第40話 追う者
前回までのあら筋!
ヤバい雰囲気……。
ぼんやりと、濁っていた思考が徐々に晴れていく。
「……ッ!」
意識を完全に取り戻すと同時、少女は両足を振り上げた反動で跳ね起きた。深緑色の髪が大きく踊って、背中に落ちた。
大丈夫、動ける。状況確認。
「すみません! 気を失っていました!」
「はー……はー……」
全身血まみれで、荒い息を繰り返している漢エルフの周囲には、力任せに叩き潰されたと思しき赤の残骸、死骸が散らばっているのだ。
「え……」
信じられない。
赤い人影は、たった一体でもディアボロス級の脅威だというのに。
まだ立ったまま遠巻きに構えている人影の数を、初期のおよそ五十体から差し引けば、残骸と化した数はおそらく四十体近くにのぼるはずだ。
たった一人で……? どうやって……?
自身の背後で未だ立つこの漢エルフは、たった一人で四十体ものバケモノを殺した。武器も魔法も使わず、鍛え上げた己の筋肉のみでだ。
それは、ああ。
それは、筋肉というものに抵抗を覚えていた自身ですら魅入られてしまうような強さ、圧倒的なまでの強さ、そして美しさだった。
もっとも、その美しさは自分にはいらないと思っているけれど。
だが、それでも限界だ。
一目でわかるほどの限界。このままこの瞬間に戦いを終えたとしても、命の灯火は小さなそよ風で消されてしまいそうなほどに、弱い。
「セイさ……ん」
「……」
気絶から覚めて起き上がったというのに、彼の表情はまるで変化しなかった。
瞳は虚ろで、こちらを見てはいないのだ。いや、正確には彼はもう何も見てはいない。そもそも目の焦点が合っていない。
たぶんもう酸欠と大量出血で、自分が何をしているかもわかっていない。
なのに。
漢は震える足で赤く染まった雪原を踏む。弱々しく。全身から血液を滴らせながら。
ずむり、と溶け残っていた雪がその裸足に絡みつく。
だが、進んだ。一歩。
足下で気絶していた、己の守るべき少女が、自らの足で立ち上がった後に。防御から攻撃へと転じるために踏み出したのだ。
ほとんど無意識の状態で。
「…………めに……る……」
言葉にならない声で、何かをつぶやきながら。
フィリアメイラが人影を警戒しながら、誠一郎の血に濡れた腹部を両手で押し止めた。べちゃり、と水音がして両手が真っ赤に染まる。
「~~ッ!?」
息を呑む。背筋に悪寒が走った。
流れ出しているのは血だけじゃない。これは命だ。
わたしが気絶なんてしてしまったから――ッ。
「待って、セイさん! もう動いちゃだめ! あとはわたしがやります!」
「…………よ……に……ぐる…………」
だが。
目の前の少女の肩を無造作に押しのけて、漢は進むのだ。残り十体にまで減らした、敵の元へと。未だ無傷で立つ赤い人影の方へ、踏み出して。
無謀。誰に目にも明らかなる無謀。
「セ、セイさん? ど、どうしたんです? わたし、わたしがわかりますか!?」
「………………ぐる…………な……めに…………」
けれど誠一郎の視線が少女に向くことはない。
フィリアメイラは血まみれの肌を叩きながら、悲痛な叫びを繰り返す。
「わたしを見てッ!! お願いッ!! それ以上無茶したら死んじゃうッ!! 止まってッ!!」
けれども、またも無造作に押しのけられて。
その瞬間、フィリアメイラは目撃する。
人影の数体が、漢の熱気に気圧されるかのように一歩退いたところを。風前の灯火となった命を相手に、その表情に畏怖が宿るのを。
怯えているの……? あのバケモノが……? でも、だめ……! これ以上は絶対に……!
「…………つ……に……なぐ…………」
「お願いッ、わたしの目を見てッ!! ヤダッ、ほんとに死んじゃうッ!!」
誠一郎は進む。雪を折れそうな足でかき分け、血を大量に滴らせ、正気を失った瞳で歩き続ける。
何度も立ち塞がる少女を、豪腕で側方へと押しのけながら。やがてその歩みは早足となり、小走りとなり、戸惑う人影たちが行動を起こす直前には猛進と化していた。
「ぐ、るあぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「セイさ――ッ!!」
鬼面。一匹の獣と化したエルフは歯を剥き、狂気を宿す血走った瞳で勢いのままに跳躍する。空中を走り、とっさに散った人影のうち、逃げ遅れた一体へと向けて、豪腕を背中にまで引き絞り。
「ギッ!?」
「強めにィィィッ、殴るぅぅぅぅ――ッ!!」
握りしめた拳が逃げ遅れた人影の脳天に突き刺さった。
しかし倒れ込む間も吹っ飛ぶ間すら与えぬままに筋肉を拉げさせ骨を圧迫しながらその首を胴体にまで力尽くで埋め込み、さらに股間から抜けるほどに押し込んで、大地を抉る。
雪原の雪が拳圧で吹っ飛ぶ中、赤い肉片や骨片、眼球が大爆発とともに四散する。
「……」
あんぐりと、フィリアメイラは口を開けていた。白目も剥いた。何なら涎も垂れてしまったかもしれない。
自分は今、一体何を見たのか。
ほぼ直上から敵の頭頂部へと突き刺さった誠一郎のパンチが、火薬もないのに人影を大地ごと爆発四散させた。赤い人影が、赤い血煙に姿を変えた。
うん、ちょっともう意味わかんない……。
「ハッ!?」
唐突に。
血走った瞳に強き意志を取り戻したらしき漢が、キョロキョロと周囲を見回した。そして口を開く。
「――筋肉神様ッ!? いずこへ!?」
その様子を眺めていたフィリアメイラは思った。
「……とうとう脳みそが全部筋肉に取って代わられちゃったんだわ……」
口に出していた。
その言葉に反応して、誠一郎の視線がこちらへと向けられる。
「メイラ! 無事であったか!」
「はいっ」
……セイさんはある意味無事じゃなさそうですけどね……。
今度はちゃんと心の中だけでつぶやくことができた。
駆け寄って背中合わせとなる。やはり人影は警戒しているらしく、簡単には襲いかかってはこない。
けれど、どうやら退くつもりもなさそうだ。
やはり生物的にどこかおかしいのだ、あれらは。
そして、怪しげな言動とクソ怪しげなパワーを使ったとはいえ、誠一郎の肉体が限界を迎えていることも事実。状況は何も好転してはいない。
誠一郎の顔色は、すでに青白く変色している。
「セイさん……」
「うむぅ。結構頑張ってみたのだが、すべてというわけにはいかんか……」
彼の背に自身の背中をあてればわかる。
体幹から微かに震えているのだ、漢が。肉体を支えるだけの筋力さえ、もう底をつきかけている。呼吸もずっと整わず、ゼエゼエと喘鳴が聞こえ続けている。
だとすれば、人影は待っている。
誠一郎の体力がやがて尽きるのを。ただでさえ寒さを凌ぐため、彼の筋肉は熱を生み出し続けなければならないのだから。
ああ、ならば。
ならばここは、足を引っ張ってしまったわたしが。
少女は長い深緑色の髪を紐で一本に縛って、全身から闘気と熱を放出する。
「……ここから先はわたしがやります」
「無理だ。メイラの筋肉では、一体二体ならばともかくとして、あれら全員を倒すことは難しい。リスクが高すぎる」
「今のセイさんよりは動けますよ」
すぐさま否定されると思っていた言葉は、しかし彼の口から吐き出されることはなかった。ただ弱々しく震える肉体で、強い視線を向けてきただけで。
誠一郎は決して嘘はつかない。嘘をつかねばならないときは、黙っている。
そういう漢だ。
「心配するな。おれもまだやれる。今度はおれがキミの援護に回る」
「やった後、倒れるでしょ? わたしにモルグスまでセイさんを運ばせる気ですか? たぶん、二人とも行き倒れちゃいますよ」
「……」
ほら、黙ってる。
喧嘩みたいで少し気まずい。でも、あまり時間はかけられない。あのバケモノはともかくとして、まともな生物であればこの雪原に立っているだけで、体力はぐんぐん消耗してしまうのだから。
時間をかけることは、人影の思うつぼだ。
フィリアメイラが誠一郎に背中を見せて、人影へと踏み出す。
当然、自信なんてまるでないけれど。それでも、ここでこの人を失うわけにはいかないのだから。
――わたしが何のために、あなたを追ってエルフに転生したと思っているの?
「……メイラ」
「そこで黙って見ていてくだ――」
そのときだ。
西の雪原から新たに現れた二つの影が誠一郎の横を通り過ぎて、フィリアメイラの隣に並んだのは。
一つは誠一郎を凌駕するほど大きく、もう一つはちょうどフィリアメイラと誠一郎の間くらいの大きさだ。
大きな影が、ため息交じりにつぶやく。
「まったく。まだこのようなところにいたとはな。てっきりおまえたちはもうモルグス入りしたものだとばかり思っていたが」
若く、瑞々しい男の声だ。
大きな手で防寒着のフードをまくりあげた下からは、あらゆる魔物を継ぎ接いで作った色違いの皮膚が現れた。
「レーヴさん……!」
「ああ。追いついてしまったぞ、エルフよ」
だが、その視線は二人のエルフを見てはいない。
怒りに満ちた瞳の先にあるのは、九体の赤い人影だ。
「……だが、ああ、いいぞ。いい具合だとも。神影どもがいるならば、この先にイブルニグスが存在しているということなれば、足を運んだ甲斐もあったというものだ」
耳慣れない言葉に、フィリアメイラが聞き返す。
「神影……?」
「なんだ、知らないのか。あれらは魔神イブルニグスの肉を使った分け身だ。神影はありとあらゆる命を喰らう。そして最後には、数多の命を取り込んだ自らの命をイブルニグスに差し出すのだ。そうしてあの魔神は無限に力を得る」
背筋を冷たい汗が伝った。
あれがまともな生物だとは思っていなかったけれど、意志を持ちながらイブルニグスのためだけに、自らの命を進んで消費するような生物だったとは。
いや、やはり生物ではない。あんなものはただの昆虫だ。
「イブルニグスは、喰らえば喰らうほど強くなるということですか!?」
「そうだ。ゆえにやつは力あるディアボロスを喰い歩いている。我が主ディアボロス・テュポーンもまた、その犠牲となった一体だった」
言葉に怒りが滲む。
主と妻の両方を奪いし、憎き魔神の影を前にして。
一体のゴーレムはローブを剥ぎ取ってレッドドラゴンの鱗で覆われた醜い肉体を雪原にさらす。
「……私は、魔神もその影も、一体残らず殺す。そのためだけに、まともな生を棄てた。これはおまえたちの助太刀ではない。私の復讐である。――ゆえに、ここは私に任せてもらおう」
「あ、でも……」
少女を一瞥すらせず、ゴーレム・レーヴは吐き捨てる。
「エルフの娘よ、おまえがともに戦いたければ好きにしろ。だが、私はおまえの援護はしない」
「はいっ、ありがとうございます! ――セイさん、これなら……え……」
誠一郎を振り返って許可を得ようとしたフィリアメイラの視界には、レーヴとともに現れたもう一人の影の腕で、ぐったりと倒れ伏していた誠一郎の姿があった。
「セイさん!? あなた、一体何を――ッ!」
「ご心配なく、お姉さま」
女の声――!
え? この声って!
「この御方がこれ以上わがままを言ったりしないように、少しだけ精気を吸って気絶していただきました。これ以上の無茶は、きっと命に関わりますもの」
女は誠一郎をそっと雪原に寝かせると、両手でローブをめくった。
そこから現れた顔は、まるで死者のように血色が悪く、けれども恐ろしいほどに整っていて。
「あ、あなた――!」
女は両手をいっぱいまで空へと突き上げて、内股で片足だけを上げ、嬉しそうな顔で口を開く。
「えへ、レヴァ子ですっ。お二人のために馳せ参じちゃいました♥」
愛しい誠一郎をつけ回す吸血種の恋敵、何より完膚なきまでに危険なストーカー女だった。
フィリアメイラは真顔で首を左右に振ってつぶやく。
「いらない。帰って?」
「!?」
あ、レヴァ子さんは結構です……。
だって筋肉減らされるじゃん……。
/\__/\
/ノ ヽ \
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ヽ ノ ヽ ノ
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