第63話 神域へ
前回までのあら筋!
インターセプトからのノートラップシュートを決めろ!
左右から襲い来る神影を粗雑に掻き分け、空中から落下してくる赫色の魔神に狙いを定めて、走りながら右の豪腕を引き絞る。
上腕筋に血管が浮かぶ。二頭筋、三頭筋が音を立て、破裂せんばかりに膨張した。
息を限界まで吸って、止める。
魔神もまた、空中から高速落下しながらも走る漢へと視線を向けた。赫色の両足を強引に回して体勢を整え、拳を握りしめる。
魔神が大地に激突する寸前、漢は走る速度のままに地を蹴って、弓のように引き絞った拳骨を一気に放った。
「ぬぅおりゃああああっ!!」
同時に、魔神もまた赫色の拳を放つ。
「ガアアァーーーーッ!!」
大地を駆ける漢の拳と、空から落ちる魔神の拳がぶつかった。
まるで大質量の金属同士が激しくぶつかり合ったかのような轟音が響き、両者を中心として衝撃波が散る。
「――ッ」
「~~ッ!」
一瞬の均衡。
しかし、漢には踏ん張る大地が存在し、魔神にはそれがない。
明暗が分かれた直後、漢は大地を踵で滑って後退しつつも、魔神を凄まじい勢いで斜め上空へと叩き上げていた。
その魔神を追う形で、漢の頭上を女が跳び越える。長いスカートを閃かせ、真っ赤な鮮血の雨を降らせながら。
「師――!」
「神域まではわたしが叩き込む。後は誠一郎に任せる」
着地と同時に大地が爆ぜた。
「うおっ!?」
土煙から目を覆った直後には、もうその姿はない。なびく黒髪はおろか、すでに背中すら見えない。
ただ、彼女が走ったであろう痕跡だけは一目瞭然だ。何せ、一歩ごとに大地を爆ぜさせ、抉っているのだから。
マッスルランニングをも軽く凌駕するスピードで、女は再び空へと打ち上げられた魔神を追って消えたのだ。
取り残された漢が、神影を片手で叩き伏せながらつぶやいた。
「……後は任せる……だと?」
「セイさん!」
緑髪の少女エルフに突然腕を引かれて、誠一郎も再び走り出す。
「あの人、ほんとに何者なんです?」
「師匠か?」
「はい。理解できません。細マッチョってレベルじゃなくて、筋肉があるようには到底見えない細さなのに、あの強さ」
「魔神をも凌駕していたな。完全に。神影がいなければ、もう倒していたはずだ」
「ええ。それにあの人、全力で走るわたしを、まるで止まってるかのように抜き去っていかれましたよ」
フィリアメイラが眼前に立ちはだかった神影の頭部を蹴り抜く。
文字通り粉砕された真っ赤な欠片を突き破り、二人のエルフは爆走する。その視線の先には、当然のように女の背中はない。
「……正体はおれにもわからん。当初は自称ディアボロスと言われ信じてきたが、どうも皆が言うように違うようだ」
「ディアボロスだったらレーヴさんがもう少し情報を持っていたと思いますよ」
「うむぅ。確かに」
そういえば、北に戻っているというのにレーヴとすれ違うことがない。うまく逃げ果せていればいいのだが。
そんなことを考えて、漢は頭を振った。
今は他人の心配をしている場合ではない。
「というか、あれですよ。あれ」
「あれ?」
「なんかお顔立ちが懐かしくありません? 黒髪に黒目って、アズメリア大陸ではほとんどいないじゃないですか。平たく言えば、彼女、前世世界の人では?」
横から飛びかかってきた神影の頭部をつかみ、漢が適当に投げ返す。投げ捨てられた神影が他の個体を巻き込んで、赤い霧と欠片になって散った。
「……? あの方は二百年生きてるぞ。少なくとも人間ではないだろう。耳の長くないエルフかもしれん」
「いや、それはもはやエルフではありません」
自分たちのことを棚上げにして。
「で、お師匠様のお名前は?」
「む。そう言えば――」
誠一郎が真剣な眼差しをフィリアメイラへと向けた。
「知らん」
「知らんーっ!?」
「ああ、知らん」
フィリアメイラの眉が激しく歪んだ。
呆けたように口を開けている。
「知らん……ですか……」
「フゥーハハハハハ! 尋ねたことがなかったものでな!」
「二百年間、一度も?」
「ないな。師匠は師匠。おれを助け、おれの筋肉を鍛えてくれた恩人だ。おれにとっては筋肉神にも等しき存在だ」
フィリアメイラが額に手を当てて空を仰いだ。
しかしその直後、胸をなで下ろすような仕草をする。少しだけ安堵の表情で微笑んで。
「……なんだかお二人の関係が伺い知れた気がします」
「ふむ? フ、まあ、おれと師匠の関係は、筋繊維のようなものだな。切ってもより太くなってすぐに繋が――」
ゴンブト足のレッグラリアットで神影の頭部をもぎ取りながら、フィリアメイラが吐き捨てた。
「そのマッスルジョーク、全然うまくないです」
「そ……うか……。まあ、何にせよ本人に尋ねんことにはわからん」
「こたえてくれますかね? それとも、こたえられない理由、こたえたくない理由があるのかも? だからディアボロスを名乗ったのでは」
「ふむ」
唐突に神影の群れを抜けた。
広がる平原の遙か先、地平線には、アズメリア大陸で神域と呼ばれる最も深く、最も広域に広がる森が見えている。
「メイラ、神影を振り切るぞ」
「はいっ」
二人のエルフが速度を上げた。
神影という障害がなくなった今、彼らの加速を遮るものはない。先ほどの師のように一足ごとに大地を抉り、上体を屈めながら速度を徐々に上げていく。
まだまだ距離があるというのに、神域から音波と衝撃波が何度も散っているのが感じ取れる。空気が、空間が、秒間ごとに震えるのだ。外眼筋に力を込めれば、神域の大樹が次々と倒れ、あるいは吹っ飛んでいるのまで見える。
「メイラ」
「はい」
「おそらく師匠はイブルニグスを倒せない。出血がひどすぎる。動けているだけでもほとんど奇跡だ」
「……わたしたちの到着が遅れたせいで、数十万の神影と魔神を同時に一人で相手にしなければいけませんでしたからね」
「そうだ。だから神域に到着次第、おれたちの手でケリをつける」
正直なところ、かなり難しい。
己らは師の力を抜きにして魔神を殺さねばならないが、イブルニグスは己らを殺さずとも神域から南へと逃走すればそれで済む。
魔神に神影と合流されては、もはや勝ち目はない。
「短期決戦ですね?」
「ああ。おれたちの背後にいる数十万の神影が戦場に到達するより先に、魔神を殺さなければならない。しかも、逃がさんようにだ」
神域はもはや目と鼻の先。
二人のエルフが、剣呑な衝撃波をまき散らし続けている最も深き森へと飛び込む。森、といっても、二人の視線の先に木々はない。
すべてなぎ倒されているか、木っ端微塵に粉砕されている。
道ができているのだ。怪物の通った、道が。
だが、臆せず走り、進む。
「挟撃する。おれは常にやつの正面に立つ。キミは常にやつの背後にいてくれ。追い詰められたならば魔神は必ず逃走を図る。それを阻止して欲しい」
「わかりました!」
作戦会議を終えて、漢は唾液を飲み下す。
滲む。汗が。
何度も唾液を飲んで、何度も唇を湿らせた。
肌の粟立ちが治まらない。
こんなことは初めてだ。
恐れているのだ。己は。怯えている。態度にはかろうじて出さずとも。
魔神は確実に、今の己よりも強い。
だが、やらねばならない。でなければアズメリア大陸は滅亡する。
隣に立つ少女も、再び犠牲となってしまうだろう。
前世で巨大な鉄塊に砕かれたように。
「……させん。イブルニグスはおれが倒す……」
大丈夫。漢には絶対の信をおくものがある。
ゆえに、弱き心に言い聞かせるのだ。
――筋肉は、裏切らない。
あ、あの女……あば……あばばばば……
:(´・ω・)ω・`) <(筋肉神が怯えているですと!? ……ざまぁwww)
:/⌒ つ⊂⌒ヽ




