第62話 運搬
前回までのあら筋!
常識人だと思った?
イブルニグスが動く。
この女はそう簡単には討てないと判断したのか、今度は誠一郎へと向けて大地を蹴った。赫色の肉体が高速で迫り、漢はたたらを踏む。
「く――ッ」
反応が遅れた――!
しかし赫色の拳が漢に突き刺さる寸前、側方から滑り込んだ女の肘がイブルニグスの脇腹を掠めて、その進路をわずかに逸らしていた。
漢は狙いのずれた拳を首を傾けることでかろうじて躱し、その豪腕ですれ違いざまに魔神の喉をつかむ。
「ぬぉるああぁぁぁッ!!」
気合いの声とともに上腕筋を膨らませ、魔神を一度持ち上げてから大地へと全力で叩き伏せた。
ズン……。
重い音が響いて平原が震動し、いくつもの亀裂が走る。わずかに遅れて平原の大地が爆発し、クレーターを作り出した。
まともな生物であるならば即死。神影であっても、その身を粉砕させる他ない威力だ。
「ぬ……ッ」
しかし次の瞬間に漢は逃げるように後方へと跳躍し、距離を取る。
手応えがない。正確には、硬い。魔神の肉体が恐ろしく硬いのだ。大地に叩きつける程度では倒せない。
おそらくダメージはないだろう。それがわかっただけでも僥倖。力を測れてよかった。
もっとも、師の一瞬の横槍がなければ、今この瞬間にダメージを負っていたのはこちらだったかもしれない。
「……あぁ……腹……減った……」
砂礫を弾き上げて魔神が勢いよく起き上がる。だが、先ほどのように躊躇いなく襲いかかってくることはない。
おそらくは魔神も気づいたのだろう。漢がその美しき肉体に秘めたる筋力に。
試しだ。今の一撃で、互いを測った。
戦いとは計測の繰り返しでもある。読みを誤ったまま敵に挑めば無謀、悲劇と呼ばれる結末に集束する。
そして漢は自覚した。
今の己では勝てない、と。
「ふー……」
誠一郎が軽く構えたまま、緊張を抜くようにゆっくりと息を吐いた。魔神は舌なめずりをしながら、漢と向かい合う。
誠一郎の額から流れた汗が、頬を伝って平原へと沈む。
気が抜けない。全力でなければ、死は朝を迎えるように訪れる。
集中しろ。
隣に立って、襲い来た神影を裏拳一発で破壊した女に、誠一郎は尋ねる。
「師よ」
「何?」
「……あなたならあれに勝てるのか?」
「まあ、万全なら」
ああ、やはり。
計測することができたのは、魔神の強さだけではない。偶然ながら横槍が入ったことで、師の現状を計測することもできた。
全力の六割といったところか。
本来の師であるならば、脇腹に肘が入った時点で吹っ飛ばしているか、もしくはヘタに踏ん張ろうものなら、もう片側の脇腹を突き破って骨や臓物をぶちまけていてもおかしくはない。
だが、実際には軌道を逸らしただけ。全力が出せていないのは明らかだ。
「加えて、神影の援護を断つことができればね」
神影の援護、すなわち神影を生け贄とした魔神の再生能力だ。
己とフィリアメイラだけですべての神影を抑えるのは難しい。現実的ではない。このままではじり貧だ。
神影の顎を蹴り上げて首をもぎ取ったフィリアメイラが、鋭く叫ぶ。
「セイさん!」
イブルニグスが無数の神影に混ざって、女へと拳を繰り出していた。今度は誠一郎が魔神の拳を両手で側面から弾き、その軌道を逸らす。
「させん……ッ」
ジュっと音がして、摩擦熱で掌が焦げた。
女が肉体をねじりながら魔神側へと大きく踏み込み、勢いのまま背中でイブルニグスの全身を打って吹っ飛ばす。
「邪魔! 話してる途中よ!」
鉄山靠。
誠一郎がまだ二百年の修行に明け暮れていた頃、師がかつてこの技で、超大型の上位魔族を、死の森すらまたいで吹っ飛ばしたことを思い出した。
ふと思いつく。
「…………北だ、師匠!」
「?」
三人で背中を合わせて、神影の攻撃を受け止め、躱し、打って返す。
「おれたちは北方からやってきた! 神影の大群を破壊しながらだ! つまりこの包囲網は北面だけが薄くなっている!」
「そんなの誤差でしょう。まったく。いつまで経っても誠一郎は脳筋なんだから」
フィリアメイラが神影の頸部を足で刈り取って言った。
「あ! もしかして神域!? レーヴさんの仰っていた――!」
魔素濃度の少ない神域を、イブルニグスは避けて通った。最初はレダ砂漠のレッドドラゴンを吸収するためかと思ったが、レーヴの話ではどうやらそうではないらしい。
神域にはないのだ。大地から発生する魔素が、一切合切存在しない。
イブルニグスにとっては、少なくとも相性のよくない地であることだけは間違いない。
「そう――」
うなずきかけた漢が、あわてて叫ぶ。
「下だ、メイラ!」
「え?」
襲い来る神影の群れに深く潜り、魔神が超低空でフィリアメイラの片足を手でつかんだ。拘束されたフィリアメイラがバランスを崩す。
「あ……」
魔神が倒れ込む少女を受け止めるように、ガパリと大口を開けた。
「やだ……」
その身体が噛み砕かれる直前、低空から放たれた女の拳が魔神の喉元へと打ち上げられる。しかし魔神はその拳を空いた片手で弾いて流し、瞬時に噛みつきの狙いを女の首へと変えた。
否、最初から狙いは女――。
「小賢しいわッ!!」
虚を衝かれた女が目を見開くよりも早く、漢の拳が魔神の頬を捉える。
メキリ、と赫色の頬に亀裂が走った。
振り――抜くッ!!
凄まじい音がして、魔神の肉体が北方へと打ち上げられた。
さすがのイブルニグスも空中では為す術もない。神影の頭上を大きく飛び越えて、まるで投げ出された人形のように空を舞う。
たとえ地上に叩きつけられたとしても、魔神にダメージは見込めない。
だが、これでいい。
眉をしかめて見ていた女が、神影の腕を強引にもぎ取りながら誠一郎に問いかけた。
「よくわからないんだけど、その神域とやらまでイブルニグスを運べばいいのね?」
「ああ、そうだ。神域と呼ばれる森であれば、やつらの力を削ぐことができるかもしれん」
こくりとうなずいた女が、イブルニグスを追うように神影の頭部を蹴って高く跳躍した。
「わかった。誠一郎、あなたを信じる」
「メイラ! イブルニグスを神域まで追い込むぞ!」
「はいっ! はい? え? どうやって?」
空高く。
蠢く神影と弟子たちを遙か眼下に見て、女はイブルニグスへと空で追いついた。
「あなたに翼がなくてよかったわ。昔殺した神には、それがあったから」
「ガ……神殺し……っ」
女の顔に凄惨な笑みが浮かぶ。
「へえ? あなた、空腹以外にもしゃべれたんだ?」
両膝が薄い胸に当たるまで折り曲げて引き、ガードを固めるべく両腕をクロスした魔神へと向けて、一気に蹴りを放つ。
「はあっ!!」
「……ギ……ッ」
超々高度で放たれたドロップキックを受け止めて、魔神は凄まじい勢いでさらに北方へと吹っ飛んでいく。
ちょうど弟子と、その連れ合いが、無数に蠢く神影の群れを掻き分けて走り込む位置に落下するように。
脳筋ゆえ、多分に希望的観測の入った目算ではあるけれど。
漢は走る。必死の形相で走る。
屈強なる神影を、まるで空気であるかのように次々と張り倒しながら、上空高くから凄まじい速度で北方へと流星のごとく落下し始めた魔神を追って。
目を剥いて、歯を食いしばって。
「ぬおおおおおおおっ!! 師ィィィ匠ォォォォ!? それはちょっとトバしすぎぃぃぃぃぃぃ!!」
お、追いつけん……! マッスルランニングでもまるっきり追いつけん……っ!!
修行時代からそうだった。
あの師匠は、怪力と呼ばれる種族集団人物等の中にあってさえ、自分が並々外れた超バカ力の怪力女であるという自覚がまるでないのだ。
一般に怪力と呼ばれる人物であるならば、大体は自分とほぼ同等のことができるものであると、思い込んでしまっている節がある。
女が空で叫んだ。
「落としちゃだめよ、誠一郎! しっかり走って!」
「ぐぬぬぬぬぬぅぅぅ!」
無自覚脳筋なのだ。ゆえに、要求されることは常にレベルが高い。
魔神を一度でも大地に落としてしまえば、自由を与えてしまう。そうなれば直接神域に叩き込むことなど到底不可能だ。
走る、走る、走る。下唇を向いて、涙目で。
「ぬっはあぁぁぁぁぁ!」
だめだ。追いつけん。
そう思った瞬間には、緑髪の少女が漢の肩へと跳び乗って、漢が走る勢いを利用して蹴り、凄まじい勢いで中空へと跳躍していた。
「わたしがやります!」
そう。漢の走る速度プラス、少女の脚力であるならば。
錐揉み状態で落下する魔神の背中を、少女がゴンブトの足で掬い上げるように再び蹴り上げる。
「たあっ!」
気の抜けるようなか細い掛け声とは裏腹に、重く鈍い音が響き渡った瞬間には、イブルニグスは再び錐揉み状態となって北方へと上昇していた。
「セイさぁ~ん! 角度調整しときました!」
「ぬおおおおおおおっ!! すまん助かるぅぅ!」
魔神を蹴り上げながらフィリアメイラは思った。
サッカーかな?
…………。
:(´・ω・)ω・`) <おや? どうしました、筋肉神?
:/⌒ つ⊂⌒ヽ




