしまう
だが。ああ、だが。
己の道というものがある。
漢は不敵な笑みを漏らし、船縁に鍛え上げた広背筋でもたれかかった。といっても、かつての魔神戦役の頃と比べれば、その背はあまりにも頼りないけれど。
「そうだな。至高の存在たる筋肉神様を超えてこそ、我々もまた真の筋肉を得たと言えるやもしれん」
少女もまた、悪戯な笑みでつぶやく。
「またやります? 神殺し」
「今度は前よりもずっと長い旅になるぞ。あの師匠ですら、三百年もの間、果たせなかったこと――」
風が吹いて言葉を切った瞬間、二人が同時に飛び退いた。
少女は背後に、漢は側方に。
二人の間には、いつの間にか女が一人立っていた。
「――今、聞き捨てならん言葉が聞こえた。あたしの聞き間違いでなければ、神殺し、と言わなかったか」
眉目秀麗。青く長い髪をした長身の女剣士だ。
銀色の胸当てに、手甲。よほどの手練れなのか、足甲も金属であるというのに足音すらしなかった。
最も目を惹くのは、その背中の剣。彼女の身長近くもある長さのグレート・ソードが背負われている。
振れるのか、あんな細身の女に。あれほどの剣が。
「いつの間に……?」
漢が油断なく女を睨みつけた。
少女が片足を上げて構え、微かにうめく。
「わたしたちがこんなに簡単に背後を――ううん、正面からの接近を許すなんて」
外眼筋を鍛えた視覚にも、種族特性で優れている聴覚にも、捉えられなかった。もしもこの動きが筋肉に依るものであるとするならば、この女は師よりも優れている。
だが、次の瞬間、女は両手を挙げて相好を崩した。
「驚かせてしまったか。すまない。あたしは敵じゃない」
そうして無遠慮に少女に近づき、まじまじと至近距離からフィリアメイラを眺める。頭のてっぺんから、ゴンブト足までを見回して。
「ははー。なるほど珍しい。やたらと筋肉質のエルフだ。あいつの言った通りだな」
「あいつ……?」
「そこの気味悪い筋肉をした男が、しばらくの間、師事していた女のことだ」
「は? へ? え?」
女が首を傾げる。
「ん? 人違いか? アズメリアで魔神を退治したのは、おまえたちではないのか?」
漢が、ぽかんと口を開けて呆けた。
「どうやら我々のことのようだな」
「そ、そーですね」
女は満足げにうなずいて続ける。
「ちょっとわけがあってな。あたしたちは神を二体ほど殺さなければならない。……そうだな。おまえたち、暇ならついてくるか? あいつも喜ぶだろう」
漢が途切れ途切れに尋ねた。
「師匠に……また逢えるのか……?」
「ああ。ゼクセリア大陸で待ち合わせをしている。もうどれくらいになるか、あいつとは三百年ぶりくらいの旅だ」
漢と少女が目を見合わせてから女に向き直り、うなずいた。
「同行させてくれ!」
「お願いします!」
「わかった。なら休憩は終わりだ」
「休憩?」
女が空を見上げる。
「――ふむ、ちょうどいい風が吹いてるな」
青髪はまるでなびいていない。海も凪いだままだ。
大丈夫か、こいつ……そう思いながら、また二人のエルフが目を見合わせた瞬間。
「おおっと、これはいかんな。偶然巻き起こった暴風に、ちょうどあたしたちだけが吹っ飛ばされそうだ。――ほら、あたしの手につかまれ」
「は、はい……?」
「おまえもだ、筋肉。さっさとつかめ。海に落ちても知らんぞ。海を凍らせるのは手間がかかるんだ」
「あ、ああ」
女剣士の足を中心として、微かに緑色を帯びた風が巻き起こった。
直後、風が暴れた。暴風は的確に二人のエルフと女剣士だけを空へとかっ攫い、凄まじい勢いで三人を運んでいく。
「うおおおおおおおおっ!? おおっ!? おぼああああぁぁぁっ!?」
「きゃああああああぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~っ!?」
空高く、雲の隙間まで急上昇して。
暴風の中、漢はようやく理解した。
この剣士に見える女は魔法使いだ。かつての己やリガルティアをも遙かに凌駕する大魔法使いで、先ほど突如として現れたように見えたのは、空から降ってきたのだ、と。
つまり彼女の言った休憩という言葉は、船には立ち寄っただけ、という意味だ。
元々空を飛んで海を渡ろうとしていた。
あまりにも、あまりにも、非常識。埒外の魔力を持つ人物。
それはジャンルこそ違えども、まるで己の師のように。
「くっくっ! くっくっく!」
世界はこれほどまでに広いものか。己の知らぬこと、知の及ばぬことだらけではないか。
もはや己には望むべくもないことだが、この女性を見ているに、魔法の力とやらも存外に捨てたものではなかったのかもしれない。
遙かなる水平線を見下ろしながら、漢はすべてを受け容れたような清々しき笑みで考える。
――でもやっぱ、筋肉こそが一番だなっ!
来るの? 筋肉を贈呈しても来ちゃうの?
:(´・ω・)ω・`):<か、神影化はほんの出来心だったのですぞ?
:/⌒ つ⊂⌒ヽ:
↑
討伐対象×2
最後までのお付き合い、誠にありがとうございました。
本当のあとがきは活動報告にて。
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