第44話 大賢者と元大魔法使い
前回までのあら筋!
傲慢な爺さんに筋肉の輝きを魅せつけろ!
その戦いはすでに、見守る騎士らの人智を超越していた。誰もが阿呆のように口を開け、ただ見つめることしかできなかった。
老いた賢者がねじれた杖を振るう。
「ふん!」
迸る炎に、その炎までをも凍てつかせる暴風。風は刃となって飛来し、水面は竜と化してうねり呑み込む。
すべてが複合魔法だ。難解な属性と属性を掛け合わせ、埒外の威力を絞り出している。
「ぬはははは! どうしたどうした、エルフよ!」
だが、そう。
だが、その悉くを己が肉体で受け止めて――。
エルフの女は――否、かつては女だった何かは、ため息をついた。
「大賢者スカーレイよ。それが貴様の全力か。つまらぬ探りはよせ」
水竜に呑まれながら怪物エルフは、右の豪腕を一振りする。それだけで水竜は形状を保つことままならず、豪快に飛沫と化して消滅した。
「それとも、そのまま括られたいか」
「ぬはっ! 言われるまでもないわ! エルフの進化の度合いを見ていただけのことよ!」
「――っ」
エルフの足下から暴風が炎を伴って天へと駆け上がり、空からは風雪の刃が降り注ぐ。
「そうりゃそりゃ、徐々にきつくなっていくぞい」
「……」
その狭間でエルフは身を灼かれ、刃に裂かれながらも、大胸筋の前でクロスしていた両腕を強引に振った。
「小賢しいと言っているッ!!」
血と、汗と、そして炎は火花となって刃は水滴になり、すべてが霧散した。
スカーレイが困惑に眉をひそめる。
「む……」
「もったいつけるな、小僧。地殻のごとく分厚き我が大胸筋に、本気でぶつかって来いと言っている」
言った側から、エルフは少し考えるそぶりを見せ、左手で口元を覆った。
「いや、我は未だ乙女。さすがにそれは困るな……」
この世の終わりのごとき光景に、騎士らはただ唖然と口を開き、後ずさるのみ。
バケモノのごときあのエルフは、確かに大賢者の大魔法で傷を負った。にもかかわらずその猛き生命力は、熱と力と、そして勢いを増すばかりなのだ。
徐々に、尻上がりに。
「ぬはははっ! 怪物のごとき自身を乙女といい、大賢者たる儂を小僧呼ばわりかい。おもしろいのぅ。これだから生物の強制進化はおもしろい」
「強制進化? 貴様は神にでもなったつもりか? 呆れるな」
「いやあ、まさかまさか。儂が真に万能足りえる神であるならば、あの高貴で美しかったハイエルフ族にそのような無様で醜い進化などはさせんよ」
ぴくり、リガルティアの眉が動いた。
「ほう?」
「儂に言わせればおぬしらは間違うた進化をしたのだ。対魔法金属が魔法で破れんならば、破れる魔法を編み出せばよかっただけのこと。考えることを怠った上に、美しさを放棄してまで肉体のみを鍛え上げるとは、ぬはは、まるでお笑い種よ」
「……」
スカーレイが自らの白髪を、指先でトントンとつついた。
「脳にまで筋肉が回ってしまったのではないか?」
「……」
「ま、それも種族のあり方の一つよの。生存戦略としては正しかったが、なんとも知恵ある種族の選ぶ途ではなかったというだけのことよ。だが、だからこそおもしろい」
ふぅ、とリガルティアがため息をつく。
「その言い分では、人間の進化は魔法を克服したことか」
「そうだ。えらそうに語ったところで、儂もまだ対魔法金属を貫く魔法は編み出せておらん。もっとも、おぬしらのような蛮族衣装であるならば、儂の魔法はもはや無敵だがの」
「…………貴様の言うことは今一つわからん。我に貴様の魔法は効かぬ」
「ぬはは。そう焦るな。もう少し楽しませろ、エルフよぅ」
リガルティアが一歩踏み出す。
ほとんど同時に、スカーレイがねじれた杖を持ち上げた。すぐさま杖が輝き出す。
それでも、リガルティアの二歩目に迷いはなかった。その口元に笑みさえ浮かべて。
「小難しい高説に興味は無いが、ならばここで互いの進化に決着を付けようぞ。我らエルフの進化を、貴様が得たすべての進化で打ち破ってみせろ。貴様が我に膝をつかせることができたならば、我が覇道が過ちであると認めよう」
「……結局暴力かい。脳筋だのう」
「クック、知っておるか? それは最高の褒め言葉よ! 我は貴様らの進化すべてをこの身で受け、そして打ち砕いてやろうぞ」
「ほざきよったな。大口を叩いたことを後悔させてやるぞい」
スカーレイの持つねじれた杖の輝きが、橙へと変色した。同時に、ネックレスにしていたエルフ族の耳が徐々に渇き、萎びれていく。
周囲一帯の気温がぐんと上昇した。
スカーレイが口角を上げ、不気味な笑みを浮かべる。
「精霊王召喚は、もはやおぬしらエルフの専売特許ではないぞ」
「ほう……? 精霊王が人間風情に膝をついたか」
「おぬしもすぐにそうなる」
スカーレイが歪んだ笑みでつぶやいた。
「五十年前にぬしらが手放した力は、儂がきっちりと回収させてもろうたわ! 対魔法金属は貫けずとも、絶大なる魔法を手に入れた儂もまた、確実に進化しておるのだ! すなわち、対魔法金属の糸で編まれしこのローブを着込んだ儂こそが、人類の頂点!」
スカーレイの眼前に、とてつもなく大きな橙色の魔法陣が浮かび上がった。
「これこそが正統進化というものよ! おののくがよいわ!」
やって来る。暴虐の炎が。
ピシリ、空間に亀裂を走らせ、炎色の豪腕を巨大な魔法陣から伸ばして。
周囲一帯、橋の上のあらゆる箇所を発火させ、騎士らの立っている足場さえも炎を宿しながら、精霊王イフリートが魔法陣から凄まじき形相を覗かせた。
――ガアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
咆哮。その瞬間、地域一帯が陽炎に歪む。
騎士たちが腰を抜かして悲鳴を上げ、さらに後退した。
だが、女は立つ。ただ威風堂々と。両腕を、大胸筋の前で組みながら。威風堂々と。熱風にモヒカンを揺らしながら。
「……何かと思えば、イフリートの召喚か」
這い出てくる……! 炎の王が……! 巨大な魔法陣より……!
炎色の豪腕で魔法陣の縁をつかみ。
大賢者によって開かれた精霊界との扉たる魔法陣を、それでも狭苦しそうに引き裂きながら、頭部と肩を現界させて。
怪物エルフは口元を緩め、高慢に顎先を持ち上げてつぶやいた。
「くだらぬ。旧き力の残り滓ではないか。――のう、精霊王イフリートよ」
ギンと、魔法陣から這い出ようとしている炎色の精霊王を睨みつけて。
その視線を受けた瞬間、イフリートの動きが静止した。
精霊王が何度か瞬きを繰り返す。
その異様な有様に、焦れたようにスカーレイが叫んだ。
「ぬ? どうした、イフリートよ! さっさとあのこまっしゃくれたバケモノエルフを灼き尽くせぃ!」
大賢者スカーレイは知らない。
五十年前、精霊王イフリートが筋肉エルフに顔面を叩きつけられて鼻骨を粉砕骨折させられ、溶岩の鼻血を噴出させながら精霊界へと逃げ帰ったという彼のトラウマを。
イフリートの表情が変化した。
凄みを帯びていた猛々しさはすっかりなりを潜め、感情のすべてを失ってしまったかのような真顔となったのだ。
精霊王は思っていた。
明らかにあかんやつやん、あれ……。もっそい筋肉しとるやん……。
こきり、こきり。
常軌を逸した筋肉を持っていそうな怪物エルフが、首を左右に倒しながら、逃げるどころかむしろ近づいてくる。
平気で近づいてきとるやん……。この精霊王に平気で近づいてくるやん……。あんなん怖いやん……。
「こりゃ! どうした、精霊王! さっさと行かんか!」
召喚主である大賢者スカーレイが叫んでいる。
イフリートは、何の迷いも容赦もなく近づいてくるあの怪物エルフが、かつての己の美しき主だと気づいたわけではない。
だが、どうだ、あの筋肉。思い出されるは、五十年前に自身が味わった惨劇。
精霊王は思った。
帰ろ……。
魔法陣の縁をつかみ、腹部まで這い出していた肉体を精霊界へと沈めていく。
「ちょ、ちょい、待たんかぃ!」
スカーレイがねじれた杖を大きく振った。
魔法陣が現界に精霊王を排出しようと動き出す。胸部まで沈んでいたイフリートだったが、腹部まで再びはみ出てしまった。
だが、イフリートは頑として魔法陣の縁をつかんだ手を放さない。魔法陣の作用に抗って、再び身を沈めようと必死の形相で全身をくねらせる。
「おい、何をしておるんじゃ! イフリート!」
いや、いや、無理やて……。見てみ、あの筋肉……。前に鼻を折られたときのエルフよりえっぐい切れ方やん……。
スカーレイは何度も杖を振る。
イフリートは全身をくねらせて魔法陣の中に戻ろうとする。
両者の力は拮抗していた――!
だがそこに、たどり着く。
ついに、エルフはたどり着いた。
どうにか魔法陣の中へと戻ろうとしているイフリートの、あまりに巨大な顔面に、自身の顔をゆっくりと近づけて。
「ンなぁ~にをしている、精霊王よ。――貴様も一匹の雄であるならば、出て来るのか出て来んのか、はっきりせんかぁぁぁーーーーーッ!!」
怒号一発、五十年前に砕けたイフリートの鼻の縁を凄まじき握力でつかみ、全身を傾けながら全筋肉で強引に引っ張った。
「ずぉぉりやああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
魔法陣の縁をつかんでいた炎色の手が力尽くで解かれて、抵抗虚しくイフリートの巨体が魔法陣からドゥルルルルと引きずり出された。
勢いよくぶっこ抜かれたイフリートは、空に足を向けながら思った。
あか~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~んっ!!
しかし、精霊王を強引に引きずり出したババアもまた、予想外のことに悲鳴を上げていた。当然だが、イフリートの鼻をつかんでいた豪腕が燃えたのだ。
「あっつぅぅぅぅ! 熱いわァァァ!」
怪物エルフは自身の体躯の十倍近くはあろうという精霊王を頭上で振り回すと、迷うことなくそれを眼下を流れる川へと放り投げる。
「貴様はそこで燃えていろッ!!」
直後、凄まじい音がして水蒸気爆発が起こった。
ストラシオン騎士団から悲鳴が上がり、騎兵の馬がいななきながら主人を落馬させ、逃げていく。
今やストラシオン騎士団は大パニックだ。
「……」
辺り一帯が高熱の水蒸気に包まれる中、スカーレイは足下にねじれた杖を置いて、いそいそと膝をたたむ。
やがて自然の風が水蒸気を押し流した後、橋の上では三人のエルフがポージングを取っており、その前でスカーレイは額を地にこすりつけていた。
「儂が間違っておりました。傲慢でした」
「顔をあげよ、大賢者スカーレイよ」
リガルティアは堂々と歩み寄り、老いた大賢者のローブをつかんで顔を上げさせた。
そして慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、穏やかにうなずく。
「ゆるさん」
「……!?」
次の瞬間にはもう、スカーレイはあらぬ体勢で高く高く空を舞っていた。
そうだ、おまえは覇道を行け! ババア!
(´^ω^`) n
⌒`γ´⌒`ヽ( E)
( .人 .人 γ /
=(こ/こ/ `^´
)に/こ(
※更新速度低下中です。




