第33話 彼女が愛したダークエルフ
前回までのあら筋!
反撃だ!
二体の怪物がすさまじい勢いで接近し、両の掌を合わせるように組み合った。
巨人グレンデルの豪腕と、鍛え上げたエルフの豪腕が一気に膨れ上がる。
「ぬううううッ!」
「おおおおおッ!」
二体の立つ平原が割れ、大地が悲鳴を上げて沈み込む。
拮抗、動かない。ゴーレム・レーヴも誠一郎も、互いを押し切ることができない。だが、両者の質量差は明白。
徐々に、徐々にではあるが、誠一郎の背が押し戻されるように反り始めた。
「く、ぐ……ッ!」
「セイさん!」
駆け出しかけたフィリアメイラを、しかし誠一郎は視線で止めた。
「よせッ、メイラ! これはレーヴとおれの、男同士の意地の張り合い! 女がしゃしゃり出てくるんじゃあないッ!!」
「だ、だって」
「大丈夫だ! おれを信じられないのであれば、おれの筋肉だけを信じておけ! 今キミの手を借りてしまえば、おれは誰も救えなくなる!」
僧帽筋が膨れ上がる。だが、それでも盛り返すことはない。
誠一郎の背骨が悲鳴を上げるように軋んだ。
レーヴが鬼面で叫ぶ。
「ハッ! 救うだと? なぜだッ! なぜおまえは見知らぬ他者のために、そこまでできるッ! エルフッ!! 命を失うのが怖くはないのか! リュアレはおまえにとっての何だというのだッ!!」
「ぐ、くく――」
誠一郎の背中が地面と平行近くまで曲がった。
「……貴様は勘違いをしているぞ、レーヴ……ッ」
否、そうではない。押し負けていたわけではなかった。
エルフはガギリと歯を食いしばると、伸ばしきっていた両腕からすべての力を一瞬にして抜いた。
「何ッ!?」
支えるものを失ったレーヴの上体が前のめりに崩れた瞬間、エルフは腹筋と大腰筋に現界まで溜めていた力を解き放ち、頭突きを放つ。
「ぬおらぁッ!!」
おおよそ、生物同士の頭部から発生したとは到底思えないほどの重低音が平原に響く。レーヴの全身がエルフの頭突きによって跳ね上がった。
汗の玉に混じって、鮮血がはじけ飛ぶ。
数歩の距離が開いた。
だが。ああ、だが。
ゴーレム・レーヴは数歩背後によろけながらも立つ。平然と。無傷で。
一方で誠一郎の額は皮膚や肉が裂け、微かながら骨が覗いていた。そこからどくどくと血が流れ始める。
レーヴが忌々しげな表情で吐き捨てた。
「虚を衝いたつもりだろうが、そんな攻撃など効きはしない。私の皮膚は竜鱗だと言ったはずだ。打撃も斬撃も魔法でさえも通さん。あきらめろ、エルフよ。おまえは無力だ。何もできはしない」
しかし、エルフもまた。
額から流れる血液を舌で舐め取って、再び構えていた。
「ほう、敵の心配か? 甘いやつだ」
「……バカが」
レーヴの豪腕が放たれた。
誠一郎は左腕を立ててそれを受け止める。肘から駆け上る激痛に耐えながら、今度は右拳をゴーレムの左胸へと放つ。
「そおぅりゃああ!」
「ふん……」
レーヴはそれを受け止めるそぶりさえ見せなかった。
誠一郎の右拳がレーヴの心臓の位置に直撃する。しかしゴーレムは眉一つ動かすことなく、平然とさらに拳を振りかぶっていた。
「無駄だ! 何度も言わせるな!」
「ならば黙って戦え。おれを殺してみろ」
拳の応酬が始まる。
誠一郎はレーヴから放たれる拳を受け、弾き、逸らし、避ける。レーヴは誠一郎から放たれる拳のすべてを、力の差を見せつけるがごとく、ただ全身で受け止め続けた。
「ぐるぁあぁ!」
「効かんよ、エルフ」
互いの拳圧が暴風を巻き起こし、そのたびライゲンディールの平原表層がめくれ上がって吹き飛んでいく。
両者の汗が玉となってはじけ飛び、フィリアメイラにも横殴りの雨のように降り注いだ。
「セイさん……ッ、私も!」
「ダメだっ! ――手を出すんじゃあないぞ、メイラァァ!」
「で、でも……」
やがて降り注ぐ汗の雨が赤く滲み始めたとき、両者はもう互角ではなくなっていた。
巨人グレンデルの豪腕や煉獄のデーモンの爪を躱しきれず、漢エルフの傷だけが徐々に増えていく。
「う、ぐ、くっ!」
割れた額からはもちろん、袈裟懸けに引き裂かれた胸部からも、竜鱗をたたき続けた拳からも、血が飛散し続けているのだ。
それでも漢は戦うことをやめなかった。
歯を食いしばって激痛をこらえ、とっくの昔に砕けてしまっていた拳を、ゴーレム・レーヴへとたたき込む。そのたびに拳は形を変え、血液は飛び散る。
もはや誰の目にも勝敗は明らかだった。
フィリアメイラの顔が青ざめる。
「セイさん……!」
「ダメだッ! もしここで介入したら、おれは生涯キミを許さん!」
大地を踏みしめ、オーバースカートに隠されながらも大きく膨らんでいた大腿筋が、震えて止まる。
「お願い……わたしはあなたのことを……」
「ダメだッ!! 黙ってそこで見ていろ!」
デーモンの爪が誠一郎の左腕を貫く。
「ぐぬ……ッ」
だが誠一郎はあえて爪を引き抜かず、筋肉で締め上げて固定し、レーヴの腕へと自らの右拳をたたき込んだ。
しかし。飛び散るものは、誠一郎の血液ばかりで。
「効かん、効かんよ。腕を奪うつもりだったのだろうが」
薙ぎ払われた巨人の豪腕によって側頭部を打ち抜かれ、平原を吹っ飛ばされて転がる。それでも立ち上がって走り、今度は砕けた左拳をレーヴの胸部へとたたき込む。
「うるぁぁぁ!」
びしゃり。
竜鱗を貫くことができずに左拳から血液が飛び散った。
もはや拳を作ることすらままならない様子に、フィリアメイラは両手で自らの口を押さえて震えた。
「無駄だと何度言わせる? もうよせ。本当に死んでしまうぞ、エルフ」
「……レーヴ、貴様は今、分水嶺に立っている」
忠告を無視し、誠一郎は砕けた右拳をレーヴの胸部に放つ。
だがその拳は、レーヴの竜鱗にたどり着く前に、レーヴの手によって弾かれていた。防御も回避もしなかったレーヴが、初めて誠一郎の拳を嫌がった。
苛立たしげに、叫びながら。
「何を言っているッ! 本当に殺されたいのかッ!?」
「……その先へは踏み出すな。貴様の道はそちらではない。おれはここから一歩たりとも、貴様を通すつもりはないぞ」
レーヴの表情に変化が起きた。誠一郎の表情にもだ。
焦燥を浮かべたレーヴと、慈愛に満ちた誠一郎の微笑み。立場が逆転した。
「私は――分水嶺などとうの昔に踏み越えた! 怪物でいい! 魔神を殺す怪物でいいのだ!」
「いいや、越えてなどいないさ」
レーヴの拳を血まみれの掌で滑らせて受け流し、拳を解いたエルフは掌底でゴーレムの胸部を打つ。
ぴきり、微かな音がした。
それは本当に微かな音だった。人間やほとんどの魔族では聞き取れない、たとえば長耳を持ったエルフだけが聞こえる程度の、微かな、音。
瞬間、青ざめ震えていたフィリアメイラの瞳が、大きく、大きく見開かれる。
ああ、ああ、すごい人だ。
狙っていたのだ。最初から。ただ一点だけを狙い、誠一郎は殴り続けてきた。無敵の竜鱗に亀裂が生じるまで、同じ箇所を殴り続けた。
腕への攻撃も、頭部への頭突きも、すべてはレーヴの意識を散らすため。
最初から、胸部だけを破壊するつもりで殴り続けてきた。
「デーモンは言うに及ばず、毒沼の巨人グレンデルは民衆に毒を振りまく悪なる存在。スレイプニルは善悪なき魔物、レッドドラゴンは死骸。そしてダークエルフは己自身」
「……ッ」
「そのゴーレムの肉体はすべて、貴様自身を除けば悪からなるものだ」
「黙れ! 元の肉体を自ら棄てた私に、後戻りなどもうできない! 私は魔神を討つだけの醜いゴーレムでいい! ――グラアをッ、グラアの仇をこの手で討てればッ、それだけでいい!」
「違う! 後戻りではない! 貴様はまだ堕ちてなどいない!」
うなりを上げて何度も何度も振り回されるグレンデルの豪腕を、エルフは掌を赤く染めた血を利用してすべて受け流す。
「ぐおおおおッ!!」
「がああああッ!!」
簡単ではない。すべてが紙一重。ほんのわずかでも目測を誤れば、それだけで死は訪れる。
だが、漢はそれでも返す。
ぎりぎりの瞬間を狙って“今しかない・ここしかない”瞬間を狙って、攻撃を返すのだ。
正確無比。ゴーレム・レーヴの、胸部亀裂へと。
「ぐがァッ!?」
誠一郎の掌底を喰らい、レーヴの足下が揺らいだ。
竜鱗の亀裂が少し広がった。
「か、あ……、こ、こんな……」
一方で血まみれの誠一郎は悠々と歩き、レーヴへと迫る。
「だが、ゴルゴーン姉妹は違うぞ! 彼女らは貴様の愛だ! あの娘らの瞳をゴーレムに組み込めば、貴様は悪へと堕ちて戻れなくなるッ!!」
「詭弁だ! 私はもう醜い――ッ」
雷轟のような大声で、誠一郎がレーヴの言葉を遮った。
自らの胸を、掌で強く叩きながら。
「醜くなどないッ! 死者を継ぎ接いで作った肉体がなんだッ!! 見かけがゴーレムとなっても、貴様の熱き魂は今も、グラアが愛した頃の――グラアを愛した頃のダークエルフだろうがッ!!」
「やめろッ! 言うなッ!! ……頼む、もう、やめてくれ……」
両腕をクロスしてレーヴの拳を受け止め、エルフはなおも叫んだ。
「レーヴ、心優しき怪物よ! おれは何度でも言うぞ! ここが貴様の分水嶺だ! 貴様が愛を踏みにじる道を選ぼうとも、このおれが生きている限りは絶対に貴様を通さん! 一歩たりとも通さん!」
ゴーレムが絶句し、呆然と立ち尽くす。
やがて隻眼からはひとすじの涙がこぼれ落ちた。
「……私……は……まだ……、……グラアを愛した男で……いいのだろうか……」
「あたりまえだッ!!」
そうしてエルフは砕けた右拳を握りしめる。いいや、もはや指をたためぬ掌では、拳にもならない。
けれども、左手で右拳を包み込み、握り、固めて。
「魂までは、穢すな。まだ間に合うさ。おれが救いたかったのはリュアレたちだけではない。おまえだ」
レーヴの濡れた隻眼が見開かれた。
誠一郎が左脚を深く、重く、踏み込む。
ズン、と大地が上下した。
漢を中心として大地が爆ぜ、粉塵が吹き上がる。
血にまみれた、しかしこれ以上ないほどの慈愛に満ちた笑みで。
「おれたちとともに、魔神イブルニグスに立ち向かえ。これが貴様の前にある分水嶺の、もう一つの道だ。レーヴ」
「お……まえ……。……おまえも……イブルニグスを討つために……」
「そうだ。グラアもきっと、それを望んでくれる」
乾坤一擲――。
放たれた最後の拳はレッドドラゴンの竜鱗をも貫いて、怪物と呼ばれたゴーレムの魂を、一人のダークエルフへと引き戻していた。
(本編そっちのけ)
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