第5話 魔法時代の終焉
前回までのあら筋!
おまえ誰やねん……。
フィリアメイラが慌てて首を振った。
「いえ、わかってます。ごめんなさい。わかってはいるんです。ただ、ただですね。あまりにもわたしの記憶とは変わり果て――あ、いえ、ご立派に成長されすぎていまして、ちょっと驚いてしまっただけなんです」
「筋肉がか?」
「え、ええ、まあ……」
頭の中身もだけれど、この勢いではまだ言えそうにない。
怪物エルフにはたしかに、天才魔法少年エルフ、すなわちセイリーンの面影があった。
でも違う。違うの。セイリーン様はこんなキレッキレの肉体をした男性ホルモン垂れ流し生物なんかじゃなかった。
どちらかといえば美少女と見紛うくらいの可愛らしさをお持ちの美少年で、それでいて小動物と楽しそうに会話なさるくらいの若干の痛々しさまで兼ね備えていた。
なのにどうだ、これ?
チラ。
「……? フン! フハハハハ!」
「はぁ~……泣ける……」
違うわ~。やっぱり違う。
これじゃ小動物どころか森の大型動物まで逃げちゃう。すごい威圧だもん。近くにいるだけで体熱を感じちゃうもん。
と思った矢先、レインフォレストの小鳥たちがどこからともなくやってきて、彼の肩で翼を休めた。
「……」
「ほう、貴様は新顔だな。鳥ィ。いっぱい食べて、筋肉をつけるのだぞ。トレーニングは怠るな」
――ぴぃ!
挨拶するように翼を広げて、小鳥が空へと戻っていった。
フィリアメイラが白目を剥く。
で、でもでも、スカーフェイスに散々お腹を蹴られて気絶しかけていた長老様でさえ、今はすんごい目をかっ開いて彼を凝視してるもん。
落ち着こう。うん。一旦落ち着こう。
すーはー、すーはー、よし、大丈夫。わたしはまだ大丈夫。うん、正気は保てる。
「お、お久しぶりです、セイリーン様」
「覚えていてくれたのだな」
ミッチミチだわ。全体的には細く見えるけれど、よくよく目を凝らせば筋肉が完全にブロックごとに分かれちゃってるわ。
ハイエルフにしては肌が焼けていて黒っぽいし、若干邪悪な感じもするし、母方の祖父がダークエルフなのオホホホホって言われたら信じちゃうわ。
あんなにも可愛らしい男の子だったのに。
「……………………覚えていたせいで混乱したんですけどね…………」
「ん?」
「なんでもありません」
いっそレインフォレストに今日引っ越してきた新しい住人だと紹介された方が受け容れやすかった。助けてもらっておいて何だけれど。
でも、でも。
あの頃の可愛い美少年よ、カムバ~~~~~~~~~~~ック!
「ふぅ~……」
よし、あきらめた。生物はいずれ成長するものだ。
大人の男性として、これはこれで格好いい。例えるならば、古代の英雄を模した彫刻像のようだもの。こういう男性が好きな女子は結構いる。
ただ、ただよ?
ここより先に進んだらもう、ゴリラ化は避けられないわ。でもまだセーフだわ。今ちょうどボーダーライン上にいるわ。
若干、自分に言い聞かせながら、フィリアメイラが再び口を開けた。
「おかえりなさい。きっとご無事だと信じておりました。セイリーン様」
「ああ、ただいま」
けれど彼は、わたしの心情なんてお構いなしに、あの頃と同じ優しい瞳で言うの。
「だが、フィリアメイラよ。セイリーンという名の少年はもういないのだ。おれの名は誠一郎。あの日、レインフォレストを去った日。おれは大樹の枝より落下し、頭部を強打して思い出したのだ。おれの真の名は、益荒男誠一郎だと」
「――っ!?」
少し溜め、セイリーンがニッカリと白い歯をむき出しにして笑った。
「永遠の筋肉信奉者、マッスルのマッサンと呼んでくれ」
あら~、頭を打った後遺症が残ってるのかしら。変なこと言い出したわ。
「お断りします」
「そ……うか……。そう……だよな……。……この程度の筋肉では……まだだめか……」
まだ筋肉をつけるつもりなの!? やめてよね!
「あ、あのあの! 筋肉は量じゃないと思いますっ」
「そ、そうだよな!? うむ、やはり可能な限り今の体型を維持しながら質の向上を目指すべきか。あまり膨らませて動きが鈍るのも本末転倒だしな」
危ないところだったわ。迂闊なことは言えないわね。
それはさておき。
この人、やっと前世の記憶を思い出したんだ。実のところ、わたしには産まれたときからずっとあった。前世の記憶というものが。
益荒男誠一郎様。
わたしを最期の瞬間まで見捨てずにいてくれた人の名前が、今ようやくわかった。
……あの瞬間、わたしは恋に落ちていた。
だから神様に願ったの。どうか来世では、あの方の側で生きられますように、と。
そしてわたしは十年遅れで、彼と同じ地に生を受けた。同じエルフとして。
わたしは幸せだった。たとえそれが身分違いの恋なのだとしても。幸せだった。
「……あの、セイリーン様、自己紹介がまだでしたね」
「何を言っている。おまえはフィリアメイラだろう。おれは忘れたりしないぞ」
「いいえ。そうなのですが、それだけではありません。あなたと同じなの」
「む?」
「わたしは手弱女芽依良。あなたが前世で最期に救えなかった女子高生です」
あからさまに混乱されている顔だ。
たぶん、さっきはわたしがこんな顔をしてたんだろうな。
「え、え……?」
「本人です。記憶があるの。ずっと。わたしを助けようとして、一緒に轢かれたじゃないですか。ほら、目覚めろおれの筋肉ぅぅぅって、変な世迷い言を遺して」
かぁ~~~~っと、彼の顔が赤く染まった。
だから、確信できた。ああ、本当にこの人だったんだなって。
セイリーン様がまだ可愛らしかった頃は半信半疑だった。ほんの少し面影が残っていたけれど、本当にご本人かどうかを確かめる術なんてなかったのだから。
でも、でも。
神様は叶えてくれた。
来世は彼の側で生きたい、というわたしの願いを。
……あと、目覚めろおれの筋肉ぅぅぅ、という彼の世迷い言まで。
やってくれたわね、神様。完全に±ゼロだわ。
「ところでフィリアメイラ――いや、タオヤメか……タオやん。タオやんよ」
「メイラかフィリアメイラで。次にタオやんって呼んだら眼球に魔法を撃ち込みます」
「ではおれも好きに呼んでくれ」
ミニゴリラ。喉元まで出かけた言葉をわたしはかろうじて呑み込む。
「メイラ、この有様は何だ? レインフォレストに何が起こった? 先ほどの人間たちは何者なのだ? なぜエルフ族を襲っていた?」
彼は知らないのかしら。この数年で魔法の時代が終焉を告げたことを。
「あの、その前になのですが、セイリ――いえ、誠一郎様は二百年間もどこにいらしたのですか?」
「おれか? おれはライゲンディール地方で筋トレをしていた。フハハハハ!」
………………なんて?
フィリアメイラは我が耳を疑った。
ライゲンディール地方といえば、亜人を含めた人類の手の届かない魔族領域だ。
人買いどころの危険じゃない。当然のように敵性国家だ。発見即抹殺。ハイエルフが単身で踏み込むなど、とんでもない。
ちなみに、ライゲンディールの全魔族を殲滅するには、仲の悪いエルフ族とドワーフ族と人間族と獣人族が、仮に同盟を締結できたとしても難しいと言われている。
それほどの危険性を秘めているのだ。魔族の棲む魔族領域、ライゲンディール地方は。
そこで、何?
筋トレしてた?
二百年も?
ハイエルフが?
一人で?
「フゥーハハハハハ!」
狂気の沙汰だわ……。
前世風に言えば、紛争地域で二百年間ずっと盆踊りし続けていたみたいな……。
「……ちょっと言っていることの意味がわかんないですね……」
「二百年筋トレをしていたのだ。いいぞ~、ライゲンディールは。トレーナーを雇わずとも魔物がわんさか襲ってきてくれる。生きてさえいれば、否が応でも筋肉が鍛えられるのだ。ほれ、この通りだ。――フン!」
彼が右腕を曲げた瞬間、メリっと音がして上腕筋が倍近くまで膨れ上がる。
むわっ、と熱量が上がった気がした。
「すご……っ」
「そうだろう? もっと近くで見てかまわんぞ。なんならぶら下がってみるか? キミを右腕に、長老を左腕にぶら下げても揺らがんぞぉ! んん? んんん?」
しまった。調子に乗らせちゃった。ドヤ顔が腹立つ。
「なるほど、そんなバカげたことをしていたから、魔法時代の終焉を知らなかったのですね」
「バカげたて……おれの二百年……」
フィリアメイラはため息を一つついて、説明を始めた。
ここ何年かで世界は大きく変革した。
かつて魔法が剣や鎧の時代を終わらせたように、今度は剣と鎧が魔法の時代を終わらせたのだから。
その中核となったものが、対魔法金属と呼ばれる鉱石だ。
これを発見した人間の大賢者スカーレイによると、それは鉱物ではなく生物らしい。
特筆すべきはその生物に魔法をぶつけると、鏡に映る景色のように、まるっきり同じ魔法を術者に跳ね返す性質があるのだとか。これは自己保全機能の現れだと推測されている。その上で、熱の上下はおろか雷電を受けてなお、彼らは死に至らない。
そして極めつけは金属同様に、魔法以外であれば高熱による形状変化が可能なのだとか。つまりは従来の鍛冶技能で武器防具へと加工できるということだ。
「なるほど。自己防衛のため、魔法のみを跳ね返す金属生命体か」
「はい」
対魔法金属の普及によって割を食ったのは、魔力に秀でて体力の低いエルフや妖精のような種族だ。
剣を握れない非力な種族は、最大個体数を誇る人間族によって狩られ始め、欲望のままに隷属を強いられるようになってしまった。
「それが先ほどのような無法者の襲撃を招いた原因か」
「はい。……ですが、よかった。誠一郎様くらい突き抜けた魔力をお持ちの方であれば、対魔法金属装備をも貫けるんですね」
怪物エルフがニッカリ微笑み、親指を立てる。
「何を言っているんだ。おれは魔法など使えんぞ。ただの一つもな」
「え? え? だ、だって、二百年前はずいぶんと……そ、それにさっきも」
「言っただろう。先ほどのはただの筋力だ。魔法の介在する余地などない」
うすうすは勘づいていた。ただの力業であると。ただ認めたくなかった。
でも、でも、いざ本人の口から聞かされると。
「なんか、引く……」
「引くて……。魔法はな、ひたすら筋肉のみを鍛え続けるうち、ある日突然、発動しなくなっていることに気がついたのだ」
怪物エルフが遠い視線で斜め上方を見上げ、顎に手を当てた。
「あれは~……いつからだったか……。ああ、たしか百五十……? ううむ、百七十年ほど前のことか。魔物の生肉に飽きてな。ちょっと焼いてから喰うかと思って炎を出そうとしたのだが、火花も出ん」
「……」
フィリアメイラがぽかんと口を開けて呆けた。
この人、命の危機に何十年間も魔法を使わなかったということかしら。あれだけ生活のすべてにおいて魔法を使っていた美少年が、原始人に退化しちゃっただなんて。
「筋肉というものはな、フィリアメイラ。毎日地道に鍛え続けなければ、いずれは小さくしぼんで衰えていく。おそらくは魔法も同じであったのだろう。おれがしばらくの間、一度も魔法を使わなかったことで、魔法筋が消えてしまったのだ」
魔法筋とか言い出したわ。魔法は筋肉から出てるわけじゃないのに。
やっぱり脳みそまで回っちゃったのかしら、筋肉が。
嗚呼、おいたわしや!
「ふぐぅ……!」
「何を泣いている。久しぶりに逢えたことで感動したのか? だがまあ、これからは安心していいぞ。魔法などなくとも、おれには筋肉がある」
怪物エルフがおもむろに横を向き、左手首を右手でつかんで上半身をねじりながら、いい笑顔をこちらに向けた。
「ふぅ~……ぉぉぉおおおっ、サイド・チェスト!」
誰も、もう何も。
這いつくばった長老も、網の下から仲間を引き出して助けるエルフたちも、助けられているエルフらも、言葉を失っていた。
何ッ、魔法神が息してないだとッ!?
ふーん、そーなんだ~www
(´^ω^`) n
⌒`γ´⌒`ヽ( E)
( .人 .人 γ /
=(こ/こ/ `^´
)に/こ(