第38話 忍び寄る影
前回までのあら筋!
師匠は石をぶつけられても投げ返したりはしないのだ!
国境都市ランデルトで待つディアボロス・リゼルとの約束の期日まで、残り一週間を切っていた。
二人のエルフは吹雪の雪原を歩く。
杖にした長い木の棒で雪を突き刺し、足場を確かめながら進む漢を先頭に、少女はその背中で吹雪を凌ぎながら、ほとんど一日中。
日暮れにはかまくらを作成し、食事を取りながら翌朝まで休息する。
そんな数日を過ごしてきたにもかかわらず、後ろを歩くフィリアメイラが遅れることはない。
廃都と化したマドラスで入手した魔獣の毛皮の防寒着は、どうやらなかなかの優れもののようだ。
もっとも、分厚くそして熱き筋肉を常にまとっている己には、不要なものではあるけれど。
「すみません、わたしのせいで……」
「大丈夫だ。あと三日もあればモルグスに到着できる」
先日までよりも幾分早足ではあるが、ここまで鍛え上げてきた心肺能力であれば息を乱すことはない。当然、汗を掻くこともだ。
「でも……魔都に到着してすぐにお師匠様と合流できればよいのですが……」
「そこらへんは心配いらない。これまでは足跡を辿ることしかできなかったが、これからはキュバ子が深夜眠った際に師匠のいる場所をおれに伝えてくれる約束になっている」
「どうやって……?」
キュバスは他者の夢に潜る。対象の距離や場所は関係ない。
つまりキュバ子は、師匠の夢で本人から居場所を聞き出し、その夜のうちに夢から夢を辿って己にその居場所を伝えてくれるらしい。
深夜、夢の中という縛りはあるけれど、前世で言うところの携帯端末を手に入れたと思って相違ないだろう。
これはかなりのアドバンテージになるはずだ。
フィリアメイラが頬を染め、少し拗ねたような口調でつぶやいた。
「…………夢で……その……変なサービスとか受けないでくださいね……? サキュバスってほら……あれですし……」
「はっはっは、あたりまえだ。やつはいい女だが筋肉がないからな」
「そこなの!?」
「む? サービスとは、マッチアップの筋トレのことではないのか?」
「へ!?」
あわわわわと慌てて、フィリアメイラがなんとも言えない味のある表情をする。
「あ、えぇ……。まあ、似たようなものかも……」
「ならばキュバ子には到底不可能だろう。おれのマッチアップをするには、それなりに鍛えた女でなければな。メイラとやっている毎朝のストレッチは助かっているぞ。筋肉はほぐしておかねば、いざというときに動かんからな」
味のある表情が砕け、フードの頭を掻きながら、にへら~と少女が笑った。
「え、えへへ」
「まったく、メイラは大した筋肉女だぜ」
「…………それ、褒め言葉じゃないです……」
筋肉にぶつかってくる猛吹雪を体熱で溶かしながら、漢は下半身まで積もった雪をかき分けて突き進む。
「とにかく、おれたちに今できることは、なるべく早くモルグスまで行くことだ」
「はいっ」
しかしそれからいくらもしないうちに。
漢の足が止まった。同時に、己の陰で風雪を凌ぎながらついてきていたフィリアメイラの足もだ。
「……なんだ?」
「何かすごいものが……」
目を凝らしても、猛吹雪で前方の視界はほとんどない。
だが、なんだ、これは。
大地から突き上げるような震動が、徐々に近づいてきている。足裏から脳天まで、微かに揺れているのだ。
「雪崩れ……じゃないですよね……?」
「斜面ではないからな」
地鳴りが徐々に大きくなっていく。
それに乗じて、東の方角から雪煙の巨大な壁が迫ってくるのがうっすらと見えた。
「なんだ、あれは……」
「冗談でしょ……」
やがて地響きは立っていられなくなるほどに大きくなる。
だが、それは常人ならの話だ。鍛えに鍛えてきた二人のエルフの体幹は、たとえ近場で火山が噴火しようとも膝をつくことはないだろう。
けれども、雪煙の壁の根元に視線をやった漢は、大慌てで背後のエルフ女子を抱きかかえて。
「いかん!」
「へ? きゃっ!?」
限界まで地面に沈み込み、大地を蹴って跳躍していた。
その足下を、雪煙の壁が通過する。すさまじい数の魔物の足音を伴いながら。
空中でその光景を見下ろしたエルフ女子は、息を呑んだ。
「何これ……」
魔物、魔物、魔物。
みな狂ったように西へと向かって走っているのだ。
大型から小型まで、人型から魔獣型まで。凶暴なる種から、比較的温厚な種まで。あるいはエルフ女子を抱えた漢がいる空、翼を持つ種族に至るまで。
魔族ではない。知性なき魔物とされる生物たちが、我先にと西を目指していた。
魔物の大移動だ。
足の速い第一波を跳躍で躱し、雪煙の中に一度降り立った漢は、着地と同時にもう一度高く跳躍する。
その足下を、第二波の大群が通り過ぎていった。
今一度着地し、今度はエルフ女子を放す。
まだ魔物の大移動は続いているが、凶暴なる魔物たちは二人のエルフには目もくれず、まるで川の流れが岩を避けるように走り抜けていった。
その後は第三波、足の遅い魔物たちだ。
だが、その多くは血を流していた。中には瀕死の状態で、仲間に咥えられている魔物もいる。
「何かから逃げてる……?」
「嫌な臭いだ。おれの嗅覚筋に何か……」
嗅いだことのない臭いがした瞬間、魔物たちによって踏み固められた雪面が唐突に盛り上がり、爆発した。
雪煙を伴ってそこから跳躍した者――!
炎のように真っ赤な肉体を持つ、二足歩行の――なんだ、あれは。
そいつはサメのように尖った歯を剥いて、中空からエルフを眺めてニタリと笑った。
そうして右手から、やはり真っ赤でとてつもなく長い爪を伸ばし、振り上げて、躊躇いもなく漢へと振り下ろしていた。
「ギイイィィィィィッ!!」
五本の刃にも似た赤い軌跡が、吹雪の雪原に吹き荒れる。
「――フンッ!!」
しかしいち早く踏み込んでいた漢は、爪をかいくぐってその懐へと潜り込むと同時、たたんだ左腕の肘で真っ赤な人影の鳩尾を抉っていた。
「げぁ……っ」
「ぬ」
吹っ飛ばされた人影は、口内から喰らったらしき魔物の肉と血を吐き出しながらも、雪面を両足の踵ですべって立つ。
その不気味な顔で、ニタリと嗤いながら。
「ギギ、ギッギッギギ……!」
「今の重い感触は……」
手応えはあった。だが、おそらく効いてはいないだろう。
漢は視線を上げる。
デーモンのような爪をしているが、肉体そのものは人間のような形状だ。人間のような形状をしているが、肌は真っ赤で体毛はない。
誠一郎よりも肉体は大きいが、どこか不自然だ。
まるで別種の生物であるかのように、いや、実際にそうなのだろうけれど、筋肉の付き方が不自然だ。
たとえば上腕筋が五つまであるような、そんな不自然さを醸し出しているのだ。
ずるいぞ。
漢は思った。
けれど何より不自然なのは、全裸であるにもかかわらず、性器がないことだ。それは、これがまるで生物であることを否定しているかのようだ。
だが、喰らう。喰らうのだ、こいつらは。魔物を。あるいは魔族、人間をも。
本能が指し示している。鍛え上げた逞しき筋肉を導くように。
これは種の敵である。
ゆえに排除しろ、と。
全力で警鐘を鳴らして。
「セイさんの一撃を受けて立っているなんて……」
「インパクトの瞬間、鳩尾を周囲の筋肉を寄せることで守った。ダメージは見込めない」
「できるんですか、そんなこと!?」
「無理だな。ある程度の真似事なら誰でもできるし、おれ自身いつもやってはいる。当然、メイラも無意識にはな。だが、あそこまで完璧に覆うとなれば、おれでは不可能だ」
そして、付け加える。
「おそらく、おれの師匠でさえな」
もしも筋肉の位置を自在に操れるのであれば、それはつまり、この生物に急所は存在しないということに等しい。
ならばどこを狙えというのか。まるでドラゴンの急所を探るために、一枚ずつ鱗の上から叩いて回るような気分だ。
「魔物はこやつから逃げていたのか」
「でも、いくらなんでもおかしいですよ。あんな数の魔物が――」
そうだ。確かにおかしい。
大型の魔物の大群であれば、いかに手強い敵であろうとも、この赤い影の大きさならば丸呑みするくらいのことはやってのけるだろう。急所を探らずに踏み潰すという選択肢もあったはずだ。ワイバーンであれば、空へと連れ去って落とすだけで済む。
にもかかわらず、大型の魔物も翼持つ亜竜も、一目散に西へと向かってた。
足の遅い魔物は、大小にかかわらず今も必死で逃げ続けている。
なぜ……?
だが、その答えはすぐにわかった。
彼らが逃げている足場が、次々と盛り上がって爆発したのだから。
フィリアメイラが表情を引きつらせてつぶやいた。
「冗談きついです……」
「……」
赤い人影が増えたのだ。
その数、およそ五十体といったところか。
二人のエルフは雪原で、すでに謎の怪物に取り囲まれていた。
急所がない?
ほなら、強めにどついたったらええんちゃう?
(´^ω^`) n
⌒`γ´⌒`ヽ( E)
( .人 .人 γ /
=(こ/こ/ `^´
)に/こ(
※更新速度低下中です。
どうにか週3くらいで回せるように進めていきたいと思っております。




