第32話 醜く優しい怪物
前回までのあら筋！
やせ我慢っ！
二体の怪物が同時に大地を蹴った。
薙ぎ払われた継ぎ接ぎだらけの豪腕をかいくぐり、ゴーレム・レーヴの懐に潜り込んだ誠一郎は、直進する勢いそのままに固く握りしめた拳を叩きつけた。
「ぬんッ!!」
轟音と衝撃波が散って、二体の足下の雑草を地面ごと吹き飛ばす――！
「～～ッ!?」
しかし表情を変えたのはレーヴではない。
まるで重い金属を殴ったかのような感触に誠一郎は顔をしかめ、つかみかかろうと伸ばされた継ぎ接ぎの腕から逃れるように後退した。
硬い。殴りつけた拳が激痛と衝撃で震えている。
「なんだと……!? おれの拳が……！」
ゴーレム・レーヴは、一枚一枚が巨大な鱗で守られていた。
だが、たとえ鋼鉄鎧でも、対魔法金属鎧だとしても、鍛え上げし己の筋肉に砕けぬ道理はない。
ところがどうだ、あの鱗は。
傷一つついてはいないのだ。金属ですらないというのに。
隻眼のゴーレムの口が、がぱりと開かれる。
「驚いたか？ この生態ゴーレム――いや、私の皮膚は、レダ砂漠に生息するレッドドラゴンの遺骸から剥ぎ取った鱗でできている。どのような炎も、どのような氷も、伝説の剣ですらも、私を貫くことはできないだろう。そして私の足は圧倒的速度を生み出す――」
ゴーレム・レーヴの巨体が、唐突に消失する。
いや、違う。見失ったのだ。意識の虚を衝かれたか、あるいは視線ですら終えない速度で大地を蹴ったか。
誠一郎が目を見開いた瞬間にはすでに、ゴーレム・レーヴはその背後にあって。
フィリアメイラが息を呑んだ。
「セイさん後ろ！」
「――八脚馬スレイプニルの後脚」
「な――っ!?」
行動の際に生み出された突風は、遅れてやってくる。
耳元でささやかれた声に反射的に振り返った瞬間、短い金髪を掠めて暴風を巻き起こしながら豪腕が通過した。
誠一郎が屈んで躱したのではない。
インパクトの直前に身を入れたフィリアメイラが、レーヴの豪腕を蹴り上げて軌道を頭上に逸らしたのだ。そうしなければ誠一郎は直撃を喰らっていた。
けれども。
「きゃあっ」
豪腕を蹴り上げ、軌道を逸らした側であるはずのフィリアメイラが、その勢いに巻き込まれて大地を転がる。
恐るべき怪力。
薙ぎ払っただけだ。レーヴはただ豪腕を薙ぎ払っただけであったにもかかわらず、生み出された暴風はライゲンディールの平原表層を捲り上げ、フィリアメイラごと吹き飛ばしていた。
「メイラッ！」
「平気です！ でも――」
フィリアメイラが転がりながらも両足を空へと振り上げ、反動を利用して飛び起きる。
レーヴが感情のない隻眼でそれを眺め、口を開けた。
「腕はリディス山脈の毒沼に潜みし巨人グレンデルの豪腕だ。小娘に助けられたな。だが多少鍛えたくらいでは、逸らすことすらままならん」
「く……っ」
レーヴの左腕が逆袈裟に振り上げられる。
誠一郎はとっさに大地に両手をついて、前転で距離を離した。その背の薄衣が、はらりと、はだけおちる。
「爪は煉獄より這い出しデーモンの爪だ。掠ったのではないぞ、エルフよ。私があえて外しただけだ」
「――ッ」
追撃を警戒してさらに距離を取った誠一郎だったが、レーヴは左腕を振り上げた体勢のまま、隻眼をエルフへと向けるのみにとどまっていた。
だが。その唇の端だけが、不気味に引き上げられる。
「あぁ、その距離はだめだ」
怪訝に思う間もなく、エルフの足下の地面が大きく爆ぜた。何の前触れもなく、突然爆発したのだ。
「ぬがあっ!?」
「言ったはずだ。私はダークエルフだと。魔法の間合いだよ」
「く――！」
大地から無数に飛来する石礫をかろうじて両の掌ではたき落とし、誠一郎は再び視線を上げた。
心臓がすさまじい勢いで脈動している。
「おまえもハイエルフならば、エルフ族の間合いというものは熟知しているだろうに」
「あいにくと、おれは魔法を棄てたハイエルフでな。体術しか使えん」
強い……。
額から染み出た冷たい汗が、誠一郎の頬を伝う。
「なるほど。それでその肉体か。まあ、どうでもいい。おまえたちに勝ち目はないよ。同族」
油断なく構える誠一郎とフィリアメイラに、ゴーレム・レーヴは背を向ける。
背中を向けたのだ。油断なく構えたままの誠一郎とフィリアメイラに。あっさりと。
おまえたちなど敵ですらないと、そう示したのだ。
背中で。
「だから消えてくれ。私はただ、妻を殺した魔神イブルニグスを、八つ裂きにしたいだけなんだ。おまえと戦う理由はない。興味もない。同族のよしみで、無礼は見逃してやる」
継ぎ接ぎだらけの歪はゴーレムは、二人のエルフに背中を向けたまま歩き出す。半壊した研究施設へと向けて、ただ静かに。
苦い言葉を残して。
「……気は済んだだろう。頼むから放っておいてくれ……」
だが漢は左手でつかむ。
立ち去ろうとするゴーレムの肩をつかんだのだ。
強く、力を込めて。
レーヴが首を回して振り返る。
「……何の真似だ？ 無駄だとわかっただろうに」
「ああ、放っておくとも。貴様がゴルゴーン姉妹から手を引くと約束するならな」
言葉を終えた直後、誠一郎は固く握りしめた拳を、ゴーレムの脇腹へとたたき込む。
「ぬんッ！」
轟音が鳴り響き、漢よりも体躯に優れたゴーレム・レーヴの足が浮いた。
しかし大地を両足で掻いて振り向いたレーヴは、事も無げにつぶやく。
「無駄だ。竜鱗に生半可な攻撃など効きはしない。剣も、魔法も、おまえの拳も、小娘の小癪な足技も」
「姉妹から手を引くと誓え」
「断る。石化瞳は、ほんのわずかの間といえどもイブルニグスの動きを鈍らせることのできた唯一の有効なる手段だ。彼女らに痛みは与えない。施術も一瞬で終わる。その後は自由だ。どこへなりと行けばいい」
「あなたは間違ってる！ グラアは――ッ」
フィリアメイラが怒り顔で吐き出しかけた言葉を、レーヴが掌を広げて遮った。
「グラアはそんなことを望んでいない、などとありきたりな説教ならば必要ないぞ。そのようなことはすべて理解した上でやっている。たとえグラアが涙を流そうとも、私はありとあらゆる手段を講じてイブルニグスを殺す。なぜならそれはグラアの望みではなく、醜い継ぎ接ぎだらけの怪物の……身勝手なエゴだからだ」
そうしてレーヴは鼻で笑い、付け加える。
「止められるものか。グラアにも、ステナやリュアレにも、そしておまえたちにもだ」
フィリアメイラが歯がみする。
だが、漢エルフは。
「そうか。ならばもう話すことはない。貴様はステナやリュアレから瞳を奪い、せいぜい借り物の力を合わせてイブルニグスに挑めばいい」
「そうさせてもらうさ。部外者に言われるまでもない」
「セイさ――！」
喉元まで出かかった咎めの言葉は、しかし呑み込まれる。
変わっていた。漢は。怒りと猛々しさを内包したままに、慈愛に満ちた笑みを浮かべていたのだ。
「ただし、レーヴよ。それはここでおれを殺してからだ。何せ、あの姉妹を守ることは、この美しき筋肉を持つおれの身勝手なエゴなのだからな。ならば互いの欲をぶつけ合うしかあるまいよ」
「無用な殺しは望むところではないのだが」
「フ、笑止！ 互いの存在意義を賭けた戦いならば、それはもはや無用ではあるまい。それに、心配するな、心優しきモンスターよ。おれはそう簡単には死なん」
怪物エルフは自信に満ちた顔で、右肘をたたんで拳を握りしめる。
「遙かなる筋肉の頂を、深指屈筋腱でつかむその日まではなッ！」
「身の程知ら――」
だが、隻眼を見開く。ゴーレム・レーヴは。あるいはフィリアメイラもまた。
そこにいたはずのエルフがいない。視線など一瞬たりとも逸らしてはいなかったというのに、忽然と消えてしまった。
「……どこを見ている、ゴーレム・レーヴ」
「な――っ!?」
低い体勢で、大きなゴーレムの懐にいた。すでに。潜り込んでいた。
その拳が放たれる。
肉の弾ける音ではなかった。それはもはや骨の響く音ですらなかった。
重く、重く、低く、低く、そしてけたたましく。衝撃波を伴って平原を滑るように響く。
誠一郎が放った拳は、ゴーレム・レーヴの頬を完全に捉えていた。
意識すら追いつかない状態で、レーヴは平原を弧を描くことすらなく、平行に吹っ飛ばされていた。
受け身も取れずに頭部から大地に叩きつけられ、跳ね上がり、錐揉み状態で再び大地に落ち、全身で平原表層を掻きながら滑る。
先ほどまでゴーレムが立っていた場所には、拳を振り切った体勢の怪物エルフがいた。禍々しく口角を引き上げて、悪魔のごとき笑みを浮かべながら。
「――さあ、始めようか。意地の張り合いを。……貴様のエゴとやらのすべてをぶつけてこい！ おれの筋肉でそのすべてを打ち砕いてくれるわ！」
その呼びかけに呼応するように、とんでもない距離を吹っ飛ばされたはずのゴーレムもまた、のそりと立ち上がった。
直角に折れ曲がった頸部を、自らの継ぎ接ぎだらけの豪腕で押して戻しながら、平然と。今度は明確に、怪物エルフに敵意の視線を向けて。
残念だったな！
この物語におまえの出番はない！
∧ ∧ ∩ ＿ ∩ ,∵; .
( )/ ⊂／ ノ ）.'' ;
⊂ ノ / /ノV
( ノ し'￣∪ ←魔法神
(ノ
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