第58話 無敵
前回までのあら筋!
ババア、敗北を知る!
女は周囲に視線を巡らせる。
立っている亜人はもういない。筋肉だるまと魔神の戦いの横槍を阻止すべく、囲み立っていた亜人たちは、すでに全員が息絶えている。
「……」
そこに群がる神影は、口角を耳まで裂いた大口を開けて四つん這いとなり、亜人らの骸をむさぼり喰っていた。
頑丈なる獣の革も、優れた筋肉も、鋭い牙や骨も、内包する魔素すら噛み砕いて。
この吐き気を催すような光景も、やや見慣れた。
落ち着いている。そんな自分が嫌になる。それだけ多くの生命を、目の前で失ってきたということなのだから。
ふぅ、と息を吐く。
亜人軍はすべて擦り切れた。
生き残っているのは足下に転がる亜人王ジルフレアと、自らの片腕で支えている、この性別すらもうよくわからない筋肉だるま一体のみ。
「少し、寝ていて」
声、やや幼く。
細身にすら見えるその女は足下にリガルティアを寝かせると、数歩、前へと歩み出た。
右腕を左肩の上空へと持ち上げて、手刀を袈裟懸けに振り下ろす。ただ、それだけ。
しかし。
直後、暴風が巻き起こって大地が裂けた。轟音が遅れて鳴り響き、抉れ砕かれた大地が礫となって魔神と神影の軍団を襲う。
一瞬の後、女の目の前には深く巨大なクレバスが出現していた。
その向こう側。礫を受けた魔神も神影も、微動だにせず。
当然である。女にとってのこれは、攻撃などではないのだから。
ただ、それでも魔神は警戒する。女を。
亜人軍三〇〇〇にも、亜人王の突撃にも、覇者を名乗った女エルフの怪力にも反応を示さなかった神影も、この女にだけはすぐに襲いかかろうとはしない。
小さなうなり声を上げ、身を低くし、睨むだけで。それはさながら、強き者に怯える尻尾を巻いた犬のごとく。
知っているからだ。身を以て知ったからだ。
魔神と互角に打ち合い、数十万もの神影を叩き潰しながら、ここまで追ってきた女のことを学習したからだ。それは恐怖だった。
だから女は悠々と、眼前のクレバスに、亜人王ジルフレアと覇者リガルティアを落とせる。そう、腕をつかんで投げたのだ。
一人と一体の肉体が、暗黒色の空間へと吸い込まれて消えていく。
「ごめんね」
深さは不明。だが、女には脳筋なりの計算があった。
ジルフレアにせよ、リガルティアにせよ、あの筋肉ならば多少の落下ダメージごときで死にはすまい、という、常識ではちょっと考えられないアレな感じの極めて雑な計算が。
神影に喰われるよりはマシ。
限界まで魔素を喰らった神影は、その身を魔神の御供とするため、自らイブルニグスに喰われにいく。物理的に。
そんな光景を何度も見てきた。
実のところ、遭遇当初から女の肉体はすでに、魔神イブルニグスを凌駕していた。
それでも神殺しを為し得なかったのは、魔神を叩きのめし、追い詰めるたび、魔神が神影を喰らって肉体を復活させてきたからに他ならない。そうして体力切れを起こした女は遁走するしかなくなる。
魔神は体内のみならず、体外においても生命を補完しているのだ。
つまり、魔神と神影は一体の生命体であると言える。
そのすべてを駆逐せねば、イブルニグスという魔神はいずれ生者から魔素を奪い、復活してしまう。
ガラフィリア平原に生臭い風が吹く。
足首まで覆うような長いスカートを揺らして、女は腰だめに構えた。
スカートの中のふくらはぎが、ビキビキと音を立てて硬化する。
瞬間、女はすでに魔神の眼前でスカートを翻し、背中を向けて宙を舞っていた。どす黒く見えるほどの赫い鼻面に照準を合わせ、目にも止まらぬ速さで後ろ回し蹴りを放つ。
「ハッ!」
「――ッ」
魔神は腕を交叉して、女の蹴りを受け止める。だが女は構わず振り切る。
イブルニグスの目が剥かれて交叉した腕が解け、魔神が数十体もの神影を巻き込んで背後へと吹っ飛んでいく。
女の蹴りによる音と衝撃波が散ったのは、その後だった。
周囲の神影が暴風に巻かれて吹っ飛ばされ、背中から転がる。
女は右足を蛇首のように持ち上げたまま左足一本で着地して、背後から追いすがるように迫っていた神影の手首を蹴り上げ、そのまま踵を落として頭部を踏み砕いた。
女が落とした足の下。粉砕された神影の頭部はすでになく、大地が四方八方にひび割れて爆発する。
「何度目だったかしら。あなたと戦うのは。そろそろ見飽きたわ、その顔」
狡猾なる魔神は吹っ飛ばされた先で神影の群れの中へと姿を眩ませ、次の瞬間には女の側面へと飛びかかっていた。
握り混んだ赫色の拳を、女に頸部へと向けて放つ。
「……喰わ……せろ……」
「~~ッ!!」
女は右肘でそれを受け止めて、逆に左手で魔神の頸部をつかまんとして振り下ろすも、一瞬早くイブルニグスは後退し、またもや神影の群れの中へと姿を眩ませた。
間髪容れずに女は魔神を追って神影の群れへと飛び込み、数体の神影を細腕の一振りで一息に吹っ飛ばす。
「――っ」
いない。
そう思ったときにはすでに、女の頬にイブルニグスの蹴りが突き刺さっていた。
「痛――ンの!」
しかし吹っ飛ばされぬように両足で大地をつかんで顔面で強引に受け止め、イブルニグスの蹴り足をつかんで手刀を付け根へと叩きつける。
「ハァ!」
凄まじい音が鳴り響き、手刀は頑丈な魔神の皮膚を砕いて地面近くにまで振り下ろされた。
切断されたイブルニグスの右足が宙を舞う。
「ガァ……ッ」
魔神に苦悶の表情が浮かんだ。
付け根から体色と同じ赫色の液体をまき散らしながら、魔神の足が大地に落ちる。だが同時にイブルニグスの拳が女の頭部へと打ち下ろされ、女もまたよろけながら後退した。
「く――!」
ぐわん、ぐわん、と頭蓋の中で大きな音が鳴り響く。
脳震盪からの復帰は一瞬。
しかし追撃に出ようとした瞬間、イブルニグスは近くにいた神影の首根っこをつかんで自らの口へと放り込み、一瞬にして失った脚部を再生していた。
その後も数体の神影をつかんで喰らい、ボリボリと骨や硬質の皮膚を噛み砕く音を響かせる。
「……あぁ……腹……減った……」
「仕切り直しね。まあ、まだ始まったばかり。今日はゆっくりと殺し合いましょう」
現状、稼働している神影の数はおよそ三十万体。
亜人軍を従えた亜人王と覇者の突撃で減った数は、およそ一万五千体といったところ。残りはざっと二十八万体。
自身が一度の襲撃で減らせる数は、経験上では三万体が限度だった。
厄介なのは、刻が経つほどに、神影はアズメリア大陸の生命を喰らって増殖すること。
少なくとも、これまでは。
けれど、ライゲンディール地方に住まうキュバスからの情報によれば、人間領域であるエルザラーム地方では、フェンバートとルフィナという二体のハイエルフが首都ストラシオンを急襲し、王を引きずり下ろしてストラシオンを乗っとったのだとか。
当初こそ大陸の危機に面倒なことを、とは思ったものの、しかしより強き者の支配であるならば、神影の侵攻も防ぎやすい。
浮世の政権交代になど関わる気はないのだから、魔神を殺すにはかえって都合がいい。
ディアボロス一体と謎エルフ二体が最も大きな都市に常駐することになったエルザラーム地方は、今やある意味でこの大陸において最も安全な地と言えなくもない。
少なくとも、魔神本体ならばともかくとして、神影数十体程度に陥落させられる都市ではなくなっているはずだ。
あとは亜人領域ガラフィリア地方を自身と、自称弟子の誠一郎で守り抜くことができたなら、少なくとも魔神イブルニグスがこれ以上力をつけることはないはずだ。
そうなれば、神影を削って削って削り殺し、いつかは最後に残った魔神を討つことができる。
とはいえ……。
「……それにしても遅い。何やってんのかしら……」
あの筋肉狂信者のバカ弟子は。
殴り疲れたからそろそろ帰って?
彡 ⌒ ミ
(´・ω・) ∩ パーン☆ 彡⌒ ミ
/ // (´;ω;) <寂しいのでヤですぞ
⊂/ ) ..//つ \从 ./ 、 つ
(_/ ・、 '(_(__ ⌒)ノ
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