第67話 決着
前回までのあら筋!
やっちまったな……筋肉神……。
体熱が上がり続けている。
細胞が死んでいくのが感じ取れる。
今さら躊躇うことなどありはしないが、それでも間に合うかは賭けになる。
感覚筋を研ぎ澄ませ――もっと、もっと鋭敏に!
予兆。魔神の筋肉の形状が微かに変わる。漢の外眼筋は、それを即座に見抜く。
拳が来る。
魔神の拳を、首を倒して躱す。
視える――! 魔神の動きが――!
頬の皮膚一枚と、そして空気が焦げた臭いがした。
いや、焦げ付いているのは己の全身の方か。裡側から灼かれる気分は、存外に悪くない。発生したエネルギーはすべて筋肉に費やす。
攻撃と、防御と、見切りと。
また少し魔神の筋肉の形状が変化した。
連撃。左の死角から。
今度は微かに上体を引く。赫色の閃光が視界の中を左から右へと流れていく。遅れて暴風が走り抜ける。
それを見送ってから、がら空きの脇腹に一撃。
左の拳を掬い上げるように打ち込む。硬い甲殻をたたき割り、その裡側の肉体組織を貫いて圧し潰す。
「ぐおらあッ!」
イブルニグスの表情がこれまでになく歪んだ。
なぜ? なぜだ? この怪物エルフは今にも死にかけていたはずなのに。己はゴーレムの腕を喰らって全快したはずなのに。
なぜ避けられる? なぜこれほどまでに力が残っている?
そんな驚愕が見て取れる。
気分のいいことだ。
だが、実際のところ、この状態は保って十秒といったところ。
肉体の崩壊速度に余裕がない。それを超えれば、勝敗に関係なく敵を前に無様を晒すのは己だ。この先にはもう、道などないのだから。
たとえ行き先が崖であろうとも。進め。進め。進め。
鼻面へと突き出された赫色の拳を左手で払って流し、魔神の左胸へと拳を突き入れる。重い手応え。甲殻の欠片が飛散し、わずかに遅れて魔神の体液が飛び散る。
「カ……ッ……」
バシュっと音がして、漢の肉体から一気に白煙が立ち上った。
筋肉が、内臓が、骨が、悲鳴を上げている。
魔神がバックステップを切り、すぐさまハイキックを繰り出した。それでも漢は下がらない。師がそうして見せたように左足であえて大きく踏み込み、懐へと入り込む。
ここまで近づいてしまえば、あたるに任せても問題ない威力まで減衰できる。
肘をたたんで魔神の腹部へと、振りの小さな拳を突き上げる。
「ゲ……ァ……!?」
口から涎を流し、魔神の腹がくの字に曲がって浮いた。
吹っ飛ばしはしない。衝撃を腹部に残すように打つ方法があることも学んだ。思い出せ。これまでの旅で、これまでの時間で学んだすべてを、この数秒にぶつけるんだ。
ああ、頭では忘れてしまっていても、この肉体が、筋肉が覚えている。
漢はすべての筋肉に感謝をする。
これまでありがとう、と。
追撃の拳を握り込む。右の豪腕が白煙を上げた。
しかし魔神が一瞬先に両手を組み合わせ、漢の頭部へとハンマーのように振り下ろしていた。
頸部が砕けるような衝撃に、漢の頭が下がった。
脳が揺れた。鼻から凄まじい勢いで出血した。視界が真っ赤に染まり、明滅した。真っ赤な涙がしたたり落ちる。
頭蓋がひび割れたのだと即座に理解する。
「セイさ――!」
「ギィハァァァァ!」
魔神が歓喜の奇声を上げた。しかし赫色の追撃の拳は、右手を広げて受け止める。
肉の弾ける凄まじい音が響いた。
「それがどうした?」
「……ッ」
残り五秒。
十分だ。
燃やす。一層激しく。
己は前世から変わらず出来損ないだった。何一つ成し遂げることができなかった。少女を救うことさえだ。
必要だったものは筋肉だけではなかった。
出来損ないのどうしようもない己など、いっそ燃やしてしまうべきなのだ。愛する人々がその火で暖を取れるのだから、本望だ。
ようやっと少女は気づく。漢が何を燃やし、力を得ているのかを。
「……そ……んな……」
一層激しく立ち上った白煙が、二体の怪物を覆った。
肉体の表面が焦げて落ちた。発生した熱をエネルギーとして、未だ肉体の奥深くで生き残っている筋肉たちに与える。喰わせるのだ。魔神のように。
魔神は他者を命を喰らい、力を得る。
それに匹敵するものとは何か。
漢は己を喰らって、力を得ていたのだ。
少女は半狂乱となって叫んだ。
「だめ! 死なないで! 命をそんなふうに使わないでーーーーーーーーーっ!!」
瞬間、漢はすべてを超越する。
魔神の視線を切る速度で背後に回り、その背を打ち上げる。甲殻を破壊し、肉体組織を破壊し、骨格をも砕く。
悲鳴を上げさせる暇すら与えず、打ち上げた魔神の足を左手でつかみ取り、燃えて剥がれた上腕で、力任せに数度、大地に叩きつけた。
残り二秒。
「眠れ。魔神よ」
倒れ伏した魔神に跨がり、わずか二秒の間に拳の雨を数十発降らせる。
「ぬぉおおおおらららららああああああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーッ!!」
大地が悲鳴を上げて、神域の樹木が次々と倒れ、地形はその姿を変えて、漢を中心とするすべてのものが炎を宿す。
神域が激しく上下する。大地が爆ぜ、隻腕隻眼のゴーレムが少女を抱えて後退した。彼らすら呑み込むように、大地が波打つ。
それらに煽られて、細切れとなった魔神の肉片が空を舞った。
この瞬間、漢は確かに到達したのだ。
少なくとも出来損ないの神である魔神の域には達した。それどころか、次元を超えて鎮座する筋肉神すら垣間見た気がした。
何やら何かに怯えていたように見えたけれど。
今度は……救えたな……。
微笑み、壊れた両腕をだらりと下げる。もう、持ち上げることさえできない。
やがて――。
やがて神域は静まりかえる。チラチラと残る炎と、倒れ伏した隻腕のゴーレムと、涙を流しながら白煙の中を漢を捜して走る少女を残して。
白煙が流れたとき、そこに立っていたのは魔神でも漢でもなかった。
若木のようにひょろりと長い人影は、少女を見やってかろうじて微笑む。
「だ……れ……? あなた……誰?」
「その言い草はひどいな。メイラ」
「セイ……さん……? ……生きて……た……?」
痩せた男は、その場で静かに揺れて膝をつく。
フィリアメイラが駆け寄って、男の痩けた頬を両手で挟み込み、その瞳を覗き込んだ。
「セイさんだ……。あは……あはは……生きてた……。生きて……た……」
「……? ……ああ……勘違いをさせてしまったか……。……おれは命なんて……最初から燃やしてはいない……」
「では、一体何を?」
男が枯れ木のような両腕を広げて、少女に肉体を見せた。
肋が浮いてしまっている。
「……筋肉だ。おれに必要だったものは筋肉を得る覚悟と、そして得たものを捨てる覚悟、その両方だったのだ……」
「え……」
誠一郎が苦々しい笑みを浮かべた。
指先で頬を掻き、弱々しくつぶやく。
「考えてみれば単純なことだ。元々はキミを救うためにつけた筋肉だった。今日この瞬間に、そのときが来ただけのことに過ぎない。とはいえ――」
己の惨めな風体を見やって、男は苦笑した。
「これじゃあまるで、サラリーマン時代のおれだな。数百年分の巻き戻しだ」
「あんなにも筋肉の頂を目指していたのに……」
だが、充実感はある。
喉に刺さった小骨のように、ずっと残っていた鉄塊に砕かれる少女の最期の姿が、今、目の前で幸せそうに微笑むエルフへと上書きされていく。
払った代償は安くない。けれど、よかった。
フィリアメイラの肩を借りて、男はひょろりとした足で立ち上がる。空に手を伸ばす様は、まるで神の鎮座する頂を求めるかのように。
「なぁ~に、また歩き始めるよ。筋肉の頂へと続く長い道のりを、一歩ずつな」
鍛え続けた数千年先の筋肉を先取りした代償が、数百年の巻き戻しで済むなら御の字だ。
今度は己が皆に鍛えてもらう番だ。
そうだっ!
さらなる筋肉を与えてやれば許してもらえるかもしれんっ!
/フフ ム`ヽ
/ ノ) 彡⌒ ミ ) ヽ
゛/ | (´^ω^`)ノ⌒(ゝ._,ノ
/ ノ⌒7⌒ヽーく \ /
丶_ ノ 。 ノ、 。|/
`ヽ `ー-'_人`ーノ
丶  ̄ _人'彡ノ
*'``・* 。
| `*。
,∩ 彡⌒ ミ *
+ (´・ω・`) *。+゜ <筋肉神の頭よ、よくな~れ☆
`*。 ヽ、 つ *゜*
`・+。*・' ゜⊃ +゜
☆ ∪~ 。*゜
`・+。*・ ゜
※次回更新で最終回です。
お付き合いありがとうございます。




